手を貸してくれませんか

手を貸してくれませんか 1

 小学生だった時、あまり好きではなかった先生がいる。

 その先生は、子どもたちが言うことを聞かないと分かると、必ずもって「○○ナントカさんに怒られるわよ」と子どもたちを叱った。○○ナントカの部分には、別の先生の名前だったり、おうちの人だったり、地域の怖い人だったり、とにかくその先生以外の誰かの名が入った。

 当然、言いなりになるわけがないのである。

 本当にその○○ナントカさんが来て説教されるはめになったことはあるものの、その言葉自体で言うことを聞く子などいた試しはない。もし本当にいたとするなら、元々どんな大人の言うことにも従う聞き分けのよい子であろう。僕はそういうタイプだったけれども。

 ただこれは、僕なりに強引にまとめてしまうと、「良い大人である」ことは大変難しい、という戒めなのである。


 顔合わせ会が始まる前、おやつの準備に加わっていると響に声をかけられた。

「なんでここにいるんだ?」

「時間ができたから」

 市販されている小分けのチョコレート菓子やクッキーを1人分ずつに取り分けながら答える。おやつの時間が限られているから、最初から1人分ずつまとめておいて配るのだという。

 いるはずのない僕のことが目に入るなり、心配になったのだろう。挙動が不自然で、かなり狼狽していた。

「この会に参加するってことは、ほぼ入会するっていうことなんだぞ?」

「わかってるよ」

 顔合わせ会と午後の会議、そして夜の飲み会に参加して会費三千円を払うことで、自動的に入会となる。元々入る気はなかったが、毎週サークルに参加して子どもたちと遊べばいいのだ。学生サポート部会との両立を考えなければ、もしくはそちらを辞めることになるが、どうってことはない。

 さすがにチラシには前日までには連絡を、と書いてあったので、担当の学生に話を通して、保険に入ったり注意事項を聞いたりはした。他のメンバーとの顔を合わせるのは、今日が初めてだった。

「わかってるよ」

 僕は響の目を見つめると、彼は口をつぐんで目を伏せた。

 僕は『バンビ』の顔合わせ会に参加することにした。『バンビ』というのは、学童保育に預けられた子どもたちと遊ぶという活動をしているボランティアサークルである。この顔合わせの会では、鬼ごっこや大縄とびなどのレクリエーションを行い、おやつの時間を挟みながら子どもたちと交流するのだという。

「いや、でも……」

「いやー、助かるなー」

 僕たちの間に、島津しまず先輩が割って入ってきた。

「男手が多いと。女子ばっかだから、体力仕事がつらいんだよね」

 連絡先だったし、事前説明や会費の回収の担当だった人だから、役職に就いているだろう。忙しいのかすぐにどこかに行ってしまった。

「ってさ」

 僕は響の瞳をまっすぐ見つめた。呼ばれた響は、何か言いたげだったけれど、そのまま行ってしまった。

 休日まで削り、ついでに言うと上着にも犠牲になってもらって、名札をつけたので安全ピンの穴が開いてしまったのだ、この会に参加したのは、響が心配だったからである。

 最後に真壁と会った日から、同じ夢を見るようになった。

 何人かの子どもたちが、手足をもがれて倒れている。肩が生温かいと感じて触れないことに気づいたときには、目が覚めていた。

 思い出そうとすると、あまりに鮮明なスプラッタが目に浮かぶので今は振り払った。

 もし赤井さんの時やあの家の女性の時のように、もし近しい現象が本当に起こってしまうとしたら、何もせずにはいられなかった。

 冷静になって数秒の夢の記憶を探ってみると、目につく範囲に大人や他の学生の姿はどこにも見当たらなかった。絶対にないとは言えないが、たまたまたくさんの子どもが犠牲になる事件現場に僕1人が立ち会うということは考えにくい。万が一現実になるとしたら、複数の子どもと接する機会があって、僕1人がが何らかの事情でその子たちをみている間に事件が起こってしまうという状況だろう。学生サポート部会のボランティア先というのもあり得るが、夏休みまでは大きな行事はないということなので、だいぶ先の話になる。あの状況が起こるとしたら、この顔合わせ会という可能性を捨てきれなかった。

 何も起こらないのならそれでいい。悪夢を見ていた時期があったなあ、と懐かしむくらいになるまで忘れてしまえばいいだけのことだ。

 でも、もし本当に起こってしまうのだとしたら、せめて僕の目の前で起きてくれればいい。僕の行動が引き金になってしまうのだとしても、僕の知らないところで、例えば響の目の前で無惨に子どもたちが死んでいく方が怖かった。

 響が心配なのは、真壁がカシマさん、と、由来すら不明な名で立川響を呼ぶからだ。真壁がそう呼んでいるのは、赤井さんに襲われたときに響の体から這い出てきた得体の知れない女の幽霊のことだと思う。話を聞けば呪われるというので、どういうものなのかは未だに知らない。あの真壁が真面目くさった顔で聞かない方がいい、というのだから、相当ヤバいやつなのだろう。もし響に関係しているとしたら、友人として、知らん顔はできなかった。

 事前に頼みの綱の懐中電灯を、いつもの上着のポケットの中に入れてある。電池式だったので、予備の電池も念のため持ってきた。真壁に頼らないとなると、僕が悲劇を回避するたった1つの方法は、この懐中電灯にすがるしかない。できることといえば、子どもたちの手足をもぎり取るような怪物を照らすことだけだが、それでなんとかできるなら、血反吐を吐こうが手足をもがれようが何だってやろう。

 懐中電灯をくれたあの少女は、何でも照らしてくれると言っていたが、僕にとっては文字通り一筋の希望の光だった。

 僕がこの会に参加する以上、悲劇は生ませない。後悔しないために、僕は来たのだから。

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