夜の星を見上げて歩こう 7

 今日は帰りが遅くなってしまった。

 休講になってしまった講義があったので、空きコマになった時間に学生サポート部会に顔を出せたのはいい。今のところ新入生は参加して実態を把握しておいてくれればいい、ということで、1コマ分だけ学生会館で過ごした。

 問題はレポート課題と英語の検定試験だ。大型連休を前にレポートが立て続けに出されたので、早めに仕上げようと考えたのだ。今はそうでもないが、またいつ悪夢に襲われる日々が来るかわからない。そうなると、試験前には英語の勉強にしか時間を割くことができなくなるだろう。図書館や電算室を渡り歩きながらレポートを仕上げたり、生協の書店で購入した問題集を解いてみたりした。赤井が言っていたとおり、生協の書店には大量のPOPが、店内を歩けばPOPに当たると言えるくらい大量に掲示されていて酔いそうだった。

 家族には事前に伝えてあったが、帰りが遅くなることへの謝罪のメッセージを入れて、大学を後にした。

 こんな日でも、少し回り道になるこの道を通って帰ることにした。校門を出てすぐ左に曲がればいいものを、体が覚えているのか自然とこっちまで足を向けてしまう。響にまで心配されたというのに。

 自転車で轢かれかけた曲がり角。落っこちてしまったヒナを置いた植垣。一緒に帰ってくれと約束した道の途中。赤井さんとの思い出の場所の数々は、夜の闇の中でも僕を迎え入れるように、確かに存在していた。

 僕は何もないはずの道の途中で、足を止めた。何だろうか、いつも通っているはずの場所に違和感を感じた。

 暗い部屋の中に何かがつるされている。僕は床に仰向けに近い体勢で、それを見ている。

 幻影だと気づいたところで、僕は目を開けた。

 僕は上着のポケットをまさぐって、懐中電灯を取り出した。そして、近くのガラス張りの建物に近寄っった。

 ガラス戸には張り紙がしてあった。懐中電灯の光で張り紙を照らすと、平素よりご利用していただいた感謝の文言と、昨日付で閉店した旨が書かれていた。

 違和感の正体はこれだ。住宅街のど真ん中にぽつんと存在するコンビニが閉店してしまったので、目印がなくなってしまったのだ。

 コンビニが潰れたこと自体は、僕にとっては大した問題ではない。ここのコンビニがなくなっても、駅付近や大学の近くにあるから困ることはない。問題は、コンビニからあれだけ漏れていた明かりがなくなってしまったことだ。閉店してからも照明をつけ続けることはないだろうから、自ずと道は暗くなる。あたりを見回しても、新しく街灯が設置された様子はない。

 つまり、暗くなってからこの道を通るには、懐中電灯が手放せなくなってしまったのだ。そろそろ上着がいらない季節になってくる。リュックに入れておけばいいのだが、万が一忘れた日には引き返すことも考えなくてはならない。

 最初から一番の近道を通って帰ればいいだけの話なのだが、と頭を抱えていると、もうあの家の前まで来てしまった。

 今日も彼女は夜空を見上げている、ように見える。コンビニ閉店のしわ寄せが来たように、なぜかこちらのほうまで一段と暗いのだ。

 僕は立ち止まって2階を見上げた。首が痛いなあと思うくらい、彼女を見つめ続けた。どうしてだろう。彼女は、いつも僕が来るとすぐに手を振ってきた。今日は僕がつけっぱなしの懐中電灯を持っているからいつもよりわかりやすいはずなのに、僕の方を見向きもしなかった。

 脳裏に、嫌な予感がこびりつく。彼女はいつも夜空を見上げて物思いにふけっている。彼女と話したことはない。彼女がどんな人なのかは知らない。

 いけないとはわかっていながらも、僕は彼女を懐中電灯で照らした。

 一瞬、影がよぎる。彼女の首から何かが出ている。彼女は窓から下を見てうなだれている。彼女の体は宙に浮いている……。

 門扉を開け、庭を通り、玄関の戸を叩き、反応がないのでドアを開けて入り、玄関があったので靴を脱ぎ捨て、1階を懐中電灯で照らしてみたが誰もいる様子がないのですぐ前にある階段を駆け上り、懐中電灯の光を頼りにあの窓がある部屋の方角を探した。

 当たりをつけて扉を開ける。真っ暗だったが、部屋の中には家具や雑貨などの陰も見当たらなかった。

 僕は1回だけ息をついて、懐中電灯で恐る恐る窓の方を照らしてみると……。

 何かが窓辺に吊されていた。

 ひっと小さな悲鳴を上げて、僕は腰を抜かして後ろに倒れ込んだ。ひっひっひっと、おかしな呼吸を繰り返した。僕は腰が抜けて立ち上がれないまま、落とした懐中電灯を引き寄せるくらいのことしかできなかった。

 窓辺に吊されていたのは、僕が毎日手を振り返していたはずの、いつも夜空を見上げていたはずの、あの女性に間違いなかった。

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