夜の星を見上げて歩こう 2

 1週間ぶりの講堂では、少し学生の数は減ったものの、不審者の噂も立ち消え、つつがなく講義が行われていった。違うことといえば、先週から小テストの話が出てざわめきが起こったことか。

「聞いてはいたけど小テストかー……」

 ほおづえをつきながら、隣に座る立川響がぼやく。

「ノート貸すよ」

「サンキュ。

 ってそういえばおまえ出てたのかよ!」

 響は、飛びのく勢いで体をのけぞらせた。

「まあね。学費だって払ってもらってるわけだし」

「ああ、そうか。えらいなー、夕介は。

 といいつつ、そういやオレ、小テストのこと聞いたの夕介からだったわ」

 僕はリュックに目を落としながら、「そうだね」と答えた。

 響は僕と真壁が連れて行った病院で診てもらって、絶対安静を言い渡されたのだ。養生するために講義を休むのは仕方ない。翌日連絡してみると、すでに体調はよくなったという話だったから、膝から崩れ落ちるほど安心したのは覚えている。

 でも僕は、その場にいながらかすり傷一つ負わなかった。状況を話せるわけでもなく、講義を休むという選択肢はなかったように思える。だから、せめて僕にできることをやった。きちんと講義に出て、響の遅れを取り戻せるくらい内容を頭にたたき込むことだった。時間があれば一緒に小テスト対策ぐらいは付き合わなければ。

 テキストや筆記用具をしまい終えて立ち上がると、講堂の中をぐるりと見回してみた。学生たちが小テストのことでげんなりしているくらいか。

 いつもの上段の席にも、あの赤いマフラーの姿はない。

「なあ、夕介」

 優しく気遣うような響の声が聞こえた。

「学食行かね?」

 そういうわけで2人で学食に向かうと、やっぱり席取り禁止の看板が入り口を塞ぐように置かれていて、学生や教職員たちでごった返していた。でも、今日はお互い次の授業まで時間があるので、気長に待つことにした。

 麺類のフードコートに向かう響について行くと、響がうどんの食券売り場に行ったので、僕は天ぷらうどんの食券を買った。うどんを提供するコーナーに並んでゆで上がりまで待っていると、人の波が引いてきた。

 天ぷらうどんの入ったどんぶりを受け取ってトレーに載せるや否や、とりあえず目についた空席を確保した。病み上がりの響には席で待っていてもらい、セルフサービスの水は僕が2人分を汲んでくることにした。戻ってきて響の分の水を渡すと、響の分のどんぶりの中身が見えた。釜玉うどんだ。まだ調子がよくないのだろうか。

「とりあえず座りなよ」

 響に勧められるまま、トレーを置いた向かいに座った。響が「いただきます」というので、ならって「いただきます」と言った。響は醤油をうどんに回しかけて卵を崩す。僕は天ぷらを口に押し込んだ。僕たちは無言のまま食事を続けた。

 以前、響はラーメンが食べたいと言っていた。念願の学食でラーメンが食べられるというのに、しかも聞くところによると、教育学部は1年次から単位を取っておかなければならず、実習などもあるという。特に体の大きい響は足りるのだろうか。

 我ながら余計な心配をしていると、響と目が合った。食事中のところをジロジロ見られるのが気に障ったのだろう。ごめんと一言言った。

 響はきょとんとして、自分と僕のどんぶりを眺めると「ああこれ?」と聞いてきた。

「金ないし、釜玉好きだから。

 ちょっと今は、ラーメンの気分じゃないだけ」

 しんみりとした顔で言うので、やはり赤井さんと3人で来たかっただろうに、と胸が締め付けられる。

「夕介こそ、天ぷらうどん頼んだじゃん。いいのに、ラーメンでも」

「いや……」

 僕もラーメンの気分じゃない。

「そういや、天ぷらを汁に浸したりしないんだ?」

「え?」

 響になんとなく気遣ってというのもあったが、元々うどんやそばに乗っている天ぷらは早めに食べる。汁を吸ってビチャビチャの天ぷらの食感は好きではないし、箸を入れるとボロボロと崩れて沈んでいくのは見ていて悲しくなる。

 話すと笑われた。

「別にいいんだけどさ。何つーか、ちゃんとこだわる部分はあったんだなって思って」

 笑われている部分はよくわからなかった。

「いや、正直昼ご飯の場所とかサークルとか、だいたいオレか赤井が決めて、夕介がついてきてくれるって感じだったしさ。かといえば心配して連絡してきてくれたり、かばってくれたり。

 実際のところは知らないけど、優等生だったんだろうなあ」

 響が遠い昔を見るような目で僕を眺めるので、そうでもないよ、と否定した。

「同じ高校だった、んだよね?」

「らしいな」

 僕も卒業アルバムを引っ張り出して血眼になって探した。赤井さんを探すことはできなかったが、響のことは見つけることができた。

 立川響。3年生の時は3組。水泳部。体育委員。修学旅行や体育祭などの行事のページには端のほうも多いが結構映っていて、クラスの中心人物だったことがうかがえる。

 一方の僕、矢代夕介は3年1組で、肩書きがあるとすればせいぜい美化委員くらいだ。響の方は僕を探すのに苦労しただろう。

 僕らが同じ高校だったのは事実だけれど、同じ時期に同じ学び舎にいたというだけの、おそらく廊下ですれ違った程度の関係だったのだろう。赤井さんは接点のほぼない僕たちを強引に結びつけた。自分が誰かの間で生きていくために。

 だから本来、僕らは下の名前で呼び合う仲ですらない。でも、今のところ名字に戻すのも不自然な気がして、そのまま使っている。

 湯飲みの中の水をすすった。飲み干したら、片付けようか。そう考えていると、急に隣の席に、カレーの載ったお盆が置かれた。

「隣いいかな?」

 女子を誘惑するような低音ボイスで聞かれてもよくないとしか答えられない。

 僕の隣の席を陣取ってきたのは、僕と響と赤井さんの仲を終わりへと導いた元凶、真壁脩士郎だった。

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