運命の糸のその先は 14

 運命の赤い糸、という話がある。

 人は生まれたときから小指に赤い糸で結ばれていて、大人になって赤い糸同士で結ばれた男女が巡り会うのだという。

 人は、生まれながらにして結ばれるはずの運命の人がいるということだろうか。

 あるいは、最初から運命が決まっている、ということなのだろうか。


「いつもそのマフラーしてるよね? なんでなんで?」

 前の席の男子が、椅子の背もたれを寄りかかって聞いてきた。彼が着ているのは、僕がほんの少し前に着ていたものと同じ制服だ。多少の違いはあれど、ここは間違いなく僕が通っていた高校の教室で、印象がだいぶ違うが、目の前にいるのは間違いなく高校生の響だ。ここから考えると、ずいぶん垢抜けたものだなあと思う。

 大学に行ったら教えてあげる、と答える。そっかー、と響は笑った。行けるかどうかわからないけど、頑張ってみるよ、と。

 これは、赤井さんの記憶を見ているんだ。

 教室の風景が変わる。今度目の前にいたのは、僕が知らない男の子だ。彼は学ランを着ていた。見た感じははっとするほどではないが、穏やかそうな好青年だった。

「そういえば、なんでいつもマフラーしてるの?」

 無垢な様子で、彼は聞いてきた。高校に行ったら教えてあげる、とやはり答えた。

 そっかあ、と男の子は笑った。じゃあ無理だね、と。赤井は頭いいから、オレ同じ高校には行けないよ、と。

 そういう答えを期待してたわけじゃないのに。目の前が、暗くなった感じがした。

「なんで教室でもマフラーしてるの?」

 次に現れたのは、丸顔が特徴の、ハキハキと元気な男の子だった。スポーツブランドのロゴが入ったトレーナーを着ていた。昼休みだろうか、周囲の子たちの騒ぎ声が聞こえる。壁に貼ってある掲示物からも、ここは小学校なのだと想像できた。

 彼にも、中学校に行ったら教えてあげる、と答えた。

「ええっ、そうなの?」

 男の子は目を丸くした。

「じゃあ仕方ないなー。

 オレ、中学校は別のところに行くんだ」

 えっ、と驚きの声を上げた。彼は、3月に引っ越すんだ、だからみんなと同じ中学校には行けないんだ、と続けた。

 だんだん視界がぼやけてきて、男の子が「どうした?」と心配する声が聞こえてきた。大丈夫、何でもない、と答えた。

 今度は薄暗い家の中にいた。女の人がすすり泣く声が聞こえた。女の人が、頭をなでてくれた。

「ごめんね、ごめんね。もう限界なの」

 女の人は両手を首元に当てた。

「あなた1人を置いていくわけにはいかないから」

 その途端、首元が締められて、爪が食い込む痛み、荒くなる呼吸。抵抗しようとジタバタもがいても、大人の力に子どもは勝てない。やがて、意識が遠くなっていった。

 バチン、という音で目が覚める。すぐに床に何かが打ち付けられたような音が聞こえた。

 男の人が怒鳴る声が聞こえる。ごめんなさい、と謝る声が聞こえる。さっきの女の人の声だった。

 毛布をかぶって布団の上でガタガタ震えていた。早く終わりますように、とそれだけを祈っていた。

 食器なのかガラス棚なのかが割れる音が聞こえ、平手打ちなのか、またバチン、と叩かれる音が何回か続いた。

 今度は椅子かなんかがなぎ倒される音が聞こえ、すぐそこのドアがバン、と何かが叩きつけられる音が聞こえた。心臓が止まる思いだった。怖くて怖くて毛布の中でうずくまっていた。

 怒鳴り声がやまない。ごめんなさい、ごめんなさい、と懇願しても、続いた。

 もうずっとこのままなんじゃないかと急に音がやんで静かになった。

 毛布を捨てて、音が聞こえた戸を開けると、リビングらしき部屋は悲惨な状況だった。椅子がなぎ倒され、引き出しが泥棒が漁った後のように引き出され、ありとあらゆる食器が割れ、割れた瓶やお酒の缶が散乱し、テレビやレコーダーが地震でも起きたように投げ出されていた。部屋の真ん中に、さっき頭をなでてくれた女の人がいた。

 音がやんだのは怒鳴っていた男が出て行ったからだろう。一安心して掃除をしようと思ったら、掃除機のホースにヒビが入っていた。

 あなたは寝なさい、と言われてそちらを見ると、やはりさっきの女の人が現れて、どこからか持ってきた小ボウキで床を掃いている。

 このままどうやって朝を迎えたらいいのだろう。足の踏み場もないようなこんな部屋で。

 部屋に戻ると、枕元にラッピングされた袋が置かれていた。場違いなそれを手に取って開けてみた。

「それね、プレゼントにしようと思ってたんだけど」

 女の人は片付けながら話す。

「少し早いけど、お誕生日おめでとう」

 中を開けて取り出すと、白いマフラーが現れた。ありがとう、という。 

 その人は微笑むと、顔の青あざと目の下のクマが露わになった。

 ああっ、とすすり泣く声が聞こえて、目をしぱたいて見ると、胴体に抱きかかえられていた生首が泣いていた。化け物同士の戦いが一旦やんで、マフラーが僕たちを襲ってくることはなかった。

 お母さん、と泣いていた。

 さっきまで僕は赤井さんの記憶を遡っていて、あの女の人が赤井さんのお母さんなのだろう。ここまで赤井さんが生きてきた境遇を想った。

 僕は、赤井さんだった胴体と生首に歩み寄った。

 戸惑う赤井さんに微笑みかける。胴体が抱きかかえていた頭部を、僕は両手でそっと持ち上げた。元の位置にぴったりとはまるように、慎重に頭を首の上に置いた。

「赤井さん」

 両手で頭を押さえたまま、彼女の名前を呼ぶ。

「自分の頭を、押さえててくれるかい?」

 赤井さんは素直に両腕をあげて、自分の頭を押さえた。僕はマフラーの片方をたぐり寄せた。

「今まで大変だったんだね」

 ずれないようにそっとそっと、赤井さんの首元にマフラーを巻いていく。

「この姿になっても、苦労してきたんだと思う」

 慎重に腕を回してマフラーを巻き続ける。赤井さんの頬に、一筋の涙がこぼれた。

「僕でよければ、その苦労を一緒に背負わせてほしい」

 片方分のマフラーを巻き終わると、もう片方の端をたぐり寄せた。

「これから赤井さんは、幸せな人生を送ってほしいんだ」

 僕はもう片側の赤いマフラーを、自分の首に巻き付けていく。赤井さんの望み通りかはわからないけれど、そうなるように努力しよう。赤井さんのこれまでを思ったら、どんなことでもやるつもりだった。

 すっと細い手が伸びてきて、僕の手を優しく握った。僕の手からマフラーが落ちた。

「ごめん」

 赤井さんは言った。

「ごめん。そうじゃないの」

 赤井さんの頬には、また一筋涙が流れた。

「私はただ、普通に愛されて、普通に、1人の女の子として生きたかっただけなの」

 赤井さんから涙が落ちるたびに、僕の首に巻いたマフラーが巻き取られていった。僕はマフラーをつかんだりすることなく、赤井さんの涙が落ちる様子を見ていた。

「だから、ありがとう」

 赤井さんが、マフラーをなびかせながら消えていく。

「じゃないよね。さよなら」

 マフラーが赤井さんの首元にするすると戻って、ほつれた糸1本すら残さずに、赤井さんは消えてしまった。

 何もなくなった僕の目の前を、月が照らしていた。

「カはカメンのカ、シはシのシ、マはマのマ、レイはレイのレイ、コはジコのコォ!」

 真壁が叫ぶ声が聞こえたので後ろを振り向く。真壁は響から出てきた女の幽霊と対峙していて、真壁が唱えた呪文のようなものによって、女の幽霊は響に引っ込んでいくのが見えた。

 終わったと言わんばかりに真壁が後ろに倒れかかるので、僕が後ろから抱きかかえる。

「ったく。相談もなしにカシマさんを押しつけあがって。

 俺だったからなんとかなったけど、下手すりゃ手足もがれて死んでたからな」

 真壁が不平を言いながら全体重をかけてきたので、支えきれなくなり僕ら2人は後ろに倒れ込んだ。僕が圧死しそうだった。

「俺と手を組まないか」

 起き上がったと思ったら、真壁は僕に覆い被さるように体勢を変えただけだった。

「君たちはどうやら怪異を引き寄せるらしい。

 都市伝説に遭遇した君たちと、怪奇現象に精通する俺が組めば、どんな怪異にも太刀打ちできる。

 そう思わないか?」

 僕はげんなりしてお断りします、と顔をそむけた。寝そべったまま首を動かして響の方を見ると、寝っ転がったままの響はピクリとも動かない。

 真壁は立ち上がって、響の首元に近寄った。

「息はあるぞ」

「はあっ?」

 飛び起きた僕は駆け寄って脈をとる。響の首元からは、血液が流れる鼓動が感じられた。

 全身の力が抜けたように響の手を取ると、真壁に声をかけられた。

「一応病院で診てもらった方がいいか? 手を貸せ」

「いわれなくても」

 2人がかりで響の体を持ち上げる。うめき声をあげたので、やっぱり生きていた、と実感した。

「いい返事を待っている」

 真壁が一瞬だけ僕の目を見て、そう言った。

 僕はぐったりする響を横目に見ながら、僕に降りかかる不穏な未来を案じた。

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