運命の糸のその先は 12

 マフラーの下に隠されていた血の跡も、地面に転がったまましゃべり続ける赤井さんの頭部も、何から何まで直視できなくて、どう考えていいのかわからなかった。

「何の、冗談?」

「私ガホンキジャナカッタコトナンテ、アル?」

 頭が横になったまま、顔だけ真剣に言うものだから、恐怖も通り越して笑ってしまった。

「え、だって、どういう、こと?」

 首が取れて首が落ちてそれでもなおしゃべり続けていられるって、人間じゃありえない。呂律も回らない舌で僕は言葉として機能していない質問を繰り返す。

「え、いつから、ってか」

 本人の説明通りなら、マフラーを巻いていたのは首が落っこちてしまうからってことで、それはつまり僕たちと講義を受けたりご飯を食べたり一緒に歩いて帰ったときにはすでにもう首はつながっていなかったってことで赤井さんはずっとそのままというか響との記憶が正しければ高校生の時にはすでにもう

「アアアアアアアァァァァァァァ」

 自分の首が取れるんじゃないかというくらいの勢いで、声がした後ろの方を振り返ると、響が白目を剥いてひざまずいていた。

 さっと再び元の方を向くと、体が彼女の頭部を拾い上げて、こちらに歩いてきた。

「な、何?」

「ワタシノ本トウノ姿ワコウナノ。

 コレカラ私タチ同ジ会社ニシュウショクシテ結婚シテシアワセナ家庭ヲキヅキアゲルノ」

 少しずつ後ずさる僕に、赤井さんだったはずの何かは歩幅を広げて近づいてきた。心なしかマフラーが長くなっている気がする。未だに就職とか結婚とか言ってる場合だろうか? こんな人を採用する会社などあるわけがないし、こんなのと結婚する人なんて――。

 ゆらゆらとバランスをとりながら歩いてくるそれを見ながら、ああ、と理解した。婚姻届を提出するって意味じゃなくて、一生を添い遂げるパートナーになるって言いたいんだ。ということは

「逃げろおぉぉ!」

 ぐっ、と首元が締まる感覚がして、真壁が僕の襟を後ろから引っ張ったのだと気づいた時には、彼を追うように回れ右をして走り出していた。

「何なんですかあれぇ!」

「赤いマフラーの女! そういう都市伝説!」

 最後の方は息が切れかかったのか、的な怪談、とかすかに聞こえた。不審者のように扱ってきた真壁にいざとなってすがるのも図々しいとは思ったが、今はそれどころではない。失神している響をたたき起こして、遠くへ遠くへと全力疾走した。

 追っ手の方もどんどんどんどん僕らに迫ってきて、スカートの中など気にもとめないくらい大股で追いかけてきた。

「待ってヨオ」

 媚びて甘えるような声だけが赤井さんの面影を残していて気持ち悪い。思わず耳を塞ぎたくなる。

 一反木綿のような陰が伸びたかと思って振り返ると、腕の代わりにマフラーを伸ばして、僕たちを捉えにかかってきた。

「あれに捕まったら終わりだ! おそらく締め上げられて同じ姿にさせられる!」

「嫌あぁぁだあぁぁっ!」

 響は滝のように涙を流しながら叫ぶ。真壁の言うとおり、マフラーの端が目と鼻の先まで迫ってきていた。

 丁字路に気づいて左に曲がった瞬間、ああっ! と声がしたかと思うと、響が草むらにダイブしているのが見えた。縁石に気づかずにつまずいて乗り上げてしまったようだ。

 迫り来るマフラーが響に向かう。Uターンして手を伸ばした時、突然、視界が宙を舞い、向かっていた方向とはあさっての方へと押し出された。

 僕が手を伸ばしたところには、真壁が割り込んできていて、真壁も響に向かって手を伸ばした時、無情にも、2人の体に赤い布が巻き付かれた。

 弾き飛ばされた僕は、この時になってようやく真壁が僕を突き飛ばしてかばってくれたのだと気づいて、無様にも転んで道路に横たわっていた。

 情けないことに、伸びたツタが支柱に這うようにマフラーが2人の体に巻き付いていく様を、ただ呆然とみていた。

 獲物を捕らえて赤井さんは、もうそうは言えないのだが、立ち止まった首から下が生首を抱えて満足そうに2人を眺めていた。

 このままだと2人は殺される。同じ姿にされて、人ではなくなってしまう。

 僕1人だけ助かるなんていいわけがない。人間のような頃の最終的な花婿候補はおそらく僕で、たまたま捕まらなかったからといって、すごすご逃げ帰るわけにはいかなかった。

 なんて便利なのだろう。もらいものの懐中電灯には、ストラップがついている。左の手首に通して、2人のいる方へ向かった。2人は今も締め上げられまいと抵抗を続けている。

 僕は真壁を締め上げている方のマフラーの下をくぐり抜けて、化け物と化した赤井さんに向き合った。

 2人を苦しめる元凶の布を、僕はつかんで握りしめた。

「何?」

 小脇に抱えられた生首が、面白くなさそうに顔をゆがめて聞いてきた。

「やめてくれないか」

 生首はフン、とそっぽを向かせられ、「イヤよ」と答えた。

「苦しんでるじゃないか。特に右側のマフラーで締め付けられてるのは、君の友人だろう?」

「今更仲良しアピール? どの面がいってるんだかってヘドが出る」

 僕の怒りと同調するように、左手首に通した懐中電灯がゆらゆら揺れる。

「赤井」

 名前を呼ぶつもりもなかった目の前の何かを、にらみつけた。

「このマフラーの両端を、僕に巻き付けろ」

 ギリギリと手首でマフラーを捻った。手に液体が吸い付いていくのを感じる。

「はあ?」

「君と運命をともにするのは僕だけでいい。2人を解放しろ」

 それを聞いて、生首はプッと吹き出した。

「あんた本気で言ってる?」

「そうだ、お前、はユウスケだっけか。せっかく助かるんだから、やめろ。生き延びるんだ」

 真壁がしゃべり出す。ぐっと彼の首を締め上げる力が強くなったようで、うめき声を上げた。

「そういう訳にもいきません」

 ぴしゃりと言うと、誰も二の句を継がなかった。音がするくらい、思いっきり息を吸う。

「響は真面目に先生になろうとしています。

 その夢は叶えてあげたい」

 子どもと遊ぶサークルに入りたいといったのは、少しでも子どもたちと触れあいたいと思ったからだろう。将来自分が受け持った子どもたちのために。

「真壁さんを巻き込むわけにはいきません。

 最初に注意してくれたのは、純粋に人生の先輩としてだったから」

 あのとき僕たちと出会わなければ、今ここで会わなければ、彼は死の瀬戸際に立つこともなかったのだ。

「赤井さんにだって、大学に入ってやりたいことがたくさんあった。

 元はといえば、赤井さんを幸せにできなかった僕のせいです」

 できもしない約束を軽々としたせいなのだ。

「僕は、なんとなく大学へ入りました」

 学びたいことがあったわけではなかったから。

「人任せでサークルに入る気でいました」

 挑戦したいこともなかったから。

「誰かの役に立てるわけでもない」

 学科の仲間の荻野君、梶山君、浦田さん、学生支援課の伊納さん、サポート部会の中里さん。いろんな人に頼ってばかり。そして今も、響と真壁に守られているだけ。

「だから……」

 言いかけて、嫌な予感がした。

 地面にうつ伏せで横たわる響は、ピクリとも動かなかった。

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