運命の糸のその先は 10
この状況でまず思ったのは、逃げなきゃ、だった。
目の前にいるこの男はヤバいやつだ。とにかくこの男から逃げて赤井さんを迎えに行かなければならない。さもなくば赤井さんがこの男に何をされるかわかったものではない。
この男はやはり、僕たちを何らかの理由でつけ狙っていたのだ。
「響」
声を絞り出した。
「僕は動けそうにないから、響だけでも逃げるんだ。そして赤井さんを探し出して、この男の手の届かないところに――」
「何言ってんだ! 夕介はどうなるんだよ?
こ、この状況で置いていけるわけないだろ?」
響は僕を抱え込んでいたのを、肩を組んだ。僕を見捨てるという選択肢はないらしい。僕も、これ以上何かをいう気力もなかった。
「この期に及んで認めない気か。まあ仕方あるまい。
君たちは本気で赤井という女が存在すると信じているわけだからな」
「信じているって、まさか、赤井はもう」
「もう、じゃない。最初から君たちにしか認識されていないんだ。
最初に俺たちがあった日、ドアにぶつけられて君たちに謝られた時、赤井っていう女は講堂の中に、たぶん入り口の近くに立ってたんだろ? で、俺がそのまま素通りするもんだから、君たちは怒った。彼女を押しのけるようにして入ったから。
少し後をつけてみて、合点がいったよ。どうやらもう1人いたらしい、とな」
響は、「ああ、いたさ!」と叫んだ。でも、僕が気になったのは、後をつけてみた、という部分だ。あの時、すでに目をつけられていたのだ。おそらく僕たちが昼食をとっている最中、どこかで盗み見していたに違いない。あの時感じた気配は真壁だったのだ。
「で、でも、おまえに見えてなかっただけなんじゃないか?」
響が言い返す。もちろんそういう可能性もあった。だが……。
講堂の中で赤井さんに昼食に誘われたとき。あの学生たちは目があって気まずかったのではなく、僕たちの返事が誰に向けてのものなのかわからなかったからだとしたら。
荻野君がテニスサークルに行っても赤井さんを見なかったと言ったことも、少し引っかかる。浦田さんも百歩譲って、と枕詞をつけるくらい、あの時期でマフラーをしているのは珍しいと思う。
さらに、信号を渡った後に赤井さんにぶつかりそうになった自転車。自転車が来た方向からは赤井さんを見落とすはずがないのだ。僕が危険を知らせなくても、最初からよけるなりスピードを落とすなりしただろう。周りを見回したのも、赤井さんのことが文字通り見えていなかったとしたら。
そしてもし本当に赤井さんが僕と響にしか認識されない存在なのだとしたら、梶山君の友人の話も合点がいく。心外だが、感じ悪い男2人というのはおそらく僕と響のことで、梶山君の友人は僕たちが真壁に言いがかりをつけているように見えたのだろう。考えてみたら僕たちと真壁は、3回しかまだ講義が終わっていないというのにあの講堂の入り口付近で2回も会っている。入り口付近で不穏な男たちが2組も現れるより、見間違われたと考える方が自然だろう。
僕は響の腕の中で、ゆるゆると首を横に振った。響から力が抜けて、僕は地面へ座り込んだ。
やはり、最初から赤井という存在はいなかったのだろうか。
「思い当たる節もあるわけだな?
俺も多少強引なやり口だったとは思う。でもそうでもしないと、3人目の存在を確信できなかったし、予想外の収穫があった」
真壁がスマホを突き出してくる。自力で歩けるだけの体力は戻ってきたので、恐る恐る近づいて、スマホに表示された内容を見た。
表示されていたのは有名なSNSの書き込みだった。この大学のハッシュタグで、人を探しているという書き込みだった。さすがに名前は伏せられていたが、見る人が見れば響と赤井さん、もしくは僕と赤井さんだとすぐに分かる。
ほかのやつにも頼んでみるからって、こういうことだったのか。
「こんなに拡散されていたのか?」
いつの間にか後ろから覗き込んでいた響が、ガクガク震えている。真壁は、「SNSで人捜しするっていうのはこういうことだぞ」と言い残してスマホをしまった。
「共通するのは赤いマフラーの女だ。今のところ見つかっていないところを見ると、やっぱりほかの人間には見えてないんだろうなあ」
僕が赤井さんと再会した時も、あの赤いマフラーを巻いていた。真壁のいうとおり、他の学生に見えていればすぐに見つかりそうな気がする。
「そこで聞きたいのは、だ。
君たちのどちらかで告白とかされてないのか?」
「告白うっ」
響がまたしても顔を赤らめる。
「失礼にもほどがあります」
「結論から言おう。
その女は伴侶にした男性を絞殺する」
「こ、コウサツう?」
響から血の気が引き、今度は顔が真っ青になった。
「なんで姿も見えないあなたに、そんなことが分かるんです?」
真壁は答えないまま、あさっての方向を見て黙りこくった。
僕もそちらを見てみると、道の遠くの方で、女の人が立っているのが見えた。
「赤井さん、じゃないのか?」
真壁が尋ねる。暗くて、顔は判別できなかった。いつの間にか日はとっぷり暮れているというのに、常夜灯も室内から漏れた明かりも全くついていないことに気づいた。
僕は上着のポケットから、十字路に立っていた少女からもらった、あの小さな懐中電灯を取り出した。
「赤井、さん?」
彼女に懐中電灯を向けて、スイッチを押した。
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