運命の糸のその先は 9

 最後の授業を終えて、どっと疲れが押し寄せてきた。石の塊でも背負っているのではと思うほどにリュックも重い。しかも今日はこれからタンポポに向かわなくてはならないのだ。タンポポは教育学部の人が多いという教育系サークルである。昨日、赤井さんに事情を話して、一緒に行く約束をしておいた。

 響にも早く忠告しておかなくてはならない。

 暗くなってきた道をえっちらおっちら歩いていると、おーい、と声が聞こえた。

 疲れているのだろうか、空耳かと思って街灯に照らされた電話ボックスを見た。その横で手を振っていたのは、なんと探していた立川響だった。昨日に続いて何という偶然だろう。

 響は僕に駆け寄ってきて一言、「ひどい顔してんな」と言った。

「寝不足だからね」

「大丈夫か?」

「平気」

 なるべく平然を装って答えた。

 本来の目的を思い出し、僕が口を開き始めると、何か思いついたように手を叩いた。

「そうだ、夕介もバンビに来るか?」

「バンビ?」

「子どもと遊ぶサークル。今日も新歓やるって。

 赤井も来るっていうから、待ち合わせしてんだけどさ……」

 いや、聞き返さなくてはいけないのは、響が赤井さんと約束をしていることだった。赤井さんは僕と待ち合わせをしているんじゃないのか?

「昨日、僕とタンポポに行くって約束しちゃったんだけど……響に伝えたいことがあるからって」

「えっ、何、告白?」

 本人は顔を赤くして体をくねらせている。僕は思いっきり気分を害されて、「僕がだよ」と口をとがらせた。響は大げさに、何だよ、と気落ちしていた。

「ならちょうどいいか。3人で行こう。赤井もいた方がいいんだろ?」

 どうやら3人で話したいことがあると受け取ったらしい。

「赤井さんにはもう伝えてあるよ」

「へ?」

「でも赤井さんのことは待とう。響の約束の方が後だろ?」

 響は、「まあ、約束したのは今日だからな」とつぶやいた。

「なら、どうぞ」

「まず、連絡先を交換しよう」

 これだけスマホが普及している現代、連絡が取れない苦労をこれ以上味わいたくない。赤井さんには言いそびれたが、まあ、今日尋ねればいいだろう。

 メッセージアプリの連絡先にお互いの名前が表示されたのを確認して、今までのことを伝えた。促されて、学科の人たちに相談したのがきっかけで学生支援課に真壁のことを話したこと、顔を覚えられている可能性が高いから気をつけること、迷ったが、真壁は正真正銘文学部の学生であることまで。

「実はオレも、学部の先輩たちから言いに行ったほうがいいって言われたんだ。まあ、似たような対応だったけど」

 話を聞いて、驚いた。響は響で動いていたのだ。

「高校だったら不審者がいたら先生に言え、って教わってきたけど、考えてみれば大学にもそういう部署はあるよなあ」

「僕も学科の人たちに話してたところから教授に言われたんだけど」

「オレもそんな感じ」

 頭が回らなかったのは同じだが、入学したての学生がどこに相談すればいいか把握している方が稀だろう。ふと、学生サポート部会のことを思い出した。

「でも、夕介の友達、すごいな。もしかしたらうちの学生じゃないかも、とか、数学基礎を受けているほかの学生も危ないんじゃないか、って気づくところとか」

「本当だよね。赤井さんを見かけたら教えてって頼むときに、僕も、赤井さんがどうしてもマフラーしているイメージが強いからか、赤いマフラーを巻いてるってことしか伝えてなかったし」

「偶然だな。オレも赤井さんの話したときに、赤いマフラーしてる話したもん。

 授業中寒かったからマフラー巻けていいなー、て言われたし」

「教育学部ってエアコンついてないの?」

 マフラーといえば外出時につけるものだから、いくら寒くても室内では外すように指導されることもあるだろう。けれど、大学に入学してからはあれだけ広い講堂でも、屋内で寒さを感じたことはなかった。ちゃんと冷暖房が稼働しているおかげだろう。

「高校の話。

 ああ、赤井ってそういえば高校生のころから赤いマフラーずっと巻いてた覚えがあって」

 響の話を聞いて、僕も思い当たるものがあった。赤井は講堂の中でも気温が高い日でもマフラーを巻いていなかったか。食事の時も外すことはなかったし、昨日来ていた夏物のワンピースにあのマフラーはかなりミスマッチな組み合わせだと思う。

 高校生の頃は、教室の中でもあのマフラーを巻いていたのだろうか。体育でも調理実習でも式典でも。大学の入学式はどうしたのだろう。

 そもそも響も僕も、マフラーを巻いている理由を尋ねたのは、マフラーを巻いているのは不自然な状況だと感じたからであって、それは高校生の時も感じたのだとしたら……。

「赤いマフラー」

 耳元でささやかれ、はっと飛び退く。どこから現れたのか、僕たちの顔がぶつかるくらいのところに、真壁が立っていた。

「その赤井って女は、赤いマフラーを巻いているんだな?」

 しめしめと、舌なめずりするかのように、虎視眈々と僕たちの答えを待っている。

 世界が反転するような感覚。ああ、この嫌な感覚。自分で立っていることができなくて、響の胸に寄りかかった。

「夕介、夕介っ」

 響が僕に声をかけて、真壁をにらみつける。

「あ、赤井は無事なんだろうな?」

 おびえてくるのは嫌というほど伝わってくるのに、響が威勢を張って真壁に叫ぶ。

「無事も何も」

 真壁が口を開く。

「その赤井って女は存在しない。おまえらにしか見えてないんだよ」

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