運命の糸のその先は 7
本来の目的を果たすことはできなかったが、真壁についてわかったことがあるのでよしとしよう。自分に言い聞かせて、今日の講義終了後、響がいそうな教育系サークルを探すことにした。2つに1つなので、少なくとも明日には会えるはずだ。響に伝えれば、赤井さんに伝えてもらうことも頼める。そんな簡単なことですら、今更気づいた。
教育学部棟に向かおうとしたとき、見覚えのある赤いマフラーが目に入った。
「赤井さん!」
名前を呼ぶと、彼女は振り向いた。やはりそうだ。赤井さんは、「矢代くーん!」と叫びながら僕に駆け寄ってきた。
「5限は?」
「ないよ」
「じゃあ、今日一緒に帰らない?」
突然の申し出に戸惑った。響だって放ってはおけない。でも……。
少し考えた末、「いいよ」と返事した。せっかく誘ってもらった手前、一緒にサークルに行こうともいえないし、赤井さんだって忙しいかもしれない。思いがけない形ではあるものの、学生支援課からの伝言は伝えることができるはずだ。構内の桜が散ってしまって、葉をつけ始めている木々の間を、2人並んでそのまま帰ることにした。
「矢代君はサークル決まった?」
僕が用件を言い出す前に、赤井さんが話を振ってくる。駅までたどり着くには少し距離がある。先に彼女の話題に付き合うことにした。
「まだ1つしか行ってなくてね」
「へえ。どこ?」
「学生委員会」
「ボランティアだあ」
赤井さんは、花が咲くようにぱっと笑みを浮かべた。
「どうだった?」
「その中で部会に分かれていてね……」
正門を出てすぐの歩行者信号は赤だった。軽く説明を終えると、信号は青に変わったので渡り、そのまままっすぐ歩きはじめた。
「駅ってこっちじゃなかったっけ?」
赤井さんが左方向を指さす。多くの学生は、大学の最寄り駅に向かうには赤井さんの指さす方向へ曲がる。右側通行を守らない学生は、信号を渡らずに左に曲がってしまう。僕にはそういう思惑はなくて、いつもの癖でそのまままっすぐ行こうとしていた。
「最近、こっちを通って帰るようになったんだけど、ごめん、そっちだよね」
引き返す僕を見て、赤井さんはいいよ、と僕に近寄った。
「こっちからでも行けるんだよね。一緒に帰ろうっていったのは私だし、いいよ。矢代君の好きな方で」
「いいの?」
「いいよ!」
赤井さんがかけよって来ようとしたところで、視界の隅に影が見えた。
「危ない!」
全力で叫んだと同時くらいに、右側の建物の陰から自転車が飛び出してきた。自転車は急ブレーキをかけて止まった。
僕は自転車に乗った人にすみません、と謝る。自転車は不服そうな顔をして、左方向へと行ってしまった。
「大丈夫?」
赤井さんに駆け寄ってケガしてないか確認する。赤井さんは、マフラーに少しだけ顔をうずめた。彼女なりにうなずいたのだろう。
「本当にこっちの道に行く?」
「うん」
そこまで気を遣ってもらうなら、お言葉に甘えて、まっすぐの道を行くことにした。
「こっちはちょっと冷えるんだよね。日陰が多くて」
「でも、今日みたいな陽気ならかえっていいかも」
「で、何だっけ。……そうそう、学生委員会だよね。うーん、学食のメニュー考えたりするのも楽しそうだなぁ。もしかして本屋さんのPOPとか書いてたり?」
「本屋さん? 大学の近くにあるの?」
「図書館の1階に本屋さんが入っているの知ってる? 図書館とは入り口も別だし、看板とかも小さいからわかりづらいかもしれないんだけど」
どうやら大学の図書館の1階部分が生協の本屋になっているらしい。教科書や参考書に指定されるような本や学術書だけでなく、小説や実用書、雑誌や漫画まで置いてあるらしい。
「1回覗いてみたらすごくいろいろなPOPが飾ってあってね。もしかしてそういうのも作っているのかなって」
もし作っているとしたら、生協運営部会の人たちだろう。学食のメニューを考える活動をしているのも彼らだ。赤井さんはそっちの方が向いているだろう。あのグイグイくる受付の人ともやっていけそうだし。
僕は少しだけ渋い顔になった。
「なら、今度生協運営部会の人たちに話を聞きに行こうか。2人で」
「えっ、いいの?」
仮に僕も一緒に入ったとしても、ささやかに仕事をこなすことはできるだろう。同期には気の合う人もいるかもしれないし。
赤井さんが満足げに楽しそうな顔をしているので、いったんサークルの話から離れられるだろう。用件を切り出そうとしたところで、足下でかしましく何かが鳴いているのが聞こえた。
「どうしたの?」
急に立ち止まって辺りを見回す僕に、赤井さんがよってくる。僕は植え込みの根元をのぞき込み、手を伸ばした。しゃがみこんだ赤井さんがあっ、と声を漏らす。ライトブルーのワンピースからのぞく足から視線を外しながら、優しく包んだ手のひらを広げて赤井さんに見せた。ボサボサの茶色い毛をまとったヒナがピーピー鳴いていた。
「あそこから落っこちちゃったんだね」
赤井さんが街路樹を見上げて指さす。見ると、かなり高いところの枝に巣が見えた。
ヒナは容赦なく僕の手の上でジタバタ動いている。僕は周りを見回すと、八の字に僕らの頭上を飛ぶ鳥が見えた。僕は植え込みの上に、そっとヒナを置いて離れた。獲物をかっさらうように親鳥が飛んできて、ヒナをくわえて巣へ戻った。
赤井さんが大丈夫? と僕の手をとって、手のひらを広げて見せた。
「平気」
僕は背負っていたリュックサックからウエットティッシュの袋を取り出して、開けた口を赤井さんに差し出した。うろたえている赤井さんに、ヒナを触った手を触っちゃったから、と言って、自分も1枚取って見せた。赤井さんはおそるおそるウエットティッシュを引き出し、僕にならって手を拭いた。
「ゴミよかったら」
手を差し出すと、「そこまではいいよ」と赤井さんは上着のポケットにウエットティッシュをくるんで入れた。僕も自分の分だけを丸めてリュックの脇ポケットに押し込んだ。
無事に巣に戻ったヒナたちを見上げて、よかったね、とつぶやく。隣の赤井さんを見ると、買ってもらえないおもちゃを遠くから眺める子どものように、目を細めてヒナたちを見上げていた。
「行こうか」
声をかけると、赤井さんはひょこひょこついてきた。
「あのさ」
僕から話しかけると、後からついてきた赤井さんは足を止めた。
「アンケートに協力してって声をかけられたことを、学生支援課の人に話したんだ」
おびえるように僕を見つめる赤井さんに、彼に顔を覚えられている可能性が高いから気をつけて、と言われたことを伝えた。赤井さんは、黙って僕の話を聞いていた。
「そしたら」
赤井さんは、喉に何か引っかかっているような声で、僕に呼びかけた。
「毎日、一緒に帰ってくれる?」
赤井さんは、潤んだ声で続けた。少しだけ、木枯らしの吹く冬が戻ってきたように体が冷えていった。
「毎日毎日、時間と場所を決めて、普段の日もサークルの活動日も、ずっと一緒に帰ってくれる?」
赤井さんがどんどん涙声になっていくのを聞いて、僕は呼吸さえできずに返事を考えた。
「いいよ」
僕が伝えた以上、赤井さんを守る責任はある。
赤井さんは何か言おうとしたのか口を開きかけて、閉じた。そのまま、人肌を求めるように僕の横にピッタリとくっついた。
僕たちはそのまま駅まで歩いていった。
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