運命の糸のその先は 3

 1週間経ったので全くもって気が抜けていた。

 かの広い講堂で講義を受け、やはり響と赤井さんとでランチに行こうかと話しながら講堂を出た。僕が言っているのは、講堂を出るときに扉を開ける時の話ではない。さすがに人を転倒させておいて反省しないほど、僕らは傍若無人な集団ではない。そもそも今回は暖房をつけていないせいか、扉は開きっぱなしになっていた。

 講堂から出ると、待ち構えていた新聞記者のように、横からすっと人影が伸びてきた。

「君たち、ちょっと協力してもらっていいかな」

 彼はバインダーを片手に、僕たちに話しかけてきた。見たことがある人だな、と思ってよくよく顔を見てみると、なんと先週、扉を開ける時に転倒させた男だった。なにしろあれだけの美貌なので、見まがうはずもなかった。

「あなたは……」

「先週もここで会いましたね」

 今着ているポロシャツのブルーのように、爽やかな笑顔を見せたが、どこか表面的な印象にもうつった。

 実はあの後病院に行ったら骨折していましたとか脳出血を起こしていましたというような話だったのか、とビクビクしながら次の言葉を待っていると、ああ、別に先週のことで来たんじゃないんですけどね、と前置きして、こう話した。

「文学部人類文化学科2年の真壁といいます。

 実はゼミの研究の一環でアンケートを行っていまして、新入生にインタビューを行っています。

 あまりお時間はとらせませんので、よろしいですか?」

 模範解答のテンプレートのような文言だったが、断る理由もない。どうする? と2人に聞くと、まあ少しなら、と響は了承してくれた。

 赤井さんの方を見ると、響の後ろに隠れてガタガタ震えていた。どうやら答えたくないらしい。

 僕と響は顔を見合わせて、断ろうか、と相談した。

「すみません、ご協力はできないようです」

 なるべく角が立たない言葉を選んで断ったつもりだったが、真壁さんは急に目の色を変えて迫ってきた。

「そうですか。ちなみに、その理由をお聞かせ願えますか?」

 断った以上、答える義務もないのだろう。でも、突っぱねたら余計に食いついてきそうだ。

「1人が嫌だといっているんです」

「どなたが?」

「こ、断ったのになぜ答えなければならないんですかっ」

 僕らは人通りの多い方へ走って行った。恐怖で真っ青になった赤井を連れて、とにかく遠くへ遠くへ逃げた。真壁という、あの男が僕たちを見失ってしまうまで。

 真壁を撒いた後、結局再び生協のコンビニで昼食を買って集まることにした。僕は先週と同じ幕の内弁当を買い、2人を待っている間に学食を覗いてみたが、やはり満席状態のようで、席取り禁止の看板が出入り口の前に鎮座していた。奇しくも、ベンチまで全く同じ場所だった。幸いといえるのは、今日、赤井さんが選んだのはおにぎりなので、せいぜい歯にノリがつく心配くらいで済むことくらい。

「今日も学食は無理だったかあ」

 天丼のチクワをかじりながら響がぼやいた。先週のリベンジで学食に行こう、と意気込んでいただけに、かなり気落ちしている。

「仕方ないよ」

 また、赤井さんがフォローしていた。その赤井さんも、未だに恐怖が抜けないのか顔が青白かった。

 しばらく何も言い出せないまま無言で昼食をとっていた空気を変えたのは、赤井さんだった。

「そうだそうだ、昨日テニスのサークルに見学に行ったの」

「ほんとに!」

「でも、マネージャーは募集してないって」

 赤井さんは、うつむいた。

「赤井さん、マネージャーやりたいの?」

「やりたいっていうか……」

 赤井さんは首をすぼませて、「運動とかできないし」と顔を赤らめた。

「マネージャーかー。でも大変そうだよ? 高校の時の水泳部のマネさんたち、ずっと走り回ってたし」

「そうなの?」

「でも、サークルのノリにもよるかも」

 響がうなずくと、赤井さんの目に少しだけ輝きが戻った。

「赤井さんは、高校の時って何か部活やってたの?」

 僕が聞くと、なんにも、と答えた。僕も帰宅部だったと言うと、そうなの? と聞き返された。

「やりたいことはなかったし」

「私も、そういえば全く運動はできないから部活とか入らなかったんだよね。文化部も結構ハードだった記憶があるし。

 だから、合唱とか、ボランティアとか、何か新しいことをやってみたい」

 僕たちの代は、よほどやりたい何かがなければ、部活に入らなかったかもしれない。けれど、大多数は何らかの部活に入っていたような覚えがある。

 水泳部に入って水泳に打ち込んでいた響もさることながら、新しいことに挑戦してみたいという意欲の強い赤井さんもすごい。

 いいね、と言ってあげた。

「オレはやっぱり子どもたちと遊ぶサークルに入ろうかなって思う。教採のことを考えると、それがいいと思うし」

「すごーい」

 響と赤井さんは、2人で盛り上がっていた。

「矢代君は、どうするの?」

 赤井さんに聞かれて、うーんと首をかしげてごまかした。そのまま2人がたわいもない話を始めたので、会話に戻る。

 各自お昼を食べ終えて、また成り行きで解散になった。

 パックをまとめてゴミ箱に放り込む。足下には画鋲が落ちていた。

 近くに貼り出されたサークルや講演会などのお知らせを眺めながら、とりあえずでもサークルを覗いてみようとも思う。だが、特にこれといって興味をそそられるものはなかった。いっそ、響か赤井さんについていこうか。

 剥がれかけのポスターを見つけたので、穴の痕を探して上から刺しておいた。

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