運命の糸のその先は 2

 僕らは空いたベンチをなんとか見つけ、各自生協の売店で調達してきた昼食を摂ることになった。

 響が豚丼をかきこんで、ごめんな、と謝る。

「オレがちゃんとしてればこんなことにならずに……」

「仕方ないよ。立川君だけのせいじゃないし。

 学食だってあれだけ混んでたら無理だって。また今度行こ」

 赤井さんがフォローする。彼女の口元には、サンドイッチの具の玉子がついている。恥をかくのもまずいし、首元のマフラーについてしまうと大変だろう。それとなく赤井さんに知らせようと、幕の内弁当の容器から左手を離して、指で自分の顔をひっかく。

「まあ、オレのせいなんだけどさ」

 響がうなだれたすきに、赤井さんは頬の玉子をとった。あらやだ、というような顔をして、ウインクをして見せた。

「でも、気をつけたほうがいいかもしれないな。大学でも、結構危険って聞くし」

 身もふたもないことを言うと、外に出れば危険と隣り合わせではある。しかし、大学は学生以外も自由に出入りできるようだから、不審者が入ってきたとしてもわからない。特に女性である赤井さんは用心するに越したことはない。

「ありがと」

 赤井さんは屈託なくほほえむと、「さ、もうこの話はおしまい」と膝に乗せてあるもう1つのサンドイッチを手に取った。

「サークルどうするー?」

「そうだなー、テニスもいいし、バンド組むのも楽しそうだし、あ、でも子どもたちと遊ぶサークルみたいなのもおもしろそう」

「さすが教育学部」

「だろ?」

「あたし、いっぱいあって迷ってるんだよね。ラクロスでしょー、バレーでしょー、読書サークルもいいなーって思ってるし、あと、学生委員みたいのもいいかなって」

「いいじゃん!」

 2人が盛り上がっているところを、僕は静かに弁当の煮物を口に運んだ。

矢代やしろ君は?」

 首をもたげてきた赤井さんに急に話を振られて、口に入れたご飯を飲み込んだ。

「僕?」

「そうそう」

「夕介はやりたいこととかないの?」

 2人の会話に乗り切れなかったのもあるだろう。とっさに答えが出てくるわけでもなく、楽しそうに前を通る学生たちを見つめて考え込んでしまった。

「じゃあ、いくつか見に行って見てからでもいいんじゃね? ご飯出してくれるっていうし」

「そうだよ。焦って決めるものでもないじゃん?」

 僕は再度、そうだね、と返事して、歩いて行く人々を見つめた。茶髪に染めた髪をなびかせながら歩く女性2人やギターケースらしきものをかついだ男性3人組、チェックシャツの集団に肩を寄せ合いながら歩くおそろいのキーホルダーをつけた男女……。

「大丈夫?」

 気づくと、2人が心配そうにこちらの様子をうかがっていた。

 水を差すことになって申し訳ないと思いつつも、話を切り出すことにした。

「赤井さん」

「ん?」

「なんで、いつもそのマフラーしているの?」

 僕とまともに目を合わせた赤井さんは、すぐには答えてくれなかった。

「また?」

 響は怪訝な顔をして、僕を見た。が、食べ終わった弁当の蓋に手を置いて、次の言葉を待っている。

 赤井さんの瞳が下を見回して、最後に僕に向いた。

「2人が――」

 2人が、と無意識に小声でオウム返ししてしまう。

「就職したらね!」

 赤井さんは、そう発言した。

 これ以上ないくらい、ぱっと輝いた笑顔だった。彼女の笑顔に気おされて、僕が投げかけた質問に対する答えだと認識できなかった。

「就職?」

「そ。立川君は学校の先生を目指してて、矢代君も、どこかには就職するでしょ?」

「まあ、そうなるけれど――」

 経済学部を卒業しても、特定の資格を得たりするわけではない。起業できるのも一握りだ。就職活動をして一般企業に勤めるというのが妥当なところだろう。それでも叶うとは限らないが。

「じゃあ、赤井はいわゆるお嫁さんになりたいってこと?」

 響の問いかけには答えず、赤井さんは腕時計を一瞥した。

「あ! 3限始まっちゃう!」

 ゴミを丸めてバッグをひっつかむと、僕たちに一言「じゃあ!」と残して行ってしまった。口元のことは言い出せず、伸ばした手を引っ込めた。

「そういえばさ」

「うん」

「高校の時もそんなこと言ってた気がするんだよなあ」

「そうなのか」

 あまり考えずに答えたが、響も同じことを思ったということは、やはりはぐらかされたのだろう。高校生の時は、大学に入ったら答えるとかだった気がする。彼女にとっては特に答えたくないだけなのかもしれないし、僕もどうしても知りたいわけでもなかったから、それ以上追及することもなかったのだ。

 残された男2人で何をするのも思いつかなかったので、成り行きで解散しよう、と言いかけたときだった。ふいにどこかから見られている気配を感じて、立ち上がった。周りを見回しても、特段怪しい人影はなかった。

 小走りになって、建物の陰を確認したが、誰もいなかった。ゴミも落ち葉もない。しいて言うなら道が十の字に交差していた。

 ふいに、上着のポケットを上からさすって、懐中電灯の感触を確かめた。運命、という言葉がリフレインした。

 少しだけ、交差点に立ち尽くしていた女の子のことを思い出す。でもまさか、あの子がこんなところにいるわけがない。彼女と出会った交差点は、家の最寄り駅の近くにある。彼女にここで会うとしたら、僕と同じ大学に通っているくらいの偶然がなければ、あり得ない。さらに言えば、どんなに年齢を上に見積もったって大学生には見えなかった。

「夕介」

 響に呼びかけられて、我に返る。

 僕は無理矢理、口角を上げて見せた。

「何でもない。虫とかかな」

 僕たちは何事もなかったかのように、じゃあ、また来週、と別れた。

 心にモヤモヤとした何かが、広がっていった。

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