雨粒

色音こころ

第1話完結

時計の針音。湿った空気。薄暗い教室。


何気なく早く来た学校には、自分の他にグラウンドで朝練をする運動部員が数名。来月に控える県大会の為、練習に精を出していた。


教室はただただ湿っぽい。


「昨日、言わなければよかったな。」


後悔は先に立つことはなく、そう零した後から涙がただただ、目の端から溢れ落ちた。


「僕は、壊してしまったのかな。今までの全部、壊してしまったのかな。」


溢れる思いは止めどなく、叫びたいほどの後悔を喉元の奥で噛み殺す。喉に力を込めた分だけ目から涙が止まらなかった。


 チク、タク、チク、タク。時計の針音だけが聞こえる。


早く涙を止めないと。そろそろ誰かが教室に入ってくる時間だ。今日の一限目は現国だから、漢字の小テストがのっけからあるはず。範囲の予習、やってないや。やけになりそうになる。悔しいのか、悲しいのか、不安に潰れそうなだけなのか。考えていたらまた涙が溢れてきた。というか止まらん。


僕は思わず机に突っ伏して寝ているフリを必死に装うことにした。程なくして教室の扉が開く音がする。


コツコツコツ。ローファーの音が教室に響く。女子か…。足音の主は、僕から少し離れた席にカバンを下ろした。コツコツコツ。重なる足音。少しずつ、僕の方に近づいてくる。


お願い、止めて。僕は今話せる状態にないから。さっきまでずっと泣いてたし、今も涙が止まらないし。きっと目が真っ赤だ。顔上げたら泣いているのがモロバレになる。だから、お願い。これ以上近かないで。僕に話しかけないで。


足音の主は 僕の心の声を聞き入れてくれたのか歩くのをやめた。よかった、これで泣いているのがバレずに済む。


「優太。あの、昨日の件だけど…。」


気を緩めていた僕は、驚いてビクッと全身を震わせた。なんか涙も止まった。


「夏樹…。やあ、おはよう。」


顔を上げた先には夏樹がいた。足音の主はまさかの夏樹だった。よりによって夏樹…。


「早いね。陸上部も今日朝練だっけ…?」


「朝練は今日はないよ。そうじゃなくて…その…。」


「そうじゃなくて。昨日のことで、優太に言いたいことがあって。」


僕は…どうやら逃げ場がないようで、いよいよ腹を括った。さあ、来い。さっきまで泣いてたから、もう泣かなくて済むと思うし。


「昨日の件だけど…私、あん時は優太に突然言われてパニックになってうまく気持ちを整理出来てなかったっていうか。だから、昨日の私の言葉そのままの通り受け取らないで欲しくて。」


いつもは闊達でハキハキしている夏樹が今日はやけに歯切れが悪い。そりゃそうか。昨日、あんなことがあったんだもんな。ごめん、夏樹。僕が夏樹のこと好きで、本当にごめん。「そういうのは無理」だよね。今までの関係壊すようなこといったのは、他でもない。この僕だ。


「昨日、私が言った無理って言ったのは…そういう目では見れないってだけで。優太のことをずっと遠ざけようとか、そういう風には思ってないから。そこは、誤解しないでほしい。」


夏樹が話しているのは僕との関係をこれまで通り保っていたいという素直な気持ち。その素直な気持ちを素直に聞くことができない僕の心はとても素直じゃないな。捻くれているのかな。


「…わかった。これまで通り、だよね?」


「うん、これまで通りでいたい。」


分かっていた。夏樹が僕のことを恋愛感情で見ていないことは、分かっていた。いつも一緒に帰る道の途中の神社の境内、階段に腰掛け二人で話す時によく歯に噛む君の照れ臭そうな笑顔が好きだった。部活のことを話す時、夏樹はいつも楽しそうで何より幸せそうだった。夏樹は高一の頃から練習熱心で、トラックを走る夏樹はいつだって輝いていた。全力で走る彼女の姿が遠目に見ても眩しくて、キラキラと輝く彼女が、その目が、いつだってただ一点を見つめていることを僕は、知っていた。夏樹の視線をただ一点に集めるその彼が羨ましくて羨ましくて、二人のその姿を見ると僕はただただ胸がきゅーっと張り裂けそうで苦しかった。二人を見ている時、僕は一人だ。


「分かった。これまで通りでいよう。今まで通り、幼馴染として仲良く…な。」


「…ありがとう。」


「じゃ、僕はもう少し寝るよ。今日何気に小テスト多いじゃん、限国とか。昨日遅くまで勉強してたからさ、眠くて。」


「うん、分かった。」


「今日はどうする?一緒に帰る?」


「今日はごめん。朝練ないけど、夕方部活のミーティングが遅くまであるから。」


「…そっか。それじゃあまた今度ね。」


「うん。」


これまで通りこれまで通り、これまで通り、にはいかないな。だって僕の心が、こんなにも張り裂けそうだもの。胸が締め付けられて、すごく苦しいんだ。悲しいんだ。涙が、また、溢れそうだから。


グラウンドに差す陽の光がだんだん強くなってきた。

今日は晴れ。昨日はあんなに雨だったのに今日はやけに日差しが強い。

教室から見える背の高い木の葉っぱについた、雨粒が一滴ポロッと落ちた。

もうすぐ七月、夏が来る。夏が、来るんだ。

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雨粒 色音こころ @cocoro_shikine

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