中国麺
「嫌いな食べ物はなんですか」という質問はいつも困る。「大豆田とわ子」の中村慎森が言う「自己紹介っていります? 意味なくないですか?」にひそかに共感している。「オムライスです」「あ、オムライスか」。何の感想も出てこないですよね。
私は気にしいなので、自分の答えた食べ物が相手が好きだったらいやだな、とか考えてしまう。だから、話題を振られたときは「セロリ」もしくは「春菊」と答えている。すると相手は必ず納得した顔をする。いやいやそれはおかしいでしょ、という人に会ったことがない。「セロリ」と「春菊」、もしくは「パクチー」は、嫌いな食べ物界のポリティカルコレクトネスだ。
だけど、もし宇宙人にさらわれて、「お前の
父は仕事柄、海外出張の多い人で、一週間とか二週間、現地に行っては、おみやげを彼のセンスで買ってきた。なぜかチョイスは食べ物が多く、アメリカではNASAの宇宙食、ノルウェーでは缶詰を買ってくる、という感じだった。
「中国麺」というのは我が家の通称で、正式な名前はわからない。ずいぶん昔、私がまだ小学生だったころ、中国のどこかに出張に行った際に父が買ってきた乾麺を、私がそう名付けた。細長くて、形状はマルタイラーメンに近い。鮮やかな色遣いのパッケージに、漢字がぎっしり詰まっていた。
あるとき、簡単なもので済ませようというときに、この中国麺が出てきた。休日だったが父は仕事でおらず、母も姉も食には奥手だったので、結局は私が食べることになった。父はなぜか一食しか買っていなかったため、あとの経緯を考えると、母と姉は何か違うものを食べたのだろう。
チキンラーメンのように、お湯を注ぐだけでできるタイプのものだった。なんといっても中国のラーメンである。口では不平を言いながらも、期待は隠せなかった。中国語が読めないので、適当に3分待って、蓋を開けた。ラーメンには似つかわしくない、香ばしいにおいがしたのを覚えている。
一口食べると、いわゆる日本のカップラーメンとは全く違う味に驚いた。何というか、麺自体に複雑な味がついていた。二口、三口と箸は進んだ。試しに食べた母も、「意外においしいのね」と言う。これはもしかしてアタリかもしれない、と思い始めた折り返し地点で、途端に胃が重たくなってきた。それでも、おいしいのかもしれない、という呪詛めいた期待と生来の貧乏性で、スープまで完食した。
それから30分ほどして、私はトイレで全部吐いた。胸やけというだけでは生易しい、体の管という管を丁寧に炙ったような、ひどいムカムカ具合だった。おそらく、麺に練りこまれた脂の量が尋常ではなかったのだろう。実は翌日は遠足だったのだが、その症状はしばらく長引き、私は小学生の一大イベントを断念せざるを得なかった。私は「中国麺」を呪い、未来永劫孫の代まで許さないことを誓った。もちろん、父にそんなことを言えば、彼は不機嫌になりいろいろと面倒くさくなることはわかっていたため、家族はその後、誰も「中国麺」の話題を出さなかった。
だが、それがよくなかった。父が再び中国への出張をしたのだ。おみやげに、彼はまたあの「中国麺」を買ってきた。しかし、私はもとより、母も姉もその存在を黙殺した。棚の奥深くに、缶詰やらレトルト食品に混じって、「中国麺」の袋は日の当たる場所に出ることはなかった。
そんなこんなで、「中国麺」の存在も忘れかけたある日、珍しく父が寝込んだ。身体だけは丈夫な人だったので、私はずいぶん心配をしたが、母は始終冷たい顔をしていた。母の態度に、私が少し非難めいたことを口にすると、彼女は黙ってゴミ箱から空の袋をとり出した。それは、あの「中国麺」の袋だった。どうして父が食べようと思ったのかわからない。食べられず朽ちていくお土産の、父なりの意趣返しだったのか。それとも単にお腹が空いていただけなのか。無論、父に訊けるはずもなかった。
これが私が「中国麺」を嫌いな食べ物にあげる理由である。愛の反対は無関心であり、憎み嫌うことは愛情のまた変異である。嫌いであるためには、相応の歴史と情念が必要なのである。
もちろんそれから「中国麺」に出会うことはなかった。だが先日、私は仕事からの帰り道、突然UFOにさらわれた。公園あたりでぺかーと空から光が差して、銀色のよくある機体に吸いこまれた。吸いこまれた先には、グレイ型の宇宙人が待ち構えていて、私はベッドみたいなところに拘束されると、様々な質問を受けた。この星でもっとも偉大な指導者は誰か(ガンジーと中畑清)、この星における課題はなにか(分断と差別とジャイアンツ)、おまえの特技はなにか(すぐ眠れること)など、調査のための質問をいろいろされた後に、こう訊かれた。
「嫌いな食べ物はなにか」
私は満を持して、「中国麺」と答えた。しかし、宇宙人たちは顔を見合わせ、気の毒そうに首を振った。ああしまったと私は思った。「セロリ」か「パクチー」で答えればよかったと、私は彼らの気まずそうな顔を見て、後悔した。
そこらへんで目が覚めたので、たぶんそれは夢だったのだろう。でも、もしかすると、脳みそを改造されたのかもしれないとも思う。なぜなら、私は少しだけ、あの「中国麺」を食べたくなってきているのだから。
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