8

 とりとめもなく、芽衣のことを考える。小さな頃の芽衣。僕はずっと芽衣に頭が上がらなかった。いじめっ子から助けてもらったこともあったっけ。


 僕も――僕も芽衣を助けたいけど、でもそういうことはなかなか……。今回の件も僕に魔法が使えたら、おばあちゃんの代わりに芽衣の夢の中に行けたかしら。


 そこで、夢の中で、どんな芽衣に会うのかわからないけど……。芽衣とのいろんな思い出が頭の中に押し寄せてきた。それが次第に、あやふやで、意味のわからぬものになっていく。


 芽衣が笑ってこっちを見ている。そのそばに耕太は近寄ろうとするが、できない。走ってるつもりなのに、芽衣との距離が縮まらない。むしろ開いていくように思う。芽衣がくるりと背中を向けた。スカートが翻る。赤いスカート。今よりもっと幼かった頃に芽衣がはいていたスカート。お気に入りって言ってたな……。


 いつの間にか眠っていたらしい。耕太ははっとして目を覚ました。辺りは暗い。まだ夜だ。


 隣のジンが起き上がっている。つられて耕太も起き上がった。ジンのそばにはサミアがいる。


「……起こしてしまったか」


 ジンが耕太を見て、つぶやいた。耕太も声を小さくしてジンに尋ねた。


「どうしたの、何かあったの?」


 暗いのではっきりとは見えないが、ジンの顔が険しい。サミアがいるのも変だ。ジンは耕太に顔を近づけてそっと言った。


「よくないことが起こっているらしい。それで私が呼ばれた」

「よくないことって――」


 おばあちゃんは、芽衣は大丈夫なのだろうか。ジンはついておいでというふうにジェスチャーして立ち上がった。耕太も続く。机の上の眼鏡をとってかける。


 いつもは開け放たれたままにされている、となりの仏間との境のふすまが、なぜか閉められている。ジンは仏間に入り、耕太とサミアも続いた。


 仏間には煌々と電灯がともっていた。眩しくて、耕太は一瞬、うろたえる。仏間にいたのは環だ。小さな戸棚しか家具のない、白々とした明りに照らされた部屋の中に、環だけが一人ぽつねんと立っている。


「おばあちゃん――」


 耕太が声をかけた。環の表情が硬く、その顔は白い光の中にあるせいか、いつもより血が通っていないように見える。


 環は苦しそうに言った。


「……夢の中に入ることはできたわ。けれどもその先に進めないのよ。芽衣が私を拒んでいる。このままでは――この時間の繰り返しから出ることができないわ」




――――




 耕太は黙った。耕太だけでなく、ジンもサミアも環も、誰も何も言わなかった。ようやく口を開いたのは、ジンだった。


「――それで。なぜ私が呼ばれたのだ?」


「わたくしが提案したのでございます」サミアが言った。「この世界の人間がどのように魔法を使うのか、興味がありましたので、環様に同行したのです。環様は夢の奥深くに入ることが叶わず困っていらしたので、わたくしが、殿下のお力を頼りましょう、と」

「私には無理だ」


 小さな声で、ジンは否定した。難しい顔になり、はっきりと言った。


「ここでは魔界ほど魔法が使えない。私のできることは限られている。夢の中に入って、この状況をどうにかせよというのは……無理だ」

「殿下は現在、特別な魔力をお持ちでしょう?」

「特別な魔力とは?」

「砂原家の子どもたちからもらった魔力です」


 耕太は思い返した。祐希兄さんの話。ジンが「もう、もらった」って言っていたもの。僕らからの魔力だ。僕らからの――つまり、愛情や好意といったもの。


 ジンは動揺した。


「……たしかにそれは私の内側にある。そしてもはや父を治すという目的のために使わなくてもよくなったものではあるが……」


「僕らはずっとこのままなの?」不安になって、耕太は尋ねた。小さなかすれた声で、誰にともなく。「ずっとこのまま――28日を繰り返すの?」


 そのうち何も感じなくなっちゃうんだろうか。毎日毎日同じことをやって。それが普通になって。いつしかそれを受け入れて、何も考えなくなってしまう――。


「私は芽衣のことが心配なの」


 苦し気な表情で、環が言った。いつもより、しわが深くなっているように見えた。


「芽衣の魔力は意外に強いものなのよ。強い魔力は危険なの。周囲にだけでなく、その持ち主にも。持ち主を翻弄し、ときには害を与えるわ」


 耕太はジンを見た。ジンは部屋の一点を、じっと凝視したまま無言だった。顔を強張らせ、何かを一心に考えているようだった。


「ジン……」


 耕太はジンに声をかけた。ジンが振り向く。ジンを見上げ、耕太は、のどにひっかかったような声で、短く言った。


「……芽衣を助けて」


 この問題をなんとかできるのはジンしかいないようだ。ジンは耕太の目を見つめ、素っ気なく返した。


「無理だ。私は彼女に好かれていない。私が夢の中に入れるとは思えない」


 そう言って、目を伏せた。耕太の訴えを遮断するかのようだった。環がそっと進み出る。


「私が力になるわ。私が導き、夢の中に入れてあげる。そこから先はどうなるかわからないけど……きっと進めると思うわ」

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