9

「殿下は特別な魔力をお持ちだと申し上げたでしょう?」サミアも近づいてくる。「いくら強い魔力の持ち主とはいえ、相手は人間。殿下にとっては易しい相手でございましょう」


 ジンは黙っている。耕太はいつの間にか両手を握りしめ、ジンから目を離さず、その答えを待った。けれども答えはわかっているような気がした。ジンを信頼しているのだ。さらに嫌だとは――言わないはずだ。


「――わかった」


 やはり素っ気なく、ジンが言った。「私が彼女の夢の中に入ろう」


「ジン!」


 ほら、思った通りだ! 耕太の心がたちまち明るくなる。ジンに近寄って、その手を取りたくなったけれど、図々しい気がしてやめた。ジンはいまだに硬い面持ちのままだ。


 環が笑顔になり、ジンに言った。


「ありがとう。私もできる限りサポートするわ」


 サミアは何も言わず、表情を変えなかったが、なんとなく満足しているのではないだろうかと、耕太は思った。


「上手くいくかどうかはわからないぞ」


 やや怖い顔をし、喜ぶ耕太と環を制するようにジンは言った。耕太はそれに反対する。


「ううん、上手くいくよ! ありがとうジン。これで芽衣も僕らも、救われるんだ!」




――――




 環に案内されて、ジンは芽衣の部屋に入った。カーテンが引かれており暗い。この部屋に入るのは初めてだった。


 きちんと整理のされた、かわいらしい部屋のようだった。ただ、暗いので細かいところはよくわからない。ベッドの上には芽衣が眠っている。穏やかな寝息を立てて、彼女がこの非常な事態を引き起こしたとは思えない。


 ジンは魔法の力を通して芽衣を見た。言われてみればたしかに……彼女にはどこか、周囲と違うところがあるように思われる。けれども今までまったく気づかなかったのだ。この世界では使える力が限られているとはいえ、うかつなことだった。


 環がそっと、芽衣の肩に手を置く。ジンも続けて、環の手の甲の上に自分の手を重ねた。たちまち、何かもやのようなものが自分を襲った。意識が遠ざかっていく。


 ――気がつくと、見知らぬ場所に立っていた。


 大きな建物の、長い廊下だった。廊下の片側には、広い部屋がいくつか並んでいる。部屋の中には同じような服を着た少年少女たち。そして同じ形の机といす。ああこれは――ジンは思った。教室だ。


 ではこれは学校なのだ。魔界で学んだ、人間界の暮らしを思い出す。これはこの世界の人間たちの学校。芽衣の通っている学校なのだろうか。


 ジンは窓ガラスごしに教室の内部を眺める。芽衣と同年齢くらいの子どもたちがあちこちに散らばっ

て、楽しそうに会話をしたりふざけたりしている。声は聞こえない。また、彼らにはこちらが見えないようだ。


 芽衣はどこだろうと、ジンは教室の中を探した。いた。ぽつねんと、いすに座っている少女がいる。あの子が――芽衣だ。


 奇妙な印象を、ジンは受けた。いつもの芽衣とは違う。勝気でしっかり者の少女ではない。うつむくように、周りから切り離されているかのように、芽衣は座っている。誰も彼女に声をかけるものがいない。周囲の明るさは、芽衣にはまるで無縁のようだ。


 芽衣に何か声をかけたくなった。窓を開けようとするが、開かない。教室のドアに向かったが、そちらも鍵がかかってるかのように閉ざされていた。そのうちチャイムが鳴る。教師と思しき大人がいつの間にか教室内に現れて、生徒たちが席についた。授業が始まるようだ。


 ジンの目の前で、早送りのように物事が進んでいく。たちまち授業が終わり、また休み時間となる。やはり、芽衣は一人だ。先程と同じように、誰も芽衣に声をかけない。


 ドアが開いて、子どもたちが出てきた。けれども思った通り、彼らにはこちらの姿が見えていないのだった。ジンのかたわらを、子どもたちは空気のように歩いていく。


 芽衣も出てきた。芽衣にはこちらが見えるだろうか。声が聞こえるだろうか。けれども芽衣はジンのほうを全く見ることなく廊下の先へと進んでいく。


 なぜか追いかけるのがためらわれた。


 またチャイムが鳴り、授業が始まる。芽衣と話すことができぬまま、時だけが過ぎていく。給食の時間があり、午後の授業がある。日が傾き、放課後になる。ずっと芽衣は一人のままだ。


 子どもたちがかばんを手に、全員、教室から出て行った。夕暮れの教室に、芽衣だけが残されている。ジンは再び、ドアに手をかけた。今度は驚くべきことに――開く。


 ドアを開けて、ジンは室内に入っていった。




――――




「芽衣」


 ジンはそっと声をかけた。机の中のものを自分のかばんに入れ終えた芽衣が、ジンのほうを見た。冷ややかな眼差しだった。


「……。その……私が見えるか?」


 ジンは尋ねた。芽衣は少し首をかしげる。そして頷いた。


「見えるけど。どうしてあなたがここにいるの?」

「それは……」


 何を言えばいいのだろう。やるべきことは決まっている。芽衣を説得し、なんとかこのループから出ること。そのために自分はこの夢の中に入ったのだから。でも……どうすればそれができるのかわからない。

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