第二章 空色ジェラシー

1

 次の日になり、砂原四兄弟の末っ子である翔が芽衣の家にやってきた。小学五年生で、よく日に焼けて、快活そうな顔をしている。兄の耕太とは違い、外交的で明るい性格なのだ。


 芽衣の母親が車で駅から連れてきて、母親はそのまま今度は環を連れてでかけてしまった。芽衣の父親は仕事に行っている。そのため、この家には現在、子どもたちしかいない。


 翔が荷物を持って玄関から入ってくるのを、耕太はたちまち捕まえた。


「あのさ、驚かないでほしいんだけど」耕太は翔の腕を捉え、真剣な顔をして言った。「うちにさ、魔物がいるんだ」


「魔物? 何?」

「魔物だよ! 魔界から来た魔物。人間じゃなくて――あ、見た目は普通の人間なんだけど、魔法が使えて――」


 翔は黙って耕太を見つめた。


「これ、なんの遊び?」

「いや、遊びじゃないんだよ! ほんとのことで……」

「全部ほんとなのよ」


 芽衣もやってきた。「魔物がやってきたの。つい昨日。私も初めは信じられなかったし、今も何がなんだかだけど」


「でもほんとの魔物なんだよ!」


 奥からジンが登場する。翔はきょとんとしてジンを見た。


「こんにちは。――えっと、お客さん?」


 後の言葉は耕太に向かって言ったのだ。耕太は笑った。


「違うよ! この人が魔物なんだよ! ジンって名前で」

「ええ……でも……」

「証拠を見せてやろう」


 ジンは言った。翔の周りにふわふわと青白い火の玉がいくつか浮かぶ。翔が声もなく驚いていると、ジンは今度は火の玉を自分の周りに集めた。


 そしてそれをお手玉のようにくるくると回して見せた。翔がますます目を丸くする。


「え、なにこれ、手品?」

「手品じゃないぞ」


 ジンが言う。そしてパチンと手を叩くと、火の玉はたちまち全て消えてしまった。


「すごい……」翔が声を絞り出すように言った。「なに、こいつ、すげーじゃん!」


「うん、だからね、魔物なんだよ!」


 耕太は驚く翔を見て愉快な気持ちになってしまい、翔の腕を掴んだまま、それをゆさゆさと揺さぶった。


 ジンは笑顔でいるが、多少、複雑な色がそこに混じっている。


「そう、私は魔物なのだ。……と、それはいいのだが、どうしてこの家の者は私のことを『こいつ』と呼ぶんだ?」

「それはさておき」芽衣が言った。「翔、ともかく上がったら? 荷物を置いてきなさいよ」




――――




 素直な翔は、ジンが魔物であるということをたちまち飲み込み、受け入れ、そしてたちまちジンと仲良くなってしまった。


 翔が魔界のことを尋ね、それをジンが得意そうに話しているのを微笑ましく見て、耕太は離れへと向かった。今日の分の宿題をまだやっていないのだ。


 翔にジンを紹介しなければと思うと、なぜだか気持ちが舞い上がって、宿題が手につかなかったのだ。8月も後半になっている。もう大半の宿題を終わらせてしかるべきなのだが、夏休み初めに作った予定表ではそうなっているのだが、どういうわけか、まだまだたくさんの宿題が残っている。


 なお、芽衣に宿題の進み具合を聞いたところ、ほとんど終わらせたとのことだった。


 とりあえず、今日の分を片付け、その後耕太は再び座敷へと足を向けた。廊下を歩いていくと、翔とジンの楽しそうな声がする。見ると、二人で楽しそうに、タブレットでゲームをしている。


 座敷に入らず、二人に声をかけず、耕太はそこで足を止めた。急にふと、悲しくなったのだ。理由はわからない。ただ――二人はとても楽しそうで、そこに自分が入る余地などないように思える。


 さっきは、二人が仲良くなったことを喜んだのに、と耕太は思った。変なの、どうしてこんな気持ちになっちゃったんだろう。


「なんで立ち止まってんの?」


 背後から、声がした。芽衣の声だ。耕太は驚いて振り向いた。いつの間にか、すぐそばに芽衣が立っている。


「いや――二人が仲良くなってよかったな、って」

「そうね。翔は誰とでも仲良くなるじゃない」

「うん」


 僕は違うけどね、という言葉を、耕太は慌てて飲み込んだ。翔はあまり人見知りをせず、社交的だ。友だちも多い。けれども僕は違う。とても人見知りだし、人付き合いが上手くないし、友だちも少ないし……。


 ジン、楽しそうだなあ、と耕太はジンを見て思った。ジンと翔、二人して笑っている。芽衣もそれを見て言った。


「あの二人、似たもの同士よね。二人とも性格が明るくて単じゅ――素直で、楽しいことが好きなの」

「そうだね」耕太は同意した。「でも……でも僕はそうじゃない。明るくないし」


「まあ大人しいほうね」


「それに単純でもないよ」皮肉に笑いながら、耕太は言った。「僕はもうちょっと、思慮深いんだ」


 そこまで言って、言葉の中にある棘に気づいて、耕太は黙った。芽衣が少し戸惑った顔で耕太を見ていた。


「どうしたの。なんだかいつもとちが――ああ、そうか」


 そう言って、芽衣はわずかに耕太に近づいた。

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