7

 トラはどんどんと空をかけてゆく。大きな宮殿が見えた。青と白のタイルで飾られた輝くばかりの宮殿だ。丸屋根がいくつか、藍色の空に映えている。


 宮殿の中庭には女性たちが集っていた。琵琶のような楽器を抱えて演奏している女性、歌っている女性、それらの輪の真ん中に、踊っているすらりとした姿の女性。踊るたびに、耳飾りや腕飾りが揺れる。その涼やかな音が聞こえてきそうだ。


「何かいる!」


 前方を見て、芽衣が言った。耕太もそちらに注意を向けた。一瞬、巨大なものが丸屋根の背後に見えたような気がした。けれどもそれはすぐに消えた。


 宮殿から人が出てくる。長く緩やかな服を身にまとい、ターバンを頭に巻いている。ふっくらとした身体つきの中年の男だ。男は外へと歩き出す。そこへトラが降りていく。


 男は、トラを見て少し驚いた顔をした。けれども怖がりはしなかった。トラの背中にいる二人に微笑みかける。来るのがわかっていたかのようだ。


 トラが地面に着地し、耕太と芽衣もその背中から降りた。男が笑顔で歩み寄ってくる。耕太は挨拶をしようとして、けれども言葉が口から出る前に固まってしまった。男の背後に何かいる。大きな大きなものだ。ひょっとして、さっき、丸屋根の向こうに見えたものかもしれない。


 それは巨大な人物だった。大男だ。チョッキのような上着を羽織り、長いズボンをはいている。耳には金の大きな飾りをつけている。それがきらきらと光って揺れている。


「驚かせてしまいましたな」


 男が笑顔のまま言った。「これは私の魔物なのです」


 男はそう言って、大男のほうを振り返る。男は続けて言った。


「ランプをこすったら現れたのです。そうして私はこの魔物のおかげで富と幸福を得ました」

「ああ、その話知ってます!」


 嬉しくなって、耕太は叫んだ。


「魔法のランプの話でしょ! 読んだことがあります!」

「おや、本になっているのですか」

「そうなんです、とっても有名ですよ」


 大男はにこにこと三人を見下ろしていた。人が良さそうな顔をしている。


「ランプの精なの」


 感心したように、芽衣が言った。「うちに来た魔物とは……違う」


「ジンのこと? たしかにそうだね」

「うちの魔物は富と幸福を与えてくれるかしら」

「うーん、どうだろう……」

「ランプの精はごちそうを持ってきてくれたけど、うちは、魔物のほうにご飯を持っていかなくちゃいけないのよ」


 耕太が苦笑した。


 耕太はほれぼれと大きな魔物を見上げながら言った。


「たしかに、ごちそうは持ってきてくれないようだけど……富ももたらしてくれないだろうけど……、でも幸せは別じゃない?」


 そうして、耕太は芽衣のほうを見た。


「少なくとも今、僕は幸せなんだ」

「そうなの。私もよ」


 そう言って、芽衣は笑った。耕太は意外に思った。でも、芽衣は本当に、この状況を楽しんでいるようだった。


「お客人、宮殿の中を見てまいりますか?」


 ターバンの男が言った。耕太は迷った。どうしよう。ヤシの木の上でジンが待ってるし……。でも少しくらいならいいんじゃないかな。


 芽衣の目を見る。芽衣もまた、いいんじゃない? と言っているようだった。


 そこで耕太は元気よく言った。


「ぜひ!」




――――




 子どもたちは再び、トラの背中に乗ってジンの元へ帰って行った。


 宮殿は素晴らしいものだった。珍奇なもの、美しいもの、愉快なもの、楽しいものをたくさん見た。ランプの精は本当にごちそうを持ってきてくれた。二人は銀のお皿で、おいしいお肉やパンをたくさん食べたのだ。


 帰り道では、精霊たちの一団に出会った。彼らは楽しそうに歌いながら踊りながら空を飛んでいた。彼らが舞うたびに、銀の鱗粉がちらちらと飛び、夜空にきらめいた。ちょうど耕太たちとすれ違いになり、精霊たちはこちらに手を振ったり笑顔を向けたりした。


 最初に現れたところに戻ってくる。二人がトラの背中から降りると、トラはたちまち消えた。耕太は少し切なくなった。もう少し、一緒にいたかったのにな。


 いつの間にかジンが木から降りて、二人のそばに立っていた。ジンは微笑んで尋ねた。


「楽しかったか?」

「うん! そろそろ、元の世界に戻ろっか」


 耕太の言葉にジンはやや驚いた。


「もういいのか?」

「いいよ。もう十分楽しんだんだ」


 それに……と耕太は思った。本当に元の世界に戻れるのか、少し不安になってきた。ジンのことは信頼しているけれど。でも、彼のことをきちんと全て知っているわけではない。


「では来たときと同じように」


 ジンが手のひらを出す。耕太と芽衣がそれに手を重ねた。


 ――またもめまいに襲われた。そして気づくと――よく知った、芽衣の家にいた。




――――




 離れだ。なにも起こっていないかのようだった。離れに、三人がいる。けれども時計を見ると、時間が経過していることがわかる。


「……すごいよ!」


 耕太はジンに言った。「ほんとにすごい! ほんとに……ほんとに、君は魔物なんだね!」


「そうだぞ。そう言ったじゃないか」


 ジンが大いに笑っている。


 興奮と安堵が、耕太の胸に湧き上がった。ちゃんと元の世界に戻ってこれた。よかった。ジンは、信頼していい魔物のようだ。夢の世界で見た、あのランプの魔物とは違うけれど。


「すごいね、魔物って」


 ため息をつくように、耕太は言った。「僕も魔法が使えたらなあ……」

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