5

「……中に何が入ってるんだ?」

「梅干しだよ。あ、ごめん、ひょっとして嫌いだった!?」

「嫌い……というより、食べたことない……。すっぱい……すっぱくてしょっぱい……」

「ごめん、ごめんね、口に合わなかったんだね!」


 おろおろしている耕太の横で芽衣が言った。


「なんで謝ってるの」

「変なもの食べさせちゃったから!」

「梅干しは変なものじゃない。私たちはこいつの好みを知らなかった。わざと嫌なものを食べさせたわけじゃない。謝るのは不要」

「でも……」


「こいつって言うんじゃない」むっとした顔でジンは言った。


 芽衣が真面目な顔をして言い返した。


「申し訳ございません。殿下」

「殿下も違う」

「でも王子でしょ」

「うんまあそうだ。たしかに、魔界では殿下と呼ばれているが」

「魔界ってどんなとこなの?」


 芽衣とジンがあまりいがみ合ってはいけないと思い、耕太が強引に間に入った。ジンは笑顔になり、耕太のほうを向いた。


「素晴らしいところだぞ。たくさんの魔物たちがいるんだ。それぞれ形も様々、能力も様々。大きなのもいれば小さなのもいる。美しいのもいれば醜いのもいる。おおむね平和で、我々は音楽と踊りを愛し、楽しく暮らしているんだ。

 国もたくさんあるが、私の国は特に大きく豊かなんだぞ。ああそうだ、人間よりも寿命が長い。さらに魔法の力で人間にはできない様々なことができ……おっと、そうは言っても、我々は人間のことを、劣った生き物とはみなしていない」

「う、うん……」


 なんとなく複雑な気持ちになりながらも、耕太は頷いた。ともあれ、自分とその仲間、彼らが暮らす世界にここまで愛情と自信を持てるのは羨ましいなあと思う。


「その寿命も短ければ魔力も使えない、そんな人間のところになぜ、修行に来たの?」


 芽衣が尋ねる。ジンが言葉を濁した。


「それは……ええと……つまり、見聞を広めるためというか……」


 芽衣の目が、ジンを見ながら、怪しい奴と言っている。耕太はまたも二人の間に入った。


「あのさ! 夢を見せてくれるって言ったよね!」


 ほっとしたように、ジンは耕太を見た。


「そうだとも。どんな夢が見たいか決まったか?」

「うん」


 隣で芽衣が驚いた顔をした。


「ずいぶんと早いのね。いつもはなにかを決めるのにとても時間がかかるじゃない。コンビニのお弁当一つ選ぶのに、どれだけ迷うことか……」

「いや、迷ってても仕方ないなって思ってね」


 芽衣とジンが対立して、ある日突然ジンが出て行かないとも限らない。だったら、早く願いをかなえてもらおうと思ったのだ。


 それに芽衣が言う通り、自分は決断が遅い。そして大体の場合、ただ無駄にあれこれ悩んでいるだけのような気がするのだ。無駄な時間を過ごすのもどうかと思うので、ここはすっぱりと決断をしたい。


「アラビアンナイトみたいな世界に行きたいんだよ」


 耕太がジンに言った。ジンは怪訝な顔をした。


「アラビアンナイト?」

「そう。そんなタイトルの物語があってね、えーっと、どう言えばいいのか……中東を舞台に……中東ってわかる?」

「いや、私がそれを具体的に知らなくてもいいんだ。君が頭の中に思い浮かべていればいい。私の魔力がそれを形にする」


 そう言って、ジンは手を差し出した。


「さ、この手を取って。そのアラビアンナイトの世界とやらに行こうじゃないか」


 耕太は困惑した。


「夢って……寝てるときに見るやつじゃないの? 夜まで待たなくていいの? それともこの場で今から僕が寝たほうが?」

「寝なくてもいいんだよ。寝てるときに見る夢とは違い……まあなんというか、魔法の力で作り上げるやたらと現実味のある幻だから」


 耕太は迷った。こちらに差し出されたジンの手のひらを見る。大きな手のひら。はたしてここに自分の手を重ねてよいものだろうか。


 ジンは……おそらくそんなに悪いものではないだろう。たぶん。ただ、出会って間もないし、わからないところが多々ある。彼の言葉はおおむね信じている。魔界の王子だとかそう言ったこと。けれども――全てを信頼しているわけではない。


 ひょっとしたら夢の世界ではなく、もっと恐ろしいところに連れていかれるのかも……いや、もしかすると、命を取られてしまうのかも! 耕太はにわかに不安になった。そして、芽衣のほうを見た。


 芽衣が、何を考えているのかよくわからない顔で、こちらを見ている。


「あ、あのさ!」耕太はジンに向き直ると、言った。「芽衣も連れていけないかな!」


「芽衣も?」

「そう! その夢の世界とやらに……」

「できるよ。三人一緒に行こうじゃないか!」


 耕太は少し後悔した。もし、ジンの手を取った先に待っていた世界が恐ろしいものだったら。芽衣も危険にさらしてしまうことになる。けれども、一人で行くのは怖いし、芽衣がいてくれればとても心強いのだ。耕太は、この気の強いいとこを、頭が上がらないながらもとても頼りにしていた。


「私も?」


 芽衣が嫌そうに顔をしかめる。耕太が声を励まして言った。


「ね、行こうよ! 芽衣が来てくれると助かる……えっと、三人のほうが楽しいと思うし」

「別にいいけど」


 予想に反して、あっさりと芽衣は言った。耕太はほっとする。


「では三人一緒に」


 ジンが言う。耕太はおそるおそるジンに手を伸ばした。その手のひらに指が触れる。芽衣も横からそっと、手を出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る