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 でも魔物なのだ。本人がそう言ってるし火の玉の件もある。耕太は徐々にわくわくしてきた。この状況を楽しむ余裕が出てきたのだ。


 魔物がいるんだ! 目の前に! 憧れていた魔法の世界が――そこの住人がこうやって、現実に現れたんだ! 耕太はジンを見た。さっき読んだアラビアンナイトでは――そう、魔物が願い事を叶えてくれた。今、ここにいる魔物はどうなのだろう。何かやってくれるのだろうか。


「魔法、使えるんだよね」


 期待に満ちて、耕太は訊いた。ジンの表情が少し困ったものになる。


「魔法は使えるさ。もちろん。でもここでは……。魔界の生き物は、あまり人間界で魔法を使ってはいけないことになっているんだ。二つの世界はあまり関わり合いになることが好ましくなくて……でも余程のことがあれば別だな」

「余程のことって?」

「それは……余程のこと」


 答えになってなかった。ジンはあまりこのことについて言及したくないようだった。


「でもさっきの火の玉は」


 耕太は言った。あれは魔法だ。


「あの程度なら許されている。あれはただの幻だ。この世界に影響を与えるものではない。そう、私は君たちに幻を見せることならできる。幻とか、夢とか。それで、私は君たちにお礼がしたいんだ」

「お礼?」

「この家に滞在することを許してくれるなら、それに対してお礼がしたい。君たちに夢を見せてあげよう。好きな夢を」

「へー、いいね!」


 耕太は声をあげた。芽衣は黙っている。


 耕太の嬉しそうな顔にジンは気をよくしたのか、笑って言った。


「一人につき一回までだぞ。どんな夢でもお望みのままに――」

「でもただの夢でしょ」


 得意そうなジンを遮って、芽衣が言った。「幻でしょ。現実じゃないんでしょ。意味あるの」


「ただの夢じゃないぞ」ジンがむっとして言い返す。「すごくリアルな夢なんだ。それに好きな世界に行ける。いいだろ?」


「でもおなかも膨れないし、目が覚めたら終わっちゃう」

「僕はいいと思うけど……」


 耕太が小さな声で言った。芽衣とジンとの間がピリピリしたものになりつつある。ここで二人に喧嘩されても困るのだ。


 ジンの気が変わって、別の家に行く、とか言われても困る。せっかく魔物がやってきたのだから、魔法を使ってくれるのだから、それを楽しみたい。


 その時、「にゃー」という声がした。見ると、尻尾の短い三毛猫がこちらにとことことやってくる。フカシギという名前の、この家で飼われている猫だ。主に環が世話をしている。


「フカシギ」


 耕太が声をかける。ほとんど同時に、ジンの叫び声がした。


「猫!」


 飛び上がらんばかりに驚いている。いや、怯えている。座った姿勢のままではあるが、フカシギから可能な限り身を遠ざけている。


「猫、苦手?」


 耕太が尋ね、芽衣がそばに寄ってきたフカシギを抱き上げた。


「怖いの?」


 芽衣がフカシギを抱き上げ、ジンに近づけた。その目が楽しそうにきらきら光っている。芽衣は微笑んだ。


「怖いんだ、猫」


「魔界の猫は恐ろしいんだぞ!」怒り顔で、ジンが言い放った。「普段は小さい、というかこの猫くらいのサイズなんだけど、攻撃するときはこんなに大きくなって……」


 そう言って、ジンが両手を振り回す。


「噛まれたことがあるんだ」深刻な面持ちで、ジンが二人に言った。「子どもの頃。大きくなった魔界の猫に。それは大変だった。たくさん血が出たし、その後ひどい熱も出た。生死の境をさまよったんだぞ」


「それは大変だったね」同情を込めて耕太が言う。「でもフカシギは魔界の猫じゃないよ。大きくならないし」


「大きくならなくても!」


「芽衣……」耕太はそっと芽衣に声をかけた。だんだんとジンが気の毒になってきたのだ。「フカシギをあまり近づけないほうが……」


「何かあったの?」


 急に声がして、耕太はびっくりしてそちらを見た。芽衣もジンもだ。ふすまのところに人が立っている。騒いでいたので、足音に気づかなかったのだ。


 祖母のたまきだった。70代になるがしゃっきりとしており、きちんと結われた白い髪が美しい。くりっとした目は芽衣に似ていた。環は耕太たちのほうを見つめながら言った。


「なんだか騒がしいみたいだけど……」

「あ、あの、えっと、その!」


 ジンのこと、なんて説明しよう、と耕太は焦った。正直に、魔界の王子ですって言えばいいのかな。でも信じてくれるだろうか……まあいざとなったら、ジンが火の玉を出せばいいんだけど。


 けれども環の様子がおかしいことに耕太はすぐに気づいた。ジンについて、なにも訊かない。「お友だち?」くらい言ってもよさそうなのに。お友だちにしては年齢が上だと思うけど。


 おばあちゃんに見えているのは僕と芽衣と、フカシギだけのようだ。


「あら、フカシギ」


 フカシギが芽衣の手から離れて、環のほうへ行った。続けて、環を見てにゃんと鳴く。何か報告するように。


 それを見て、環は微笑んだ。


「そうね、フカシギと遊んでたのね」

「そう! そうなんだよ!」


 混乱しつつ、耕太は言った。どういうことなのだろう。環には……ジンが見えていないのだ、おそらく。


「フカシギ、お部屋に帰りましょ」


 そう言って、環が歩き出す。フカシギも尻尾を立ててその後についていった。環の足音が遠ざかり、耕太はほっと息を吐き出した。芽衣を見ると、芽衣も戸惑った表情でこちらを見、口を開いた。

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