第51話 迫る『手』
『マタド=ナリ』について、俺はこう言った。
感覚としては、秋葉原の電気街くらいの広さと密度だと。
その広さがどれくらいかと言うと、南北は神田川から蔵前橋通りまで。東西は昭和通りから昌平橋通りまでの約500メートル四方だ。
500メートル四方と聞いて『狭い』と感じたかもしれない。俺もヲタ仲間からこの話を聞いた時は、そう思った。しかし試しに地図で測ってみたところ、確かにその通りだった。そして比較として新宿歌舞伎町の面積を調べたところ、こちらも約500メートル四方となっていたのだった。
何故いまこんな話をしているのか?
理由は、イゼルダのいる宿の屋根と、俺たちの距離について説明するためだ。直線距離としては、200メートルもない。もちろん、馬車が街路を征く距離は、その何割か増しになるが、イゼルダやその周囲で働く人影を目視するには、十分な近さだ――少なくとも、転生して異世界の無敵殺伐幼女となった、現在の俺にとっては。
『壺』から、こちらに向かって伸ばされてくる『手』。
自由に形を変えられるナタデココが商品化されたら、きっと、こんな感じになるだろう。夜空の深い群青に無色の輪郭線を残しながら、『手』は揺らめき近付いてくる。
イゼルダの『
いま俺に浮かんだ手順によれば、『手』を斬ることは十分可能だ。『容易に』と付け加えてもいい。間近に迫られても、そしていま直線距離にして100メートルを斬るところまで『手』は近付いているわけだが、この距離を挟んだままでも、俺にはそれを両断して退ける手順――すなわち、それを可能とする剣技があった。
しかしだ。
いま俺は、群舞の中にいる。
俺と『手』の間には、共に踊るメンバー達がいた。
イゼルダのように、
離れたままの状態で斬れば、間にいるメンバーまで斬ってしまう恐れがあったし、かといって間近に迫ってくるまで待ってたら、その途中で『手』にメンバーが害されないとも限らない。
例えば、メンバー達の背丈より高くジャンプして、離れた『手』に斬撃を飛ばす。それなら、メンバー達は無事なまま、『手』を排することが出来る。これなら、問題は無い。
いや、それでも問題はあった。
改めて言うが、いま俺は、群舞の中にある。みんなと一緒に踊っている。その中で、一人だけジャンプしてしまったら、踊りが台無しになってしまうではないか。
ああ……いままた、俺は慚愧する。
こんなことを考えるのは、欲をかいているからだ。1時間半くらい前、
こんな即席のグループの即席のステージ。練習なんて1時間しか行っていないというのに、なんたる図々しさ! 浅ましさ! 恥ずかしさ!
しかしだ。
赤面しながら、だが俺は、こうも考えていた。同じことを、他のメンバーにも言えるだろうかと。即席のグループであり、仮にこのステージが無惨な失敗に終わったとしても、それを惜しく思うほどの
しかし、俺は言えるだろうか。
そんなことを、俺は、彼女たちに言えるだろうか? いや。俺に、そんなことを言ってしまえる資格はあるのか?
彼女たちは、このステージのために、何も費やしていない。もしかしたら、そんな前提自体が、おかしいんじゃないか?
そしてそれは、俺自身にも言える――
そんなことを考えながら、歌い踊る。
そんなことをしてたからだろうか。
ほんの一瞬。
身体中がふわふわして、俺は、まるで空に浮かんでるような気分になってた。馬車の上のステージ、そこで踊るメンバー達、そして俺。馬車を囲む観客。建物の窓からステージを見ている人たち。何もかもを、空から見下ろしてるような気分だ。
そんな気分で、俺は見てた。
『手』が、弾け飛んだ。
空を横切った雷球が、命中したのだ。
イゼルダの、横からだった。
ルゴシだった。
宿の屋根にいるイゼルダの、その側にルゴシが立っていた。グイーグ国最強と謳われるA級冒険者にして金線級魔術師は、人差し指と中指を立てた手を前に突き出し、もう片方の手では、古い喩えになるが、iPodの丸い部分を操作するような手付きで、親指を忙しなく動かしている。
そして飛ぶ――雷球が。
消し飛ばされるたび、また新たに俺に向かって伸ばされてくる『手』を、そうやってルゴシが、また消し飛ばす。
それが何度か繰り返される間に、2曲目が終わった。
1曲めの『大きな愛でもてなして』。そして2曲めの『夢見る15歳』。
だから次は、また『大きな愛でもてなして』を歌うことになる。でもその前に、ちょっと間を空けた方がいいだろう。
観客に向かって、メンバー全員で手を振る。馬車の上で、お互いに位置を入れ替えながら。
そんな時だった。
通信の魔道具が、声を伝えてきた。
『ダハハハハ。凄いね、君。歌、上手いじゃない』
ルゴシからだった。
『イゼルダ様から、君に指示が出た。馬車が宿の前に着いたら、イゼルダ様の隣に来てくれってさ。『
こっちの都合は訊かず、言いたいことだけ言って通信は打ち切られた。こちらに伸びてくる『手』が倍増したことを見れば、理由は分かる。話しながらじゃ、流石のルゴシにも対応しきれないってことだ。
『手』が増えた理由は、俺がイゼルダに近付くと不味いと『壺』が認識したからだろう。
もしかしたら『壺』が『手』を使って吸い上げる情報の中には、俺たちの会話や作戦も含まれているのかもしれないというか、その可能性は高いと言わざるを得なかった。
とにかく、馬車が宿の前に着いたら、俺はイゼルダのところに行く。
つまり、ステージを離れざるを得ない。
『大きな愛でもてなして』も『夢見る15歳』も、俺抜きではパフォーマンスが成り立たない。
つまり、俺がイゼルダのところへ向かった時点で、ステージが終了するということだ。
それをメンバーに伝えるのは、気が重かった。
しかし――
「大丈夫です!」
「ステージは続けられます!」
「私達にはアレがあります!」
「アレが!」
――そう言って、彼女たちは不敵に笑ってみせたのだった。
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