第30話 黒い代行者


 冒険者は、緩い。


 あらゆる面、あらゆる意味において緩い職業だ。だからその分、『掟』として共有されてるルールについては、厳格に守られることになる。『出自で差別しない』『日が暮れるまでは酒を飲まない』『喧嘩は握手で終わる』『助けられたら銅貨5枚』等々。そして――


『他人の能力を詮索しない』


――というのも、その1つだった。


 情報セキュリティの観点から、こういうルールがあるのは当然だろう。そして前世の俺よりも、転生後の俺――インターネットなんて無いこの世界の冒険者たちの方が、ずっとリアルに、情報漏えいの恐怖を知っていた。


 死ぬからだ。


 生死に直結する戦いが溢れたこの世界では、情報はまさしく武器になる。冒険者個人の持つ能力は、現代で言うなら戦車や戦艦のスペックみたいなものだ。そう考えれば、それを聞き出そうとする行為がどんな意味を持つかは言うまでもないだろう。


 だから、イゼルダが自分の能力――『前払いでOKアドバンス・ペイメント』について俺に明かしたのが、どれだけ特異なことだったか。そして明かされた能力の特殊さもあわせれば、単純に迂闊な行為と嗤うことも出来ない。


 思い出すことがあった。


 前世でのことだ。会社で会議室の前を通りかかったら、ドアが空いていて、部長が1人で休んでるのが見えた。向こうも俺に気付いて手招き。中に入ったら、会議で余ったお菓子を食べてけと。そこに座れと。言われたとおりにしてたら、部長が天井を仰いで話し始めた――俺の課の課長が、業者にリベートを強要してるらしいこと。それが、他の部の部長の手引きで行われてるらしいこと。それに、役員たちが注目してるらしいこと。それを、創業家に取り入る材料としようとしてる役員もいるらしいこと――いきなりそんな話をされて、主任になったばかりの俺は、背中に嫌な汗をかくくらいしか出来なかった。


 いきなり重い情報を共有する――押し付けることで、相手を自分に縛り付ける。そういうコミュニケーションの技術がある。付き合ってるか付き合ってないか微妙な段階でリストカットの痕を見せたりする女性も、その一種だろう。俺ではなく、会社の先輩の体験だが。


 イゼルダが自分の能力を明かしたのも、同じに違いない。もちろん、自分の能力について、絶対の自信があるのが前提になる。知られたところで、不覚を取るようなことは無いという確信が。


 ところでだ。


 いま俺の中には、誘惑が渦巻いている。

 自殺衝動タナトスといってもいい。


 それは、こんな質問をしてしまいたくなる衝動だ。


『『前払いでOKそれ』で、私を殺せますか?』


 もし俺がイザベラで、そんな質問をされたらどう答えるだろう? にっこり笑って『殺して欲しいの?』とか?――ダメだ。訊いちゃダメ。絶対に訊いたらダメなやつだそれ。そんなことを考えてたら――


「なんだか楽しそうね? クサリさん」


――ミルカに、言われてしまった。


「そうですかあ?……」


 はぐらかしながら俺は、もじもじ。意図してそうしたわけではない。まったくのナチュラルで、ついついそうしてしまったのだ。前世の俺なら、さぞキモかったことだろう。だがいまの俺は、美幼女KUSARI。


「「……っ!」」


 ミルカとイゼルダが、揃って息を呑むのが分かった。顔を見合わせている。くそう。前世の俺を、ここに連れてきてやりたい。いまの俺を、見せてやりたい。きっと、喜ぶだろうな……


 そうこうするうちに、目的地はもうすぐそこ。

 言われたわけではないが、分かった。

 馬車が行く道の先。


 そこに、燃え上がる建物があったからだ。


 ●


 深夜だが、街路には人が溢れていた。

 花街の客や従業員が、延焼を恐れて逃れてきたのだろう。


 馬車が停まったのは、燃えてる建物から数ブロック離れた場所。

 イゼルダが言った。


「この子の『贈与物ギフト』も、基本的には私の『前払いでOKアドバンス・ペイメント』と同じなんだけど、顕れ方・・・が違うのよね――ほら」


 ぬたり、ぬたり。


 粘着質な音が聞こえてきそうな足取りで、街路を征く人影があった。1つではない。いくつも、いくつもだ。ふ、と何もない空間から顕れ、踏み出し、歩きだす。そして、街路で火災を眺める人々の間に紛れ込み、向かっていく。燃え上がる、建物に向かって。


 ミルカが言った。


黒い代行者ブラック・サブスティチュート』――そう、呼んでいます」


 人影は、どれも同じ背格好。男か女かも分からない。全身を、真っ黒に塗りつぶされていた。彼らの輪郭とその内側だけが、景色に暗い穴が空いたような状態になっている。昔の特撮の、合成に使うマスクみたいでもあった。


「ひっいぎぃいいいいいいいっ!!!」


 建物から逃れてきた、男が街路に飛び出す。

 全身が、火だるまになっていた。

 そしてその背中には――


「ほら、あれ。あれがね、この子の『黒い代行者ブラック・サブスティチュート』――『贈与物ギフト』が顕す『結果』なのよ」


――イゼルダの指差す通り、黒い人影がしがみついていた。


 ミルカが言った。


「私が望んだのは『スネイル』の拠点壊滅と王都にいる構成員の滅殺。コストはポーションを3瓶と食事を7回、それから馬を2日間借りる代金――ところでクサリさん、乗馬は?」


「未経験です」


「だったら、一緒にお稽古しましょ? 私がお教えします。学校が始まる頃には、そこらへんの騎兵より上手にしてみせますから」


「うぎぁあああああっ!!!」


 街路を歩いてた男が、いきなり燃え上がった。

 背中には、やはり黒い影。


 また別の男の背中に、歩み寄った黒い影が飛び乗る。

 燃える。


「い”い”い”い”いいいいいっっ!!!!」


 さて疑問に思うべきは、俺に、あの黒い人影が見えている・・・・・ということだ。

 街路にいる人々は、自分たちの間をうろうろする黒い人影かれらに、まったく気付いていない。


 では何故、俺には見えているのか?


 そんな俺の疑問に、気付いたのか。

 それとも、ただふと呟いただけだったのか。

 イゼルダが言った。


「『贈与物ギフト』は、それが……そういうモノがあると、分かってしまえば見える。そうでなければ見えない――騙し絵みたいなものなのよ。騙しのカラクリに気付いてしまったら、もう二度と以前のように見ることは出来ない……そういうものなの」


 ああ、なんかやっぱりそういう――重いものを背負わせるわけですね。


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