第22話 VS亜龍(3)


 声を失う乗客たち。

 静まり返った車内に、少女たちの独白が流れる。


「わたしたちが虐められてるのを見たからって。だからだって――そう言って、あの人は、奴隷商人の館に1人で来たんです」


「あの人は、強い人なんですか?――確かに奴隷商人の護衛は、簡単に斃して。でも館の奥から出てきた人たちには、あの人の出した炎も水も、全部跳ね返されて」


 馬車の外、しゃがみ込むあの人ルゴシ

 その背中――魔導衣ローブに滲み広がる、赤。

 隠しようもなく、考えるまでもなく。

 それは、血の赤だった。


「なのにあの人は、わたしたちを庇って。何度も斬られて、蹴られて、殴られて、それなのに。いくつも使い魔を出して、闘って」


「思うんです――あの人ひとりだったら、きっと、もっと簡単に勝てたはずなのにって。あんな恐ろしい場所に、来なくても良かったのにって」


 ルゴシは、馬車に乗った時点で既に満身創痍だったのだ。


 魔導衣ローブを脱ぎ捨てた、裸身。

 斬られ、灼け、撲られた痕が、彼の激闘を物語っていた。

 同時に、亜龍族デミドラゴンの退治なんて、とうてい不可能だということも。


 彼の口元が蠢く。

『鎖』が拾い上げた声は、こうだ。


『我が血肉を……吸い上げ、蠱惑の蜜とせよ。群翅となり報せ……此処に在りし贄を。彼の者に……与えん…………我を』


 ルゴシの肌を濡らす血が、薄紅色の霧となり、彼を離れる。

 そして、宙を渡った――その先で。

 亜龍族デミドラゴンが、いまさら気付いたように、ルゴシを振り返った。


「わたしたち、助けてもらったんです。あの恐ろしい場所から。なのに……助けてもらったのに」


 ルゴシの周囲の地面が盛り上がり、そこから数体の影が現れた。

 あれが、少女たちの言ってた『使い魔』なのだろう。


 骸骨が数体、ルゴシの背後に浮かんでいた。


 彼らは魔導衣ローブを纏い、両手は鉤爪となっている。

 その鉤爪を、彼らはルゴシの背中に突き刺し。

 そのまま、ルゴシを宙へと吊り上げたのだった。


「それなのに、間違ってる気がするんです。わたしたちは、間違ってるんじゃないかって、思ってしまうんです」


 骸骨たちは、ルゴシを運んで遠ざかっていく。

 ルゴシに注意を惹かれてた亜龍族デミドラゴンも、それを追い、一歩踏み出す。


「わたしたちが、あの人を――良い人だと思う、素晴らしい人だと思う、感謝する、その気持が間違いなんじゃないかって思ってしまうんです」


「もしあの人が、同じだったらどうしようって」

「私たちを、攫った人と。私たちを、売ろうとした人と」

「檻の中の私たちを、嫌な目で見ていた人たちと――あの人まで、同じだったらどうしようって」


 一歩では止まらない。

 二歩、三歩。

 ルゴシに喰い付き引きずり下ろすため、亜龍族デミドラゴンが歩き出す。


「あの人は――あの人だけは、私たちを嫌な目で見なかった。嫌らしく触ったりもしなかった。これから、ニアランにいる信頼できる人のところまで連れてってくれるって。『『何かあった時』は、自分たちだけで訪ねてくれ』って『この手紙を持っていけば、大丈夫だから』って」


 骸骨が速度を上げれば、亜龍族デミドラゴンも走り出すのだろう。

 そして亜龍族が目的を達し欲望を満たした頃、結界は消え、馬車は既に走り去ってるに違いない。


「私たちは、良いのでしょうか? あの人を、良い人だと思って。あの人に、助かって欲しいと願う気持ちは――良いのでしょうか? 間違ってないのでしょうか?」


 問われて、ウィルバーが口を開いた。

 答えたのではない。

 俺に、問うたのだ。


「物言いこそ胡乱でありましたが――こちらが気恥ずかしくなる程の善人、と私には見えましたが。クサリ様の目には、如何に映りましたかな?」


 さて――どう答えたものか。


 ルゴシ=チクーナ。


 やつが最初に口を開いた瞬間、俺は、激しい既視感にとらわれていた。

 そして思った。『ああ、こういう奴か』と。


 A級冒険者にして金線級魔術師。貴族との付き合いも多いだろうし、自然と態度もそれにふさわしいものとなるはずだ。しかしルゴシの物腰は、ウィルバーが評した通り『胡乱』そのものだった。


 俺にとっては、懐かしささえ感じる個性だ。


 ああいう人間には、前世で何度か会ったことがあった。医者や役人、会社経営者。高い社会的地位にありながら、口のきき方は厭味ったらしく砕けて、そのくせ隙が無く馴れ馴れしい。身に着けてるはずの教養や品性を、著しく裏切っている。


 文化的自傷行為。


 そういった人間について、いつからか俺は、そんな言葉を当てはめるようになっていた。彼らと話すうち、透けて見えてくるものがあったからだ。そして『鎖』で読み取ったルゴシの情報も、それに一致していた。


 苛立ちと、諦念。


 馬車で出会って、最初に『鎖』から伝わってきたのは、ルゴシのそんな感情だった。奴は、怒っていた。子供たちを泣かせる世界に怒り、悲しみ、それをどうにも出来ない自分に苛立ち、諦めを感じながらも、いま側にいる子供たちの未来だけは護ろうと誓い、そして鎖に繋がれた俺を見つけ、憤怒していた。


 半死半生の身体に、そんな感情を渦巻かせ。

 何度も、意識を失いかけながら。


 あの軽口の何割かは、気絶を遠ざけるためだったに違いない。


 で――そんな男を、俺はどう評価する?


「…………分かりません」


 早々に、白旗を上げることにした。簡潔にまとめるなんて、絶対に無理だ。龍皇のところで習ったトークのスキルも、役に立たない。俺のルゴシに対する評価は、そんなのが通用しない場所から来ているからだ。


 乗客たちをかき分け、俺は、馬車を降りた。

 止めようとする手も、声も無かった。


 木剣を、出すのももどかしい。


 伸ばした手の先に凝固させた『斬撃』のイメージを、横薙ぎに疾走らせる。それだけで、結界が裂けた。しかし、流石は金線級魔術師というべきか。俺が結界の外に出た途端、裂け目は閉じて修復される。


 もう、1キロ以上は離れているか。


 だらりと宙を運ばれてくルゴシに、亜龍族デミドラゴンは、ほとんど追いついていた。噛み付こうとして、何度も飛び跳ねている。その顎は、まだ届かない。だが掠りはしたのだろう。ルゴシの脛からは、血と骨の色がのぞいていた。俺は、走り出していた。両手には、木剣が顕現している。


 あの男を、助ける。


 いまの俺は、そんな行動への渇望に支配されてる。

 そしてそれこそが、ルゴシに対する、俺の評価そのものなのだった。

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