第14話 急場で役立つメソッド


 龍皇が言った。


「あのね、クサリちゃん。まずは思い浮かべて欲しいの。あなたの前世で、もっとも嫌いだった人物を」


「嫌いだった……人物?」


「そう――ただし男性。あなたが嫌いで嫌いでしょうがない、そういう男性を頭に思い浮かべてみて」


「はあ……」


 いきなり嫌いな人間をと言われても、思い浮かぶものではない。そして頭に浮かんだ『彼』は、嫌いというよりはおぞましい人物だった。


『彼』――


 既に話した通り、20代の終わり、俺は仕事でチームリーダーを勤めていた。

『彼』はそのチームのメンバーだったのだが、入社年度は俺より先で、俺が新人の頃、会社の新年会などで顔を合わせたことがあった。


 その時は、いわゆるアルハラは無かったが、やたらと頭を叩かれたことを覚えている。

 もちろん、殴るとかいったレベルまではいかない。

 話に勢いをつけるための、極めて幼稚なマウンティングだ。


 その後、仕事でも飲みの席でも絡んだりすることは無かったが、しかし再会した時、立場は逆転していた。


 俺がリーダーで『彼』はいちメンバー。でも、先輩は先輩だ。出来るだけ強権的にならないよう、立場の逆転があらわにならないよう俺は勤めていたし、『彼』の方もそれなりに気を使ってくれていたと思う。


 飲み会などで叩かれたりなんて、もちろんなかった――しかし、決定的な時というのは、やはり訪れてしまう。


 忘年会の後だった。


 気付くと終電の時間も過ぎて、俺とチームのメンバーの数人は、朝までカラオケボックスで時間を潰すこととなった。


 そのメンバーの中に『彼』もいた。


 いまでも覚えている。それが始まったのは、午前1時30分。

 いきなり、彼が俺に向かって言ったのだった。


「高橋、おまえ、なってないんだよ」


 俺も他のメンバーも『彼』が何を言ってるのか、とっさに理解できなかった。あまりに平然と異常なことが行われると、人間は対処ができなくなる。まさに、そういう状態になってしまっていた。


「おまえ、全然なっちゃいないんだよ」


 怒鳴るというには程遠い、微温的なテンションで、倦んだ目を俺に向けながら、出っ張った腹にグラスを持った手を置いて、彼は繰り返し言った。


「なっちゃないんだよ。高橋。なっちゃいないんだよ」


 他のメンバーがそれを止めようとするのだが、彼より年下の人間しかいないし、何よりみんな、資質に欠けていた。当時も理解はしていたが、転生後のいまでは、身に沁みて分かる。こういった状態の人間を止めるには、暴力に近い腕力が必要なのだ。しかしそれを方法として行使できる資質を持った人間は、俺も含めて、あの時あの場所にいた中で誰もいなかった――『彼』を除いては。


 3時過ぎだったと思う。


「こんなヤツより、俺のほうがすごいんだよ! いろんなとこ行ってるし! いろいろ経験してるし! 俺の方が、絶対、おもしろいんだよ!」


 この、なんというか語彙的に煮詰めの足りない罵倒が、ひとつの沸点というか頂点であり、この夜の記憶の全てを象徴していたように思う。


 それから『彼』は「高橋、なってないんじゃ」と言い続け、しかし朝になりカラオケボックスを出て、駅で別れ、週明け職場で再会した時には、何も憶えてない様子で「おはようございま~す」と挨拶してきた。


 後でこう言ったのは、その時いたメンバーの一人だ。


「あの時、凄いドキドキしてたんですよ。高橋さん、どうするんだろうって。でも駅で別れて、ホームで僕と2人きりになった途端、言ったじゃないですか。『は~、しんどい』って。それを聞いて、僕は思ったんですよ。高橋さんについて行こうっていうか、僕は高橋さんの味方をしなきゃならないって――なぜだか分からないけど、そう思ったんですよ」


 まったく記憶に無かったが、その事件の直後の俺は、そんな感じだったらしい。


『彼』のことが、俺は嫌いかというと微妙だ。『彼』が何故ああなってしまったか、どこかしら分かってしまう部分もあるからだ。でも出来れば会いたくない。会わずに人生を送ることが出来るなら、それが何より――というこの感覚を表現するなら『おぞましい』としか言うことが出来ない。


 ええと、なんだったっけ?

 ああ、そうそう。


「思い浮かべました」


『彼』の記憶を引っ張り出し、顔を思い浮かべ、俺は答えた。

 龍皇が言った。


「じゃあ、その嫌いな人の性別を逆に――女性にしてみて。すっごく綺麗な女性に」


 言われた通りにした。

 すると――


(!!)


――驚愕の、事態が起こった。


「どう? 女性になったその人は――まだ、嫌い?」


 あの夜の記憶。あの夜の彼を美しい女性に置き換えてみると――ぐったりと、ソファーに背中を押し付ける『彼』、いや『彼女』。倦んだような目で、俺を見ながら言う。「高橋、あんた、なってないのよ」「こんなヤツより、私のほうがすごいんだから! いろんなとこ行ってるし! いろいろ経験してるし! 私の方が、絶対、おもしろいんだから!」「高橋、おまえ、なってないんじゃ! なってないんじゃ!」――おいおい、これは。


「いいえ――すごく、魅力的です」


『彼』のおぞましさが、『彼女』においては、そのまま、なんだか放っておけない、かまってあげたくなるような魅力と化していたのだった。


 龍皇が言った。


「嫌いな人間を、男女逆転させるとなんか魅力的なキャラになる――急場で新キャラをでっち上げるとき有用なメソッドよ。憶えておくといいわ」


 いや、そんなメソッドどこで使うんだよと突っ込みたい気持ちはあったが、とりあえず頷いておいた。


「というわけで、中身がキモいおっさんだからこそ、いまのあなたは可愛い。つまり、いまのあなたの魅力は、前世から引き継いだモノで出来ているのよ」


 それは、素直に喜んで良いのだろうか。

 疑問はあったが、胸の奥に、柔く緩んでいくような感覚があるのも事実だった。


「温かい……」


 龍皇の胸に頬を埋めながら、ふと出た声に驚く。しなやかな指で髪をすかれながら、俺は、女性に劣情を抱かずに済むというのは、こんなにも気を楽にしてくれるものなのだな、と感じていた。


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