第13話 俺の青春


「……待って」


 と、龍皇を押し留めた。


 毎日、俺は同じ部屋でトレーニングしている。

 部屋には何も無く、最初に龍皇が机と椅子を出す。

 俺は、それを『待って』と言ったのだった。


「ふうん」


 と首を傾げて笑う龍皇に「見てて」と言って。


 俺は、何も無い床――いや、床の上の空間に意識を集中した。『鎖』で、その場所の情報を読み取る。情報が『鎖』を流れるさまを意識する。


 そして、押し返す。


『鎖』から流れ込んできた情報を、逆に、元の場所へと流し込むように逆流させる。机と椅子のイメージを紛れ込ませて。結果は――


 床の上に、机と椅子が現れていた。


 対象に情報を流し込んで操る、龍皇の技。それで身体のコントロールを奪われ、俺は誓った。あれを、絶対にパクると。しかし、どうやって身に着けたら良いのか、全く分からない。


 しかし、手がかりはあった。


 毎朝、龍皇が机と椅子を出す、あれだ。あれは、空間に情報を流し込んで行っている――つまり俺がやられた技と同じ原理の技術なのだと仮定した。それからは、毎晩自分の部屋で練習だ。机と椅子を出そうと試行錯誤した。それを行う、龍皇の姿を思い出しながら。そして一昨日おとといの夜、とうとう机と椅子を出すことに成功したのだった。


 龍皇に見せるまで一日おいたのは、再現性を確認するためだ。


「なるほどね」と龍皇。


 それは俺が真似した技でなく、現れた机と椅子に対してのコメントだった。机も椅子も、デザインは龍皇が出してたのと同じだ。しかし、微妙に異なっている。見るだけでも、なんとなく分かる。座れば、もっとはっきり分かるだろう。


「人間って、こうなんだな……」


 座面から伝わってくる感触を、お尻を振ったり、あるいは背もたれに手を回して撫でたりしながら、龍皇が言った。


 やはり、この女性ひとは人間じゃないんだ。改めて、そう思う。人間に模した身体を操ってはいても、俺が彼女の作った椅子に抱いた生理的な違和感に、彼女は気付くことが出来なかったのだ。


『なるほどね』と言ったのは、そういうことだった。


――さて、トレーニング開始だ。


「!?」


 椅子に座った途端、俺は、目眩に襲われていた。

 椅子と机を出したから?

 いや、昨夜はこんなことにはならなかった。


 龍皇が、何かした?


「え……これって?」


 いや、意味不明な現象に、龍皇も戸惑っている。


 壁も床も天井も、靄がかかったように、目に映る形を不確かにしていた。広さも変わっているようだ。元は20畳くらいあったのが、8畳くらいの細長い部屋に。机と椅子も、形を変えていた。それに合わせて、俺と龍皇の距離も変わる。


「クサリちゃん――この景色って、あなたの・・・・よね」

「はい……わたしの・・・・です」


 変化は止まらない。

 しかし、終わりに近付きつつあるのは分かる。


 俺の景色――俺の記憶の中にある景色だから、分かる。


 壁はアイボリーの樹脂製。床には濃紺のタイルカーペット。机は楕円形の会議机となり、椅子はアームレストの無いオフィスチェアー。ふと思い壁を見れば、そこにはコンセントとLANケーブルの差込口が並んでいる。そしてまた目を上げれば、壁際には書類棚と、コピー用紙の詰まったダンボール箱が現れていた。


 指で机を、太鼓のように鳴らしながら、龍皇が言った。


「これは……これが、あなたのポテンシャルの証明。強弱の意識も無く行使した意志の力が、観念世界を経由して現象層に影響をもたらし机と椅子を顕現させ、しかもそれでは足らず、あなたの想念から最も強く記憶された机と椅子の像を引き出し、それが置かれていた環境まで再現してみせた――人類が修行で到達する果てを、遥かに越えている。やれやれ、龍族の子達には会わせられないわね。天才と持て囃されるあの子達・・・・でも、いえあの子達だからこそ――自信を打ち砕かれ、修行を諦めてしまいかねない」


 その声を聞きながら、俺は、頬を伝う温度を感じていた。

 涙だと分かったのは、それが、顎から滴り離れていってからだ。


 これは――ここは。


 俺が、28歳の時だった。

 客先に常駐するチームで、俺はリーダーを任されていた。


 日中はあちこち駆けずり回り、定時後になってようやく自席で座れるような毎日。メンバーは途切れず俺に判断を求めてくるし、客も俺を見かけたら、何もなくても何かを頼んで来る。


 そんな俺に、二歳年下の客先担当者が言った。


高橋さんターさん、俺が部屋借りたからさ。そこで自分の仕事しなよ。その間は、館内用のPHSも俺が預かるからさ」


 というわけで毎週水曜日の午後だけは、ほとんど倉庫としてしか使われてない小さな会議室に篭り、プロジェクトの進捗表や課題一覧の整備、膨大な申請書類の整理、提案書の作成といった、自分の仕事だけに没頭することとなった。


 それは1年半後、協力会社への業務移譲に伴い俺が自社へと戻るまで続いた。キツい毎日だったし、あんなに働いたことはその後も無かった。でもあの時間と、あの時あの部屋で仕事をしながら聞いてたアイドルの曲は、俺の最も青春らしい青春の象徴だったと、俺は、いまでもそう思っている。


 そんな日々が、突然こんなところで蘇り、俺は涙を零してしまったのだった。


「そうか……クサリちゃんは、転生者だったんだね」


 そしていま俺は、泣きグセが止まらないまま龍皇の膝に乗せられ、自分が異世界から転生してきたこととか、前世でどんなだったかなんてことまで、えぐえぐ呻きながら打ち明けている。


 ここに来て、トレーニングやこれまでの人生の蓄積が昇華されたのだろうか? 俺の滑舌は前世レベルまで滑らかさを取り戻し、思考と発語のギャップは、ほぼ完全に解消されていた。


「というわけで……ごめんなさい、龍皇さま。私、本当は32歳の、お金はそこそこ持ってるけど、女性にはモテなくて、でもお金で女性を抱くのは詰まらないプライドが許さず、結局童貞のまま死んでしまった、キモいおっさんなんです」


「うん。みんな忘れてるだけで、前世なんて大概そんなものだから気にしない気にしない。リア充だったら転生してない! リア充じゃないから転生できた!」


「それは……喜ぶべきことなんでしょうか」


「それにね、今のあなたはとても可愛い! 見かけだけじゃなく、仕草や性格に至るまで!」


「その性格が、キモいおっさんなんですよお」


 我ながら情けない。

 ボキャブラリとともに、性格まで前世レベルにロールバックしてしまっていた。


 しかし、龍皇は言うのだ。


「あのね、クサリちゃん――ちょっと、思い浮かべてほしいの」

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