特別編 外側に立つ者 第1話
「…………となると、御社はいたって普通に商品を卸しただけ、と」
「その通りです」
空振りだな。
フリージャーナリストの彼は持っているペンの頭でこめかみをなぞる。
大手時計メーカー、SAIKOの広報担当者に取材申し込みできたまではよかったが、結果はかんばしくなかった。
「大量発注された事実は認めますが、弊社が担当したのはそれだけです。オーダー通りの数量をカタログ通りに製造し、普段通りにクライアントへ引き渡した――――ただそれだけです」
「たとえばですね、人の脳内に映像を映す装置が搭載されているとか」
「ございません」
「まったくの別世界を体感させる電気信号や化学反応を」
「ありえません」
とりつく島もないとはこのこと。
フリージャーナリストはその後も何度かの探りを入れてみるが、すべて予想通りというか、悪い意味で想定の範囲内の結果であった。つまりまったくの収穫なし。
もう取材した企業は一〇社を超えた。
お互い定型文のような別れの挨拶をしてから、彼はご立派な社屋を出る。結局、タダでコーヒーを飲ませてもらい、無駄話をしていただけだった。
「これで全滅、か」
彼は懐から取り出したスマートフォンで画像データの一覧を見る。フォロワーや匿名の情報提供者から寄せられた腕時計型デバイス〈心つなぐ鍵〉が写っている。
イグザム・エンタープライズなる企業は、既存の時計メーカーから腕時計を仕入れ、それを〈心つなぐ鍵〉に加工した。
そこまではいい。
問題は、そこからだ。
個人・法人問わず、誰がどの程度まで〈テスタメント〉に関与しているのか。
問題は、そこから。
まことに遺憾ながら、彼は〈テスタメント〉プレイヤーではなかった。その存在を聞きつけたのはオープンβテスト終了時であり、にわかには信じられなかった。不特定多数があたかも真実であるかのように語る、いわゆるエイプリルフールネタの線も考えたが、これはインターネット上でよくあるそのような悪ふざけとは違う。ジャーナリストの勘が、そう告げていた。
〈テスタメント〉が実在するとして、まず調査したのはやはりプレイヤーである。その膨大な数から、取材は容易であった。というより、黙っていても自身のネットワークに情報が転がり込んできた。サンプルとなる数が多いので、比較対照しやすく、自称プレイヤーによるガセ情報などは容易に選り分けられたのは助かった。
『すごいゲームだった』
第一声のほとんどがそれだった。そこから〈心つなぐ鍵〉を見せられ、プレイ内容を語られる。これといったエンドコンテンツ――――エンディングを迎えるためのイベントやターゲット――――のない、オンラインゲームにありがちなゲーム内容。それだけなら凡庸なソフトウェアだが、特筆すべきは極めてリアルな体感と現実時間とのズレだ。
ゴーグルをつけて疑似的な立体映像を楽しむタイプのものは久しい。しかしそれとは明らかに違う。比較にならない。
SFにありがちな脊髄に端子を……であるとか、頭脳に機械を……でもない。
ただ、腕時計を巻いているだけ。
実際にプレイヤーに接触し、〈心つなぐ鍵〉を拝見したが、やはり普通の腕時計。ぼったくりは承知で大枚はたいて買い取り(テストプレイヤーはタダでもらえたという事実を後に知る)分解したところ、やはりメーカーが普通に販売しているものと比較しても相違ない。さらにメーカーサイドにも確認したところ、先ほどの答えが返ってきた。
あの回答をそのまま受け取れば、ハードウェアを提供したメーカーはまったくの無関係ということになる。もっと探れば何か出てくるかもしれないが、なんの裏も取れていない以上、これ以上は攻めきれない。
〈心つなぐ鍵〉の土台となった時計を製造した会社をいろいろ調査したが何も出てこない。
手詰まり。
そう認めるしかなかった。
そこでスマートフォンのバイブレーションが作動する。
着信である。
彼は耳元にスピーカーを当てた。
『今いいか?』
「ああ」
『ダメだ。やっぱりゴーストだ』
「イグザム・エンタープライズはペーパーカンパニー、と」
『そういうことだ』
電話の相手は、彼の相棒だ。彼が現実世界で活動する、足で稼ぐジャーナリストに対し、相棒はインターネット上で活動する情報屋。リアルとネット、ハードとソフトという、わかりやすいコンビ。
『資金や物品の経路、キャッシュやプロトコルにアクセスしても巧妙に隠滅とカムフラージュがなされている。何社もの幽霊会社と何台ものプロキシサーバーでチャンポンされたら、もうお手上げだ』
「お前にもできないことがあるんだな」
『あのな、サイバー戦ってのは〔よーいドン〕のかけっこじゃねえんだよ。使える機材、持てる技術。勝負はそれがいかに用意できたかでだいたい決まる』
「向こうはそれが何枚も上手だと?」
『最新鋭のレーシングカー相手に十年落ちの軽自動車がトレースできるかよ』
「後塵を拝するのも難しいだろうな」
『リアルとネットのIT(情報技術)……ツールにしてもプラグラムにしても、向こうが数世代……下手したら数世紀先のものを使っているように感じる。スパコンと暗算勝負させられてる気分だぜ』
相棒の愚痴に苦笑しつつ、うだるような暑さから逃れるためと、盗み聞きを防ぐために移動する。近くの階段を降りると、その先は地下歩行空間となっており、広大かつ迷宮のような通路があった。
「わかった。俺は俺でもう少し探ってみる」
『程々にな。この前だって深入りしすぎて消されかけたろ』
「職業病みたいなもんさ。弟くんによろしくな」
『それがな、最近は帰りが遅くなってな。兄としては寂しい思いの日々さ』
「お前と違って家離れできて結構じゃないか」
『ボクティンはこういう生き方が好きなのでござい』
「そうかい」
通話を終えたスマートフォンを懐に戻し、代わりに手帳を取り出す。
さて、これからどうするか。
メーカーはすべて空振り。インターネット上のやりとりも追跡不可能。
しらみつぶしにロジスティクス……流通でもあさってみるか。それから素材や部品までさかのぼるのも手ではあるが……
「骨が折れるなぁ」
しかし解明できれば、これはとんでもないヤマになる。ジャーナリストの勘が告げている。それこそ、世界を根底からひっくり返せそうな。
……そこまでデカすぎるとさすがに身を滅ぼすか。
手帳とにらめっこして地下歩行空間を歩いていると、曲がり角で誰かとぶつかりそうになった。
「おっと失礼」
「いえ」
アンティーク人形のような女性だった。
整った目鼻立ち、年代ものと一目でわかる格調高いエプロンドレス。
蠱惑な美女というより、歩く芸術品のようだった。
「探しものは見つかりそうですか」
「…………?」
手帳と相手を交互に見た彼は、意図が読み取れない。
何かを知っている? それともただのカマかけか?
職業柄、得体のしれない人間と妙な駆け引きをするなんて常だ。そこで得ることもあれば、失うこともある。
SAIKO本社から出てきた〈テスタメント〉を調査するフリージャーナリストである自分。
接触してきたのはどういう目的か。その利害関係と背景……
数秒にも満たない洞察――――情報の取捨選択。
その間に、彼の腕に女性の白磁のような手が回る。
「差し上げます」
彼が反応するより、映像が彼に流れ込んでくる方がはやかった。
――――そうか、これだったのだ。
これが、〈テスタメント〉。
なるほどこれは、実際に体験しないとわからない。
この抜けるような青空、どこまでも続く地平線、鼻をくすぐる草と土のにおい。
論じるまでもなく証明される無限大の自由。技術革新という表現すら追いつかない奇跡。どれだけの言葉と映像でもっても再現も伝達もできはしない。
誰もが興奮を覚え、そこに存在することを望むのも当然。
彼は実感し、ようやく理解した。
『その時が来れば、またお会いしましょう』
戻ってきた彼が追体験する、彼女が残した言葉。
その場にすでにその女性はおらず、慌てて後を追っても、地下歩行空間のどこにも彼女の姿はなかった。
――――これは、追いつけない。
ギブアップした相棒に同感だった。
こちらが必死にしっぽをつかもうとしているところに、向こうからわざわざやってきてくれたのだ。その余裕しゃくしゃくっぷりにまずは脱帽である。それから、自分がフリージャーナリストで、〈テスタメント〉を調べていると把握していたようで、あっさりと楽しませてくれた。
何もかもお見通しなのである。まるで釈迦の手のひらを飛び回る孫悟空になった気分だ。
もはや笑うしかなかった。
これは、我々の―――今を生きる人の手にあまる。
フリージャーナリストは笑みをそのままにして、腕にある贈り物を掲げる。収穫はあった。そしてきっと、これが限度いっぱいなのだろう。これもまたジャーナリストの勘。
――――おとなしく、その時が来ることを期待しよう。
彼もまた歩き出し、地下歩行空間の向こうへ消えていった。
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