特別編 歴史に名を残す予定の自称大天才、独善唯我の華麗なる生涯 第4話

 いつも通り――――まったくいつも通りの試合展開であった。

 お飾りでめったに来ない顧問が不在のまま、もはや誰が決めたかすら判然としないカビの生えた基礎練習をしたあとの、その日の部活動最後にやる恒例の練習試合。その日も、唯我のプレイスタイルは何一つ変わってはいなかった。ただ、3ポイントシュートの成功率がわずかばかり上がっていたが、それを客観的に評価するものは誰もいなかった。唯我はそのような微細な変化に頓着などしないし、他のバスケットボール部員は唯我のプレイ内容などどうでもよさそうだった。

 彼らはただ、この異物をどのように排除するか。

 それしか頭になかったのだと、後になって――――このあとすぐにわかる。


 その日の部活後の空気は、奇妙だった。

 いつものような雑談や喧噪はなく、妙にピリピリと、緊張感が部室に敷き詰められていた。

 その場でそれに気づかないのは、やはり独善唯我。

 唯我はいつものように淡々と着替え、雑に練習用ユニフォームをカバンに放り込む。試合用ユニフォームは買ってあるが、試着以外に袖を通したことはなく、すっかり自室に飾られたインテリアのひとつとなっている。いつかは公式戦に出ることになり、それを身に纏うと、唯我は当たり前に思っていた。

 もっとも、そんなことは一度もなく、唯我はこの世を去ることになるのだが。


 いつも通り、挨拶ひとつなく唯我は部室を去ろうとし、部室のドアノブに手をかける。

 ゴトッ。

 いや、もっと鈍く重い、なんとも言葉にしがたい音であった。

 脳天からの強い衝撃と鈍痛に、唯我の口からはうめきが漏れた。

 意図せずドアに全身でもたれかかり、そのまま滑り落ちるように倒れた唯我は、さらに何かで殴打される。金属バット、鉄パイプ……感触としては、そのような予測が立ったが、ついぞ正体はわからなかった。

 もっとも、そんなことは大したことではなかった。

 部員全員に、敵意を――――殺意をもって襲撃された。

 その事実だけは、厳然とそこに存在していた。


『死んだか?』

『知らねえよ。とりあえず動けなきゃいいんだ』

『部室の外から廊下、出入口まで見張れ。防犯カメラの死角は覚えてるな』

 朦朧とした意識の中、そんな無機質な声が降ってくる。

『埋めるんすか?』

『いや、黄泉穴に放り込む。位置的にも学校すぐの森だ』

『なるほど。そこならバレやしないか』

 何本もの腕が、自身の体を雑に運ぶのを唯我は認識した。


 ――――ああ、そういえば。

 唯我は、ふと思う。

 ――――あいつの名前、また聞きそびれた。

 あの弱弱しいもやしっ子。また会うことがあれば、今度は名前と連絡先、しっかりケータイに登録しておかないと。姉しか登録してない電話帳も、少しはマシになるだろう。枯れ木も山の賑わい、というやつだ。そんであいつがどうしても、と頼むならミニゲームとやらを見に行って、アドバイスのひとつくらいはしてやってもいい。同好の士というやつだ。同じ声優を推すファン同士、仲良くしなければならん。ライブだってイベントだって、一緒に行けばきっと楽しいに決まっている。

 うたかたの夢――――

 独善唯我が、ようやく感じた縁の先。それが結ばれれば、ひとつの絆となっただろう。

 それを実現させるには、すべてが遅すぎたが。


 外気が鼻につき、唯我は校外に出たのだと知る。校舎の裏は少しの草むらをはさんで、広い森がある。

 黄泉穴は、その奥地にあるとされていた。

 話に聞くばかりで、唯我は実物を見たことがなかった。

 それが目の前に広がっている。

 木々の合間を縫って差す月の光が、その広大な闇をおぼろげに映し出す。ぼんやりとした意識と視界による見立てでは、学校のプールほどの大きさがあるように感じた。

 人ひとりを葬るには、充分すぎた。


『それじゃあな』

『向こうでも達者にやれよ』

『バイバーイ。ギャハハハ』

 嘲笑が静寂な森のなかでこだまし、男の体が放り捨てられ、転げ落ちる。

 死――――

 こんなにあっけのないものなのか。

 唯我は思った。

 もっと尊大で、厳粛なものだと、漠然と思い描いていた。

 それは現代人の、平和な時代を生きる人間の、ある種の幻想だった。

 いとも簡単に、たやすく消えるともしび。

 命とは、どの時でも、誰のものでも、そういうものなのだ。

 それを、だいたいの人間は、自他の死を直面した際に悟る。

 それが終わりなのだと。

 そんなことで終わるのだと。

 

 独善唯我が――――一個の生命が、一人の人間が、闇にのまれる。

 そう、独善唯我という存在は、ここで消えるのだ。

 少なくとも、この世では。

 その運命が何をもたらすかは、別の機に語られるであろう。

 この世界での独善唯我の歩みは止まった。

 けれどそれは、この世界での独善唯我の終わりであって、独善唯我の終わりではない。

 その真相を、新たなる歩みを、知るものは――――


 少なくともこの時、この世にはいなかった。

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