特別編 歴史に名を残す予定の自称大天才、独善唯我の華麗なる生涯 第2話

 独善唯我の所属するバスケットボール部は、贔屓目に見ても強豪とは程遠かった。気軽な遊びと割り切るほどぬるくはないが、全国大会を目指すほどの熱量も力量もない。『とりあえず真面目にやって、精一杯の結果が出せればいい』という、地方にありがちな、弱小チーム扱いだけは回避したい心情が透けて見えるスタンスであった。

 そのため、盆と正月以外は毎日のように練習があるというわけでもなく、適度な休みがあった。

 そういう日は、唯我が自主練習をするにはうってつけであった。


「あ……?」

 誰もいないはずの体育館に入ると、予想外に先客がいた。それも、バスケ部員ではないし、自分には見覚えのない男子生徒だった。唯我同様、学校指定のジャージ姿であったから、うちの生徒ではあるんだろうが。


「あ、どうも」

 向こうも唯我に気づいたらしい。バスケットボールを持っていた男子生徒はぺこりと一礼。

「バスケ部が休みで、今日空いてるって聞いて、ちょっと使わせてもらってます。先生の許可は取りました」

 なんとも線の細い、ひ弱そうな男だった。


「あっそ」

 唯我は興味なく答えた。自分の邪魔をしなければどうでもいい。

「んじゃ俺は反対側のゴール使っから」

 そいつが用意したらしい、ボール満載のカゴから一つを取る。


 バスケットボールの試合は、バスケットコートと呼ばれる専用のフィールドで行われる。縦二八メートル、横一五メートルの四角形の中で選手はプレイするのだ。ゴールは両端に設置されており、当然シュート練習では二人が一つずつのバスケットゴールを扱える。


「さて、と」

 ダムダムと軽くボールを跳ねさせてから、唯我は空いたゴールに狙いを定める。

「やるか」

 三点を取る方法は、3ポイントラインと呼ばれるゴールを中心に描かれた半円より外側からシュートし、ゴールに入れるものである。

 これが難しい。

 その成功確率は、プロでも三割、その中のトッププレイヤーでも四割がいいところである。つまり、一流の選手でも三回に一回しか入らない。

 そして唯我の成功率は―――――


「あ」

 放たれたボールは、ガンと音を立ててバックボードと呼ばれる、リング状のゴールの奥に設置された横一八〇センチメートル、縦一〇五センチメートルの板にはばまれる。

 あらぬ方へ跳ね返ったボールは、コート上をむなしくバウンドした。


 十回に一回――――

 調子がいいときに、唯我がスリーポイントシュートを決められる確率である。コンディション絶不調のときは、そもそもバックボードにすら当たらない。

 しかもこれは、フリースローでの場合の話である。つまり、ゲーム中の動きながらのシュートではなく、相手選手の妨害のない、完全に自由な状態のシュートでそのくらいなのである。であるので、試合中の成功率はさらに下がり、もはや可能性は地を這っている。


 ――――まあ、投げてりゃそのうち入んだろ。

 この惨状をポジティブシンキングで唯我はとらえているが、戦略で見ればたまったものではない。ロングシュートは試行回数――――試せるチャンスは多いが、外すことも多い。そして外せばだいたいは相手チームにボールが渡ることになるのだから、こちらが攻められる側に切り替わる。唯我の成功確率では、もはや相手へボールを献上するも同義であった。これでは勝てるはずもない。

 ――――まあ、今日の練習で完璧に決まるようになんだろ。

 そんなわけがない。


 それから、一〇球ほど投げてみるが、奇跡的に一本入っただけであった。いつも通りである。

「このボール、不良品か?」

 とうとう道具のせいにしだした。


 唯我がぐるりと腕を回したとき、背後の光景が目に入った。

 ボールを持ったまま、固まっていた。

 その男子生徒は、ボールを頭の上に持っていこうとして――――重さに負けたように胸のあたりにおろす。それを繰り返していた。顔に汗を浮かべて。


 バスケットボールは直径二四.五メートル。重さにしておよそ六〇〇グラム。たしかに決して軽く取り回し安いものとは言えない。これが試合終盤にでもなれば満足に扱えないなんてこともあろうが、こんなフリースロー練習でそんなことはありえない……はずだが。


「ひょっとしてそれ、持ち上げらんねえのか」

 この異様な光景に、唯我も思わず問いかけた。

「ええと……はい」

 気まずそうに、けれどしっかり頷かれ、唯我はぽかーんと口を開けた。

 思えば、たしかにさっきから後ろからはボールのバウンド音が聞こえてはこなかった。しかしまさか、シュートすらできていなかったなど、誰が思うか。


「今度体育の授業がバスケで、今のうちに練習しておけば、少しはマシかなと」

 ああ……

 唯我は納得する。

 これは、あれだ。

 クラスに一人はいる、運動が破滅的にできねえやつ。

 クラスのお荷物だ。

 こいつはどうやらそれが嫌で、練習しているらしいが……焼け石に水というか、無駄なあがきというか……


「せいぜい頑張りな」

 唯我はくるっと背を向けてカゴからボールを取る。

 まあ、無理だな。

 腹の中で断定する。

 こいつはきっと、何かをつかみ取ることはできないだろう。努力をしようが何しようが、栄光に近づけもしない人生。結局現実というやつに打ちのめされて、底辺をさまようのだ。


 俺とは違って。

 俺は違う。

 唯我は力強くうなずき、ロングシュート。ゴールリングに垂れ下がる網――――ゴールネットを通過したボールは、バスケットコートの境界線であるエンドラインの向こうへ飛んでいった。


 天才バスケットマンの自分は、将来プロバスケットボールの世界で輝き、トッププレイヤーに名を連ねるだろう。そうすれば自分はもちろん、姉も豪邸で死ぬまで死ぬほど裕福な暮らしができる。それでめでたしめでたしのハッピーエンドだ。

 他人からはどう見えるかはさておいて、唯我は本気でそう信じていた。


 そのためにもまずは、今日の練習で――――

 ゴールリングから弾かれたボールは、唯我の頭上を越えて後ろへ落ちていった。

「おい、ボール」

 取ってくれ、と言おうとして、止めた。

 そっちにいる男子生徒は、相変わらずバスケットボールを上げて下げてしていた。


「あ、すいません」

 テン、テン、と転がるボールに気づいた彼は、それを拾いにいく。申し訳程度の速さの小走りでバスケットボールにたどり着き、持ち上げた華奢な男は、

「待て」

 唯我の声で動きを止める。

「そこから俺に投げてみろ」

 その距離、およそ4メートル。

 フリースローを行うフリースローラインと同じくらいの遠さだった。


「ええと」

 男子生徒は相も変わらず頭の上にボールを持っていこうとする。

「違う。その投げ方はあきらめろ。腕が上がってねえだろ。下げろ」

 おどおどとボールが胸のあたりにまで降りてくる。


「そこから手首の返しで押し出せ」

 唯我の言う通りに、たどたどしくではあるが、彼はそうした。そうするとボールは弱々しく跳ねて転がり、それでも唯我の足元には届いた。

「チェストパスだ。どうせドリブルも満足にできないんだろ。拾ったらとっとと他のやつに回せ」

 ボールを拾った唯我は投げ返す。ワンバウンドで正確に返っていった。


「拾って、胸の位置から、相手の胸めがけて投げろ。腕力でやろうとするな。手首のバネきかせて押し出せ。いいな」

「は、はい」

 そのまま何球か、往復が続く。要領を得たのか、だんだんと向こうにも慣れが見えた。


「力がねえんならボールの反動を利用しろ。体で受けて、そのまま跳ね返せ」

 唯我がやってみせ、相手がそれをまねる。

 そんなことが数度あった。

 とりあえずは、ボールが不自由なく投げられるようになった。


「フリースローは斜め上にパスする感覚でやれ。あとは知らん」

「あ、ありがとうございます」

 全身汗だくで、息荒く膝をついた男を見て、唯我はやれやれといった調子で首を振った。

 こんなのアップですらねえよ。


 それから、また個人練習。

 たまにお互いが相手の漏らしたボールをパスするだけで、無言の時間であった。ボールが跳ね、何かにぶつかる音以外は体育館に響かず、それは教師が体育館を閉めるまで続いた。


「今日はどうもありがとうございました」

 片付けと着替えを終えた帰り際、一礼される唯我は面倒そうに、

「まあ、これで戦犯扱いは回避できんじゃねえの」

 そのままスタスタと帰ろうとする。

 すると、

 ポップな音楽が背後から流れた。

 反射的に唯我は振り向く。


「あ、もしもし」

 男子生徒はスマートフォンを耳元に寄せていた。

「うん、練習。ごめん電源切ってて。これから帰るとこ。え? 今から? それなら姉さんに一言……いや、どっちしろこのケータイのGPSでついてきちゃうし……ああ、うん。じゃあまたあとで」

 通話を終えた男子生徒に唯我が詰め寄る。


「今のって、あかりんりんの新曲だろ?」

「えっ。あ、はい」

「ファンなのか」

「あ、いや、なんというか、無理やり入れられたというか……」

「恥ずかしがるこたねえって」

 唯我は胸をそらす。


「赤山あかりいいよな。ぜってぇ売れるって。お前もそう思うよな。俺デビューからビビッときたもん」

「は、はぁ」

「なんならライブ音源の生歌聞かせてやろうか。サイン色紙は……まあ、画像データくらいなら」

「あ、いや、そういうのは直接……」

 しどろもどろになる相手に構わず、唯我は自分の推しの良さとそれに対するを熱く語る。

 なぜか申し訳なさそうにする相手を同士認定した唯我は、のボロアパートに機嫌よく帰った。

 その男子生徒の連絡先どころか、名前すら聞かなかったことに気づいたのは、布団に寝転がってからだった。

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