特別編 歴史に名を残す予定の自称大天才、独善唯我の華麗なる生涯 第1話

 独善どくぜん唯我ゆいがの朝はそこまで早くはない。


 平日であろうが昼まで寝ているのは、連日の夜更かしが原因であり、それはなにか大義名分でもあるのかというと、そうでもない。ただの夜遊びと深夜番組に起因するものだ。ただ朝起きるのがしんどくて、睡魔に流されて寝坊するのが常態化しているだけだ。


 一限目の授業に遅れずに出られたのはいつが最後だったか。

 そんなことも思い出せないほどに。

 みすぼらしい、カビの臭いすらする畳張りの和室。四畳半に届くにはおしいといった程度の広さの部屋が、唯我にあてがわれた部屋だった。


「いいかげん起きたら?」

 ガタつく引き戸を開けて、姉の独善利己りこが顔を出す。髪を頭頂部のあたりでまとめて、まるでパイナップルのようである。


「あー?」

 唯我はよろよろと体を揺らし、とりあえずといった動きで敷き布団の上であぐらをかく。

「ガッコー」

「いいんだよ。まだ休めんだから」

「あのね、フツーは毎日学校行って、全部の授業を受けるの」

「出席日数足りてりゃいいだろ」

 ああ言えばこう言う。

 毎度のことだ。

 いつからか、この弟は高校を休みがちになった。遅刻早退は当たり前。気にするのは成績ではなく落第。最低限の出席日数と赤点回避の点数でなんとか進級・卒業さえできればいいと思っているようだ。


「あんたね、それじゃどこの大学にも進学できないよ」

「そんな金がうちのどこにあんだよ」

 そう言われると利己は返す言葉がない。姉弟二人、このボロアパートでなんとか生活できているといった具合だ。これ以上となると、自分のバイト代だけではどう考えても足りない。


「そんなのお姉ちゃんがなんとかしてあげるからさ、あんたはしっかり大学出て、まっとうな職について……」

「いいよ。そんな心配しなくて」

 唯我は枕元にあるバスケットボールを手に取り、くるくると人差し指の上で回す。


「進学も就職もこいつ一本でいく」

「それはそういう実力をつけてから言ったら」

 やれやれ、といった風で姉は唯我の部屋から引っ込もうとし――――「そういえば」と再度首を突っ込む。

「回覧板で黄泉穴よみあなを囲ってる金網が壊されてるってあったけど、あんた何かした?」

「するわけねーじゃん」


 黄泉穴とは、唯我の通う高校近くの森にある巨大なだ。その大きさは今なおはっきりとはしないが、最大で直径一〇〇メートル、最小で直径一メートルと言われている。穴はどうやらその時々で大きさが変わるらしい。その謎も含めて調査すべく、あらゆる機関があらゆる機会に計測しようとしたが、不思議なことにそのたびに事故や不幸が起こり、中止となっている。


 黄泉穴に一度落ちれば最後、絶対に這い上がってくることはできないと言い伝えられ、姥捨山ならぬ姥捨と呼ばれていた時代もあった。その危険性から、埋め立て計画も持ち上がった時期もあったが、やはりうまくはいかず、現在は黄泉穴の周辺を金網で囲うにとどまっている。


「危ないから絶対に近づいちゃだめよ」 

「わかってるって。誰が近づくかよ、あんなとこ」

「ならいいけど。お金か……夜のお仕事でも増やそうかしらね」

 利己は背をむけて遠ざかる。なにやら悩んでいるようだ。

 金銭面の心配をする姉をよそに、唯我に不安はなかった。


 自分を信じていた。

 自分の才能を、可能性を――――誰がなんと言おうと信じきっていた。

 自分は特別な存在で、成功を約束されている。

 歴史やメディアの登場人物と同等かそれ以上であると。

 そう、独善唯我は自信に満ちあふれていた。

 言い換えれば、独善唯我にはそれしかなかった。

 結局、学校には昼過ぎから行った。




 放課後の体育館、そこでは多くの生徒が部活動にいそしんでいた。

 独善唯我もその一人であった。

 ダム、ダム。

 唯我の手の平とワックスのかかった床をバスケットボールが往復する。

 ドリブルで切り込もうとするが、壁になる相手選手の数が多すぎる。さすがに突破は無理。


「パス! パス!」

 フリーの味方が大げさなジェスチャーでアピールしている。

 しかし唯我は目もくれない。

 これ以上攻め込めないなら――――


 ドリブルをやめた唯我はボールをそのまま持ち上げ、遠くに見えるバスケットゴールを狙う。

 ええい、ままよ。

 さすがの唯我でも入るとは思わなかった。だが、ほかに選択肢がなかった。

 唯我にとっては、ほかに方法がなかった。


 放たれたボールは、バスケットゴールを構成する赤い鉄の輪――――ゴールリングに弾かれた。

 直後に試合終了のホイッスルが鳴り、選手は一様に得点ボードを見る。

 もっとも、得点差を気にするほどの試合内容でもなかったのだが。

 ゲームの結果は、唯我のいるチームの惨敗という形で幕を閉じた。


「ちっ」

 唯我は舌打ちひとつして、ビブス――――組み分け用のベスト――――を脱ぐ。不満たらたらといった様子だ。

「お前ボール持ちすぎなんだよ」

 それはチームメイトも一緒のようで、唯我に詰め寄ってくる。

「こっちフリーだったんだからパス回せよ」


「あ? 馬鹿かテメーは」

 唯我は相手をにらみつける。

「お前に渡すより俺のシュートの方が入るに決まってるだろうが」

 実際は入らなかったのだが、唯我に結果論は通じない。


「うっぜ……死ね」

「テメーが死ね役立たずのゴミクズが」

 万事が万事、この調子であった。


 唯我のエゴイスティックなスタンドプレーは悪目立ちする。それで勝てばいいが、負ければ責任追及の場では必ず名が挙がる。これで圧倒的なプレーを見せれば周囲の理解も得られようが、今日の練習試合よろしく、まったくかんばしくない。そのため、バスケットボールプレイヤー独善唯我を擁護する者は、独善唯我以外にいなかった。


「まあ、しかたねえよ」

 更衣室で着替えながら、バスケ部員の一人が口にする。

「あいつがチームにいる時点で勝てるわけねえんだから」

 そして独善唯我はこのように落ち着いた。

 口先だけの疫病神、と。

 これ見よがしに陰口を叩かれても、独善唯我は我関せずで着替えている。唯我を名指しで批難していない以上、それは唯我の評価とは確定していない。これに唯我が反応する理由はないのだ。第一、唯我は自分になんの落ち度もないと思っているので、自分が陰口の対象になっているとまったく思っていない。

 もっとも、この手の批難に反応したところで『誰もお前のことを話しているわけじゃない』と被害妄想扱いされる上、他人からの悪評価を認めることになるので、それは一つの解決策でもあったりする。

 いずれにしても、どうでもいい他人のどうでもいい他人への悪口であるならば、唯我が憤る理由はないわけだ。


「どうせレギュラーになんてなれやしないんだし、公式戦には関係ないからな」

 独善唯我のこれまでの公式戦成績は皆無である。

 なぜなら、公式戦に出場したことがないから。

 実力は言うまでもなく、協調性もなく、人格にも問題がある。よっぽどの人手不足でもなければ、そんな選手を部の代表として公式戦や対外試合に出す道理はない。


「それより〈テスタメント〉さー」

「あーあれな」

 唯我のつるし上げもそこそこに、話題は別のものに移った。

 〈テスタメント〉。

 最近オープンβテストが行われた、部内ひいては校内でも話題騒然のゲームである。


「まだまだやりたりねえよな」

「試したいジョブ、行っていないフィールド……たくさんあったからな」

 誰からともなく、どこからともなくβテストの噂は広がり、多くの人間が参加した。それはここのバスケ部も同じであり、もはや誰が持ち込んだか定かではないが、誰かが体験版を持ち込み、それに感動した部員たちが自分も自分もと申し込んだ。結果として男子バスケ部は全員参加していた。

 独善唯我も例外ではない。

 もっとも、ほとんど盗み聞きの形で自分も秘密裏に申し込んだという、なんとも情けないものであったが。


「我が†聖十字騎士団†は大活躍だったな」

 うんうん頷きながら会話に入ってくる男に、部員たちはドッと大笑いした。

「キャプテン、ハンナさんに瞬殺だったじゃないですか」

「あんだけ大物感出しといてなー」

 †聖十字騎士団†――――

 〈テスタメント〉オープンβテスト時の最大のギルドであった。その成立の経緯は、自然発生的ないくつかのグループとプレイヤーの合流・統合であったが、中核的なグループは存在する。それが彼らであった。当然、ギルド内の主導権はこのバスケ部に握られ、要職には彼らが就いていた。


 実は唯我も正体を隠してそこに参加していた。あくまでも他人の一プレイヤーとして加入し、最後まで自分も同じバスケ部の一員だと明かすことはなかった。普通なら部の仲間たちと一緒に始め、自然と同じグループに所属するものであるが、それは唯我的には頭を下げて軍門に下るのと同義であった。唯我にとっては、そんなこと死んでもごめんであった。


 〈テスタメント〉最強のプレイヤーである自分に、部員たちが平伏し部下となる―――――そういうシナリオを思い描いていた。

 実際はそんなこと、まったくなかったが。


 最初はやりたい放題できて楽しかったが、スライムをつれた妙なやつに邪魔されて以降はケチのつきはじめ。変な女たちには足蹴にされ、その結果騎士団を追い出され、それでも騎士団壊滅のゴタゴタにまぎれてイガウコとかいう街に行けばアルティ・マークス・ルーグってやつに真っ二つにされる。最後には妙なスライムをつれたやつにリベンジしようとしたら、いつの間にか死んでいた。あれだ、もうスライムには関わらないようにしよう。ろくなことにならない。割に合わない。


 着替えを終えた唯我は、誰に挨拶をすることもなく、まとまって帰ろうとしている集団をよそに、一人でさっさと下校した。それを止めるものはいなかった。

 要するに得点力だ。

 帰り道、唯我は振り返る。

 周りが役に立たない以上、自分がそれ以上に点を取れば負けないわけだ。

 ここでチームワークという概念がカケラも出てこないのが独善唯我が独善唯我たるところである。


 バスケットボールというスポーツには大まかに二種類のゴール――――点の取り方がある。

 遠くからボールを投げて三点取る方法と、近くからシュートして二点取る方法。もちろん前者の方が有利であるが、遠い分成功率は低い。一番安定して点を取るやり方としては、ゴール下までボールを運んで入れるシュートだが、一人でそこまで進めるわけもない。味方へのパスは言うまでもなく、味方からのパスも期待できない唯我にとって、取れる選択肢などほとんど限られていた。


「あ、あかりんりんの新曲だ。買って帰ろ」

 スマートフォンを片手につぶやく。

 チームスポーツのバスケットボールにおいて絶望的な孤立無援であるが、唯我に悲観はない。普通なら浮いている、この状況をなんとかしようと融和を図るのが常人であるが、唯我にはそれがない。そんな心配をするより先に、推しの声優のCDを買うことに意識を注ぐ。

「ダウンロードのご時世、きちんと現物のCDも買うのがファンの流儀ってやつだよな」

 そんなこと誰も聞いていない。

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