第18話
それからの数日、跡永賀はそれと過ごした。起きてもそばを離れないそのモンスターに、跡永賀はまずモモという名前をつけた。見た目からつけた安直な命名だったが、モモは喜んだ。まともに移動できない跡永賀からモモは離れることなく、そばに居続けてくれたのは、少年にとっては僥倖そのものであった。腹が減れば共に食事をし、睡魔が訪れれば一緒に寝る。それだけであったが、跡永賀にとっては救済となった。たとえモンスターであっても、人間でなくても、誰かがそばに居てくれる。たったそれだけで、こんなに心が暖かい。
姉さんも、こんな気持ちだったのかな。
跡永賀は、この世界にいるであろう姉を想った。
「やっと見つけた」
ふと、どこからか声が舞い込んだ。
「こんなところにいるなんてね。探したんだよ」
幼い女の子の声。
すやすやと眠るモモを撫でていた跡永賀が顔を上げる。
赤いローブに身を包んだ九歳ぐらいの少女が、自分を見下ろしていた。
「あ、あ……」
視界が赤く染まる。そこが少女の胸で、自分は抱きしめられたのだと、跡永賀は遅れて気がついた。
「もう大丈夫。大丈夫だからね」
跡永賀は力なく手を伸ばす。小さな指が、それに絡んだ。
「ああ……」
その熱に、命の輝きに、跡永賀は涙を流した。自分はここにいるんだと、ここにいていいんだと、強く実感した。
本当の、血の通った人間。そんな、ありふれた事実。リアルでは当たり前のこと。
それなのに、こんなに嬉しいなんて。
少女はソフィアと名乗った。ジョブは
「か、り、た、の……?」
「ううん。私が買い取ったの。ほら、毎日食料と一緒に支給されるユニ(ここでの通貨)があるでしょ? それを元手にいくつかビジネスをしてね。その成果を種銭にギャンブルをして……やっとだよ☆」
「す、ごごご……」
舌がうまく回らず、ベッドで半身を起こしていた跡永賀は口を抑える。「にはは。無理して喋らなくていいよ。少しずつ、少しずつ、ね☆」
ベッドのそばの椅子に腰掛けているソフィアは、剥いていたリンゴを切り分ける。
「はい、あーん」
言われるままに跡永賀が口を開くと、乾ききった唇に痛みが走る。どうやら少し切れたらしい。それを察したのか、ソフィアはリンゴをさらに細かく、一口サイズにする。
「こっちもあーん」
「ぷ~る」
跡永賀の腰のあたりにいたモモは口に含んだリンゴをもごもごさせる。ソフィアによると、モモはプルルンと呼ばれるスライムの一種であり、初心者が手始めに狩るモンスターとして有名らしい。『こんなピンク色は初めて見るけどね。亜種かな?』とも言っていたが、他を知らない跡永賀には判断しようがない。
その後、跡永賀は少女の世話になるわけだが、彼女の真意はわからなかった。なぜ自分を見つけられたのか、そもそもどうして自分を探していたのか。献身的な態度も含め、さっぱりだった。
姉かあかりではないかと疑ったが、それはないと否定。あの二人なら、すぐに自分の正体を明かすだろう。
いっそ素直に、ソフィア本人に尋ねればいい。しかし、そういう考えにはなれなかった。
そんなことをしたら、この生活が終わってしまいそうで……。余計なことをして失いたくはない。知らなくて済むのなら――いつまでも続くのなら、その方がきっといい。
「うん! もうすっかり治ったね。こんなこともあろうかと、回復魔法を覚えておいてよかったよ☆」
「ああ、色々ありがとう。でもどうして最初からそうしなかったんだ?」
「お兄ちゃんを見つけるために探知魔法を使ってたからね。あれは魔法力の消耗が激しくて、今のステータスじゃしばらく魔法は使えなくなるんだよ☆」
「そうなのか。もう色々詳しいんだな」
「皆親切にしてくれるんだよ。ほら、こんなに可愛い魔法少女だもん。聞いたらいっぱい教えてもらったよ☆」
くるりん。ひらひらの赤いドレス姿のソフィアが、ロングの金髪を舞わせて回る。
「そうか」跡永賀は微笑んで、ソフィアの頭を撫でた。「偉いな。俺なんて何もできなかったよ」
ソフィアによると、こうだ。
ここは数世紀後の地球で、人類は大災害により地下のシェルターで暮らしているという設定らしい。
「シェルターって……じゃああの空や山は……絵か」
外を見る跡永賀に、ソフィアは頷く。「多分、天井や外壁がスクリーンかディスプレイになっているんだと思う。精神衛生には有効なんだろうね☆」
「ってことは、元々ここは室内か」
自分は二重の意味で引き篭もりだったらしい。
憂鬱だ。
「外界――つまり地球ね――の安全が確認されて、現在はシェルターが地表まで上昇しているのね。だからゲートをくぐればそこは地上。冒険の舞台になっているの☆」
「行ったのか?」
「ちょっとだけね。モンスターがいっぱいだったよ☆」
「そうか……」
やはり、か。自分には縁のない話だ。
「大災害の影響で生態系が云々って設定なんだろうね。そこら辺の調査はまだまだみたいだよ」
「調査するような人間がいるのか」
「いるよ。未知への探求というか、好奇心旺盛な人がやってるみたい。ほかにも発明をしたり建築をしたり……戦闘ばかりじゃないよ。色々な人が、思い思いのことをやっている。それを受け止められるのがこの〈テスタメント〉なんだよ☆」
「自由なんだな……良くも悪くも」
無秩序ともいえる。跡永賀はこれまでを振り返った。救いの手などなく、取り残された自分。乱暴を働くプレイヤー。制約がないことはいいことばかりではないのだ。
「お兄ちゃんはこれからどうする? どうしたい?」
「……探したい……会いたい人たちがいるんだ。この世界に来ているはずの、今までそばにいてくれた人たちに」
「ふーん」
ソフィアは興味がないようであるような態度だ。
「へんなの」
「そうか?」
「だって、新しく生まれ変わったんだよ? そんなのに縛られず、また新しい繋がりを作ればいいじゃない。そういうチャンスでもあったはずだよ」
「……始めはそう思っていた」
それでうまくいくと思っていた。新しい自分がいて、そして勝手に――都合よく仲間ができると思っていた。
「けど、もう違う」
しかし、違った。
誰もいなかった。誰も手を伸ばしてはくれなかった。
何かを待ち続けた結果が、これだ。
――――『自分では何もしないで、うまい方に事が進むと思うなってことだ』
父の言葉が重くのしかかる。まさしくその通りだった。
結局、今までと変わらなかった。いや、それどころか与えられてきた絆さえ失くしてしまった。
だから、
「今はただ、取り戻したいんだ」
もう一度、
「皆に会いたいんだ」跡永賀は泣きそうな顔で笑う。失くした――いずれ戻ってくるものを欲しがるのも変な話だが、これが真なる望みだった。
新しい絆は、それからで充分だ。
「それに気づけただけで、プレイする価値はあったね」
ソフィアは微笑み、跡永賀の手を握る。そこから伝わる優しさに、彼の胸は暖かくなった。
「そうかもな」
喜ぶべきなのかもしれないが、情けないような恥ずかしいような……跡永賀は複雑な気持ちだった。
ソフィアに連れられて外出した跡永賀が辿り着いたのは、シェルター内の中心――つまり街の中心部であった。彼もこの一帯に来たことはあったが、何もできぬまますごすごと帰っている。
「こっちだよお兄ちゃん☆」
中へ誘われる。その寂れたビルを跡永賀は見上げた。
『
「ここで何をするんだ?」
「人探しだよ」
「お前の探査魔法は?」
「今の私のアビリティじゃ、近場でしか効果がないの。発動条件には対象の名前が必要だしね。だからそこに至るまではここで調べるしかないの」
薄暗い、埃っぽい空間を見回した跡永賀は「そうか」と納得する。奥にはカウンターがあり、そこには端末が設置されている。両脇には『とりあえず置いてみました』とばかりに粗末なソファがあった。舞う埃が鼻をくすぐったのか、跡永賀に抱かれたモモがくしゃみをする。
「ここにはね、プレイヤーに登録されたあらゆるデータが保管されているんだよ☆」
「全部見られるのか?」
「にはは。どれくらい閲覧できるかはわかんないや。地位や職能、技術で変化するみたいだから。とりあえずできるのは、プレイヤーの登録名くらいかな。この程度なら少しのユニでどうにかなるんだよ☆」
端末に表示されたメニューに跡永賀は、「一人一〇〇ユニ……一日に支給されるのと同額じゃないか」
どこが少しだ。
「うん。節約するためには、できる限りピンポイントに――ワードで絞って検索しなきゃならない。外すと丸損だからね。更新されない限りはその項目は何度でも見られるけど、赤の他人のデータなんてぶっちゃけいらないからね。お兄ちゃんは助かったよ、そのままで」
「……まあ、な」
面倒臭がったのが功を奏すとは。人生何がどのように作用するかわからないものだ。
「ここでそれっぽい人を見つけたら、さらに情報を請求するのね」
「そうか。お前の探査魔法は近くにいないダメだから」
「うん。おおまかでも現在位置まで把握してないといけないの。これは精度によって価格が上下するけど、無難な選択をすると総額一〇〇〇〇ユニは必要になるね」
「そんな大金……それもギャンブルか?」
ううん。ソフィアは髪を揺らす。「こういうことは確実に実行したいから、借金だよ。だからしばらくの収入はその借金と相殺」
「…………」
自分に対する厚意に、跡永賀は有り難みや申し訳なさを感じた。同時にどうしてそこまで、と今までの疑問も息を吹き返したが、それは引き続き無視。
「まず探すなら、人脈――尋ね人を芋づる式に見つけられるような人がいいよね」
「だな。それでいてリアルと同じような名前をつけそうな……」
跡永賀はざっと考えを浮かべる。兄は……わからん。ゲームから引っ張ってきそうだが、そのゲームの種類が膨大だ。狙いを絞れない。姉も、本から取ってきそうだが、その数は凄まじい。あかりは担当したキャラクター……全部を把握しているわけじゃない。母は自分の名前を嫌っている。
となると。
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