第9話

「つい持ってきたけど……どうするかな」

 このファイルを兄のところに置いておくのは癪であったが、かといって自分のところに置き場があるわけでもなく、必要としているわけでもない。こっそりどこかで捨てるのも、その後が気になって精神上よろしくない。わざわざシュレッダーを入手するのも手間だし、このご時世、燃やすこともままならない……


「いっそ、そっと姉さんに返せばなんとか……」

 扉の方を背に、ぼんやりファイルの中を眺める。

「ならないよなぁ、やっぱり」

「なにが?」

「ん?」と振り返れば、不思議そうな冬窓床の顔が――

 唖然としたものになった。

 どうやら、跡永賀の手のものを読んでしまったらしい。


「っ」

「ちょ、まっ」

 走り去ろうとする姉の腕を引く。体が弱いとはいえ、さすがに男と女、どうにか引き止めることはできた。

 できたが、そこまでだった。

 踏ん張りがたらず、そのままベッドに身を弾ませる。遅れて、ファイルがフローリングを転がる音。


「……姉さん、無事?」

 下になった形の跡永賀が腕の中をのぞくが、表情は伺えず返事は聞こえない。

「姉さん?」

「どうして……」


 やっと届いた声は、いつも以上に細く弱い。

「データに残らないように手書きでこっそり……なのにどうして……」

「ええと……兄さんが教えてくれた」

「あの畜生が」


 怨嗟にまみれた呟きに、跡永賀は嫌な汗を流した。

「あのね、姉さん」

 とりあえず何か話そうとすると「ごめんなさい」姉が口を開いた。

「別に……そういうこといつも考えていたわけじゃないの……あれはその……思いつき……冗談とか、そういうものであって、だから……あ、でも、跡永賀のこと嫌いってわけじゃなくて」


 何を言いたいのか、よくわからなかった。わかったことは、姉は自分のご機嫌を気にして必死になっているということくらい。

「…………姉さんはさ――いや、おねえちゃんは、あの時の約束を覚えてるの? 俺とは違って、守る気があったの?」

「!」


 ばっと冬窓床が顔を上げる。ようやくわかった表情には、驚愕や羞恥、そして絶望があった。

「あっ、ああっ……」

 ぱくぱくと酸素を求めるように唇を開閉させる姉に、跡永賀は「そっか」

「もう時効というか、自然消滅したと思ってたよ」

「そんな、こと……」


 跡永賀の手が冬窓床の頬を撫でる。

「姉さんは昔のままだったんだね。昔の……俺の初恋の人のまま……」

「! わ、私だって」

「……そっか」


 だいたい、わかった。

「ちょっと、外に出てくる」

 姉の体を横に寝かせ、跡永賀は立ち上がる。ここに――冬窓床と二人でいたくはなかった。一人になりたかった。

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