第35話

「これのこれなんだがな」


 後日、事務所にいくつかの資料を持ってきたコンサルタントに、父は古ぼけた本を開いた。よほど読み込んだのか年季が入っているのか、表紙から中身までボロボロだ。


「ああ、『城』ってこれ……」


 そこに記載された挿絵と文章に彼は難儀そうに目を細める。


「知ってるんですか?」


「実物は見たことないんだけど、俺の前いたところじゃ有名だよ。昔の王様が世界征服の一歩手前で建てて、夢半ばで燃え尽きた王様のあとを追うように燃えちゃった城。だから完成してから数年の間しか現存していなかったわけ。実物の姿を正確に伝えた資料すらほとんど残っちゃいない」


「それじゃ」


 無理じゃないですか。


 僕がそういう前に、彼は、


「まあ、散逸した資料を片っ端からかき集めれば、どうにか形になるんじゃないか。そこから先の――当時の大工の思考や工夫を理解するのは、あんたらの領分じゃないかね。足りない部分はそれで埋めてみせな」


「ああ、うまくやる」


 事もなげに父は言った。こんな自信はまだ僕にはない。……いや、そのうちつくのだろうか、本当に。


 うーん。


 まあ、城を建てればなんとかなるさ。


 きっと。


 多分……


「それにしてもひっどいなこれ。もう中身まで侵食しかかってるじゃん。そのうち読めなくなるぞ」


「何度も読み返したし大昔のもんだしな」


「これちょっと預かっていい? 写本係に回すわ。あとでこれと写本をセットで渡すからさ」


「おう、わりいな」


 なるほど写本か。古くなって読めなくなる前に新しい本へ書き写せばいつまでも残せるわけだ。彼にはそういうツテがあるらしい。


「こっちも異端技術が試せる現場あったら話は回すからさ、それまでに持ってきた資料で予習しといてよ」


「任せとけ」


「ほな、さいなら」


 父から預かった本を抱えて彼は去っていった。置いていった資料のギャラを払おうとしたが、いらんと言われた。


「貸しの一つにされたな」


 父は受け取った資料をパラパラめくる。


「下手をすると金を払うより高くつくかもな」


「でも後悔はないんだろ」


「まあな」


 こんな文献、今まではいくら金を出しても手に入らなかったろう。それが手に入るなら、これからいくらを要求されても本望というやつだろう。


「ごめんください」


 入れ替わるように、彼女が入ってきた。僕の嫁(予定)である。


「よう」


「あ、ご無沙汰してます」


 軽く手を上げた父に、彼女はぺこりと頭を下げる。


「新しく工房建てるんだってな」


「はい。今のところじゃ手狭になってきたので」


「本業が閑古鳥のわりに景気のいいこった。あの親父もいい面の皮だろうよ」


「あんまり気にしてないみたいですけどね」


「昔はあいつに色々無理いって細工物さいくもの作らせたんだがな。それに嫌気がさして鍛冶一筋で始めたんだが、てんで流行ってねえでやんの」


「そうなんですか」


「王宮の装飾はたいがいあいつの仕事だよ。既存のものを模倣するしかない俺と違って、あれこそ追随不可能の芸術の極致だろうな。それを弟子もとらず後世に伝えもしない。もったいねえったらねえ」


「初耳です」


「父親なんて生き物は身内にべらべら手前のことなんざ喋らねえのさ」


 おかげで子供の方は余計な右往左往するはめになるんだよ。


 僕は口には出さず胸の内でぼやいた。


「それで建設案なんだけど」


 僕は卓上に地図を広げる。


「鍛冶屋の向かいの三軒がちょうど空き家になってるから、そこを丸ごと買い上げてまとめて一軒の工房に仕上げようと思うんだ」


「わあ」


 丸で囲った地点に僕の婚約者(願望)は目を落とす。


「その合筆ごうひつだと居抜きは難しいな」


 合筆とは、隣り合ってる土地をひとまとめにすることである。今回は三軒、つまり三つに分かれている土地を一つに合体させようということだ。


「無理につぎはぎしても継ぎ目に無理が来るから、建物は潰していったん更地にしようと思う」


「同感だな」


「そこで相談なんだけど」


 僕は彼女を見る。


「どういう動線どうせんや設備にしていくかは相談したうえで、設計や造形はこちらで全部やらせてほしい」


 実際に建物を使う際に人がどう動くかを想定して作っていくのが動線。これを考慮しなければ、使い勝手の悪い箱が出来上がるだけである。


 資料を仕入れた以上、実践でどう作用するのか検証するのが課題だった。今日の打合せは、その相談もセットだった。


「いいよ」


 あっさり了承してくれた。


「今までの建て方だと限界感じてたし。それにそっちの方が面白そう」


 これ求婚まではいかなくても告白すれば交際くらいいけるんじゃないだろうか。


 僕のほんのりした期待をよそに、父は「よっしゃ」と立ち上がる。


「そうと決まれば早速実践だ」


 ああ、棟梁がいつになくやる気だ。そしてこれはおそらく、僕の出番はそこまでない。


「お嬢ちゃん、現地確認するからついてきてくれ」


「わかりました」


「ついでに鍛冶屋でも冷やかしにいくか」


「わあ。父も喜ぶと思います」


 さっさと事務所を出ていく二人。あれ、これ僕忘れられてない?


 急いで資料をまとめて戸締りをする僕。


 ――――もし、いつか。


 僕は遠ざかる父と彼女の背中を追う。


 ――――城を建てて、父と肩を並べるくらいの大工になれたら。


 そしたら彼女も、きっと…………


 きっと……


 きっと……


 きっと…… 


 …………どうかな?

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