第33話
『数日後に、いくつか資料を渡す。その前に、紹介状を用意するから、まずエマスラに行ってくれ』
そう言われた翌日、僕は今、エマスラという街に来ていた。この大陸でもかなり外れのところで、こんな田舎町に何があるというのだろうか。あ、ここまではマオさんの転移魔法で送ってもらいました。
「こちらです」
「あ、はい」
マオさんに促されて僕は初めて来た町を歩く。こんな街にいったい何があるというのだろうか。それにしてもマオさんは転移魔法まで使えるのか。すごいな。
マオさんは明るくてかわいい女の子だ。最近、コンサルタントの彼と一緒にイガウコに移り住んできたようだ。彼とはいったいどんな関係なんだろう。ミツルさんはともかく――僕、気になります。
「つきました」
言われた僕は、目の前のものを仰ぐ。
「ははぁ……」
彼がここに行けといった理由がわかった。
そこには、奇妙な建築物があった。
なんといったらいいだろうか。上から下まで、今まで僕が
かこーん。
あの竹の筒が水で動いてるのはなんだろう。なんの意味があるのだろうか。
「ごめんください」
呆けている僕をそのままに、マオさんはがらら、と戸を開いた。すると奥から変わった服を着た人がやってきた。
「はい、ただいま……あら」
「ご無沙汰しています」
マオさんと、この人は知り合いのようで、二人は再会を喜んでいるようだった。
「久しぶりねー。あのあとトルカで騒ぎがあったって聞いて、巻き込まれていないか心配していたの。大丈夫だった?」
「ええ。なんとかなりました。それで今日は、ちょっと会わせたい人がいまして」
紹介された僕は背筋を伸ばして、紹介状を渡した。
「これはご丁寧に。……そうなの。そうしたら、立ち話もなんだし、ちょっとお茶でも飲んでいきなさい」
そう促されたので、僕らはここの敷居をまたぐこととなった。
「ここは……なんです?」
「宿です」
マオさんに教えられても、まだピンとこない。
「宿、ここが」
土が
「最近はぽつぽつお客も増えてね。だいたいは科学者関係か好奇心で来る人ばかりだけど。昔よりはずっといいわ」
先頭を行く女性――女将というらしい――の楽しそうな声。
「これもヨハネス・ブ・ルーグ
「教団の影響が以前より希薄になった、ということでしょうね」
二人の会話に、僕も思い出す。
もう一週間以上前になるだろうか。
かつて、一つの宗教で人の心はまとめられていた。良くも悪くも、それがみんなの共通の正義であった。
しかし、それもつい最近終わった。
教団を束ねる総教皇がヨハネス・ブ・ルーグなる者に討たれたのだ。それだけなら、ただの謀反や暗殺といって片付けられそうな話だが、民衆に流れる噂では、かのルーグは無実の罪で処刑されようとしていた少女を単身裸一貫で大立ち回りし、見事救い出したというのだ。まるでおとぎ話のような活躍に、皆はその男を英雄と讃えた。
ヨハネス・ブ・ルーグの正体は現在まで不明で、容貌すら人の間を行きかう噂が折り重なって判然としていない。甲冑を着込んだ騎士であったとか、成人男性を縦に三人並べたような巨人であったとか。はたまた見目麗しい美男子だったという目撃談もあったりする。
その結果、今となってはヨハネス・ブ・ルーグの名前だけが独り歩きし、曖昧模糊で多種多様な英雄像が出来上がっている。これでは正体などわかりようがない。たとえ僕がすでに会っていたとしても、その人物が教団崩壊の張本人とはわからないだろう。
そんなこんなで、トモノヒ教は総教皇の死去で求心力を失う。同時に教団の不正や腐敗――ありとあらゆる不満が爆発する契機となってしまい、各地の教会や聖職者の地位は失墜している。教会が襲撃されたり、神父様が迫害されてるなんて話もあるくらいだ。
そして現在、教団関係各所のみならず、それに呼応するかのごとく、この世は不安定な方へ進んでいる……ような気がする。
「ええと、つまりこの宿は教団では禁止されていた代物……みたいな?」
「そういうことです」
ガラリと引き戸(フスマというらしい)が開かれ、広い部屋に出た。
「ここに泊まったのは相変わらずあなたたちだけだけどね」
「一番高いですからね」
いわゆる最高級の部屋というやつらしい。
「それじゃ、ちょっと座って待ってて」とフスマの奥に消えていく女将。僕らはとりあえずといった流れで変わったクッションに腰かける。
「床に座るんですね」
「このザブドンというものを敷いて座るのが正しいようです」
「ははぁ」
僕は板の床を軽く手でさする。
既存の技術を熟知しているレベルでない僕が言うのもなんだが、ここは既存の技術とはあまりにかけ離れている。今まで培われてきた技という木の先に伸びる枝というのではなく、完全に別の技術体系、まったく別のところで芽生えて成長していった知恵だ。
これがいわゆる異端技術なのは異論の余地がない。
しかし――――
いったい誰が、どうやってここまで形にしたのだろう。
「おまたせ」
お茶を持ってやってきた女将は、僕たちの前にある足の低いテーブルにそれを置き、テーブルをはさんで向かいに座った。
「どれどれ」
女将は紹介状を開き、中の文面に目を通す。少ししてから、僕へ顔を上げる。
「まず、この旅館が異端技術で建てられたということは説明しなくてもいいわね」
「はい」
「私の夫は科学者でね。異端技術の研究を独自にやっているの」
「『カガクシャ』、ですか」
どうやら異端技術を研究する者をそう呼ぶらしい。
「もっぱら地中の遺跡・遺物を発掘して当時のものを復元・再現するのが活動ね」
「あんまり詳しくないですけど、そういうのって考古学者とか、歴史学者って言いませんか?」
「それなんだけどね。この旅館を見ればわかるけど、明らかに私たちの歴史から地続きのものじゃないでしょ?」
「それは、もう」
「そうしたら、既存の考古学や歴史学とぶつかっちゃうわけじゃない? 将来的には統合されるにしても、しばらくは別の名前で区別する必要があるのよ。そこで、異端技術を科学と呼び、専門家は科学者と名乗ることになったのよ。誰かさんの受け売りだけどね」
「そういうことですか」
僕は、このあと彼に渡されるであろう資料に思いをはせる。多分、科学の本だろう。もっと言えば、異端技術による建築の本だ。きっとそれを収益化する……って絵なんだろうな。たしかに儲かるかどうかはわからない。商売とは、依頼があって成立するものだ。需要のない建築の依頼など来るはずがない。それでは金にならない。単なる道楽だ。
ただの道楽に他人を巻き込むわけにはいかない。相手に分け前を与えられない以上、そんなものはただの自己満足だ。彼が渋ったのも無理はない。
僕だって、金にならない建築の案件なんて他人に相談すらしないだろう。仮にそれに興味があったとしても、人知れず一人で試行錯誤しているはずだ。
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