第32話

「それでうちに発注かけたいって?」


 休憩時間中、一服を入れている親方に僕は頭を下げた。


「よろしくお願いします」


「それはいいんだけどよ」


 親方は休憩所も兼ねた仮設事務所の天井を見上げる。


「そういう内輪なら、身内でやってもバチは当たらないんじゃないか」


「いや、身内って」


 実質僕しかいない組でどうしろと。


「キノシロがいるじゃねえか」


「いっつもいないんですよ。それに、父が大工仕事やってるところなんて見たことないですよ。頼りになるんですか?」


 なにかと父の名前が出されるが、僕からすればいっつもどこかへフラフラしていて、まともに働いたところを見たことがない。やる気どうこうより前に、そもそも能力があるのかさえ疑わしい。


 すると親方は納得したように息をもらす。


「ああ、そうか。そういやあいつがああなったのはツチヤが物心つく前か」


「腕がいいとは皆言いますけどね、『あれのどこが?』ってのが正直な話ですよ」


「あれでも昔は天下一の大工と誰もが認めてたんだぞ。あの頃のキノシロ組はうちよりずっとデカくて、というか、あいつがああなったから大部分を俺が引き受けて今のこの組があるわけで」


 かつてのキノシロ組は、棟梁のキノシロの腕に惚れ込んだ大工たちが殺到して一大勢力になっていたと聞く。まるでそれだけでひとつのギルドであったような規模だったそうだ。キノシロ組だけで家どころか町ができるレベルであったとか。今となっては眉唾であるが。


「それがなんでこんなことに」


「まあ、あれはしゃあないわ」


「はぁ」


 いったい何がしょうがないのだろうか。


「それもあるし、もう普通の建築じゃつまらんのだろうな。ただ使い古された技術と仕様を繰り返すだけの毎日じゃ、あいつは満足できないんだろうさ」


「はぁ」


 まあ、飽きるっていうのはあるのだろうが。やることなすこといつも通りで、すっかり慣れ切ったというか。僕としては毎日が勉強で、とてもそんな心境には到達できていないが。


「とりあえず、発注の話はいったん預かる。そんな急ぐ話じゃないんだろ?」


「そこまで急かされてはいませんが、しかし……」


「まあ、話すだけ話してみな。キノシロの尻を叩けるやつなんざ、今となっちゃツチヤくらいなんだからさ」


「前は他にいたんですか?」


「ああ、俺が知る限り、キノシロを本気にさせたのはあいつくらいだな」


「どんな人なんですか」


「それはキノシロから直接聞くのが筋だな。まあ、あいつは話したがらないだろうが」


 妙に歯切れが悪いな。


 親方は「それはそうと」


「しっかし若人衆若人衆でまさかあの子が頭一つ抜けるとはな。大穴というか大出世というか」


 陶芸で一山あてた彼女のことだろう。


「同世代としては鼻が高いだろ。ひょっとしたら歴史に名を残すような偉大な」


「それじゃ困るんですよ」


「え?」


 話をさえぎられた親方は不思議そうに首をひねった。




「…………それは、よかったんじゃねえの?」


「よくないです!」


 テーブルに底を叩かれた杯がダンッと音を立てます。対面の彼は隣の女性と顔を見合わせます。


 時は少し流れてその日の夕刻、場所は行きつけの酒場[ファミリーバンチ]。僕は彼に相談してもらっていたのです。


「いつの間にか彼女はお金持ちで、専用の工房をほしいと言ってきたんですよ!」


「いや、だから、それはよかったんじゃないかって……なあ?」


「んー……」コンサルタントに話を振られた彼女は、不自然なまでに彩った爪で自分の頭をかきます。


「あれだろ? 自分が養える立場になってからアタックしようと思ったら、向こうが逆にそういうポジになって立つ瀬がなくなったぁみたいな」


「そうです! そのとおり!」


 女性は――たしかミツルと呼ばれていた――自分の前の水が入った器を口にする。


「なんつうかさ。そういう男子の心理?っての、バカっぽいというか、バカを見るんじゃねーの」


「そうは思っても捨てられないのが男子の心理なのさ」


 ぽつりと彼は言う。


「好きなら好きって言やーいいじゃん。そんなチンタラやってたら他の男とイイカンジになるんじゃねーの」


「でも今の僕じゃ」


 告白したところで結局。


「なにそれヨボーセンってやつ? フラれるかもってビビってんの?」


 女性の辛辣かつ的確な発言に泣きたくなりました。


「遊びならともかく、本命ならそりゃ入念な下準備くらいはするだろうさ」


 彼は僕の肩を持ってくれるが、それでも彼女の言葉は否定しませんでした。


「金があるとか偉いとか、そんなんどーでもいいんだよ。なんでそれまで待ってくれると思ってんの? つーか受け身? ウジウジしてキモイってーの」


「そこまで言わんでも」


 彼は卓上の串焼きに手をのばし、一度噛んで苦い顔をしました。[のざわな]の味を知った僕も、最近はここいらの料理には不満を覚えるようになりました。


「それで、何も愚痴を聞いてほしいだけってわけじゃないんだろ?」


 彼にうながされて、僕は再度酒をあおりました。


「僕に仕事をください」


「いや、もうあるよね」


「よその下請けじゃなくて、もっとドカンと儲かって、すごくクリエイティブで独創的な仕事を」


 そうすれば彼女も僕のことを……


「それ、人に頼んでめぐんでもらうことじゃなくね?」


 ミツルさんの呆れた顔。


「自分でどうにか見つけて成り上がるならわかるけど」


 返す言葉もない。


 が。


「でも他に手はないじゃないですか」


「いやソッコーで告れよ。どんだけ足踏みしてんだよ」


 二人で話してる横で、彼は腕組みをして「うーん」と唸る。


 やがて、


「あるっちゃある」


「本当ですか!」


「あるが……うまくいく保証というか見込みが取れん」


「それでもいいんです」


 僕は勢いよく食いついた。


「たとえ少ない可能性でも、それに賭けてみたいんです」


「だったらチョクで言えっての。なんで回りくどい方向にだけアグレッシブ」


 嫌味のような小言のようなものを聞き流しつつ、僕は彼の話に耳を傾けた。

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