第31話(第5章)

「うーん」


 筆者はデスクの上に散乱する資料の前で腕を組み天井を仰いでいた。


「ちゅーっす」


 すると隣の席に不真面目な同僚が腰かけた。ずいぶん遅い出勤である。


「なに、まだやってんの」


「まとまらないんだよ」


 筆者の机の上をのぞき込んだ彼は自身の顎をなで、無精ぶしょうひげをじょりじょりと鳴らした。


七英雄伝しちえいゆうでんねぇ。うちの一大企画にするって息巻いててこれだよ」


「目玉にするレベルのモノだとは自負してるよ。ただ……」


 編集長に見せる予定の進捗報告書を彼に渡す。


「剣の章が恐ろしく進んでないな」


「かの英雄の偉業がどれがどれだかわからないんだよ」


「あー」


 彼は納得したように書類を返し、ドカッと席に戻った。


「まず歴史の表舞台に現れたのが『ヨハネス・ブ・ルーグの乱』。ここが出発点」


「それにも諸説あったろう。アルティ・マークス・ルーグのネガキャンや聞き違い、教団の敵対勢力によるプロパガンダか、あるいは総教皇暗殺のカバーストーリー……」


「そこ否定したら起始剣きしけんの流れが追えないぞ」


「まあそうなんだがな」


 同僚は椅子に体をあずけて背もたれを揺らす。


「それ以降、ヨハネス・ブ・ルーグの活躍は残されていない。これ以後に様々な人間が、政治・経済・文化に多大な影響をおよぼしている。そのどれかが剣の英雄の偉業であり」


「その全部が無関係な偉業かもしれない」


 筆者はその言葉に苦々しくうなずいた。


「それにも一説あったよな。剣の英雄は一人じゃなくて、多数の人間が剣の英雄という役割を演じ、その偶像を作り上げたって。意図的にそうしたのか結果的にそうなったかはおいといて」


「そうなると一個人の英雄譚えいゆうたんとしては成立しなくなる。まず一個人として特定しないと……」


「で、そこで詰まってると」


「悪かったな」


「別にいいけどさ。怒られるの俺じゃないし」


 筆者は意図せずため息を吐いていた。この案件を取りまとめられたなら、記者冥利に尽きるであろう。おそらくは、一生モノのキャリアだ。しかしできなければ、途方もない時間をドブに捨てた無能の烙印らくいんをおされることになる。そうなると、今後の出世どころか会社にいられるかどうかすらわからない。


「最大の謎は、一個人という前提として、なぜここまで偽名を多用したのか。何かの隠蔽工作か。しかしなんのために」


「なにかあるたびに適当に名乗ってるだけじゃねえの」


「そんなまさか」


 しかし、そうだとするなら、それはそれで辻褄つじつまは合うのだ。けれども、本当にそんな浅はかな理由なのだろうか。かの英雄の偉業をたどると、そこには綿密な計画や卓越たくえつした慧眼けいがんがあるのだが。まさかそれが全部行き当たりばったりであるはずが……


 うーん……


「悩むのもいいけどよ、そろそろ出ないとまずいんじゃねえの」


 筆者は時計を見て、慌てて立ち上がる。


「悪い。編集長が来たらさっきの報告書を渡しておいてくれ」


「いいけどさ。今日はどこだっけ」


「この前の人間国宝のとこだよ。そこにも剣の英雄が関係してるらしい」


「本当に関係していたらいいな」


 その激励か皮肉かつかない同僚の言葉を背に、筆者は取材先へ向かうのであった。




◆◆◆




「ツチヤくん、あのね」


 拝啓みなさま。お元気でしょうか。


 僕は今、重大な局面に立たされています。


 僕しかいない事務所で書類整理をしていると、意中の相手が訪ねてきたのです。彼女は鍛冶屋の娘で、僕の幼馴染です。


 こんなことは初めてだったので、内心動揺しつつも余裕のある風で彼女を応接スペースに案内しました。


「う、うん。どうしたの」


 安いソファーに腰かけてもらうのは恐縮だが、これがうちでは最高級の椅子なのです。


 あ、お茶。あ、うちにそんなものなかった……


「ツチヤくんにね、お願いがあるの」


 来たか!


 僕は驚愕と感動を一緒にしました。


 そう、みなさまももうお気づきでしょうが、僕は彼女に恋してます。正直今すぐにでも結婚したいです。しかし僕はまだまだ半人前で、事務所も今となっては僕が書類上の段取りをしているだけで、実質的な業務は別の組の下請けです。懇意こんいにしてくれている親方が回してくれた仕事を受注し、それを知り合いの大工に回してるだけです。たまに僕自身も現場に出ますが、これといった熟練度もないのでほとんど雑務です。これでどの面下げて彼女はもちろん、彼女のお父さんに挨拶できるでしょうか。


 とまあ、そんなわけで、こんな半端な状態で求婚できるわけもなく、ズルズルやっているのが現状です。


「お願いって、なにかな」


 しかし逆転の一手はあるのです。僕からは言えませんが、彼女から求婚されるのは――――それは、しょうがないことなのです。断るのも男が廃るというか、それなら負い目もないし万々歳というか。


 つまりこれは、そういうことなのでしょう。


 自分と結婚してほしい、と。


「えっとね」


 心の中でガッツポーズを連発してる僕の前で、彼女は言い淀みます。そりゃ言いづらいでしょう。一世一代の告白なのですから。


 期待感最高潮で彼女の言葉を待つ僕。


「こういうことは初めてで……」


 彼女は自分の襟元えりもとをつかみ、そこから胸にかけて手を伸ばします。


 え!


 これはさすがに僕も予想外です。そりゃもちろん、将来的にはそういうことをするとは思っていましたが、さすがに夫婦になる前にそういうことは。


 いや、嫌ではないんですけどね。


 婚前交渉の是非に思いをはせる僕に対し、彼女は小さな袋を取り出しました。チャリンチャリン鳴っていることから、どうやら、お財布代わりのそれを首からさげていたようです。


「これで私のお店を作ってほしいの」


 しめて合金貨八枚。


 手付金ということで、僕はそんな依頼をされた。

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