第25話

 仕入れ先の建具屋は、うちの事務所からそれほど遠くはない。というより、工事関係の事務所やらそれにまつわる建具屋や大工の住居は、利便性からだいたいかたまっている。ここら一帯が建設業地区と呼ばれるくらいだ。


「あら。息子さんが来るなんて珍しいね」


 建具屋の主人とは昔会ったきりであったが、お互い覚えていた。


「ご無沙汰しています」


 軽く挨拶する僕の横に彼が立つ。


「こちらの組とは長い付き合いと伺っております」


「え? ああ、そうだね。キノシロの棟梁とは何年も前からやり取りしてるよ。最近はゲンのやつしか顔を見せないけど」


「ここ一年は毎月そのゲンという方とやり取りしてるわけですね」


「ああ、そうだね。もうそのくらいになるかな」


「そうですか。ところで今日の純銀貨九〇枚の仕入れですが」


「はい?」


 すると建具屋の主人はあからさまに困惑した。


「別のとこと勘違いしてない?」


「どういうことですか?」


 僕は思わず口を開いていた。


「だって今日の取引でしょ? おたくとそんな値段でやり取りしてないよ?」


「そんなはずないですよ」


 主な仕入れ先はここしかないし、ゲンさんの請求書にもここだって。


「今日、取引したのは間違いないんですね?」


 彼の念押しに建具屋の主人は当たり前だと言わんばかりにうなずく。


「純銀貨三九枚でそっちに渡すと言ったよ。さっきの話だし、いくらなんでも忘れるはずないよ」


 それは――その価格は、昔からの平均的な仕入高だった。


「そうですか。最近は原料の高騰でそちらも大変ですね」


「え? なんの話?」


 建具屋の主人は困惑するばかりだが、僕も同じだ。


「最後に。ここまでの話、神に誓って本当ですね?」


「もちろん。《神に誓って》本当さ」


 そこで主人は合点がいったのか、大きく頭を縦に揺らした。


「ありがとうございます。あ、これ、うちのタダ券です。おかげさまで最近リニューアルオープンしたんですよ。よかったら」


「あ、ああ。そういう話ね」


 彼から一枚のチケットを受け取って、建具屋の主人は頬をほころばせる。


「ここ最近評判だよ。美味しいらしいじゃない」


「恐れ入ります。それじゃ、お待ちしてますんで」


 一礼した彼に引っ張られる格好で、僕たちはその場を後にした。


 うまく話をすり替えてその場を納めたのだと、後で気が付いた。




「これが反面調査ってやつよ」


 事務所に戻る道中、彼が教えてくれた。


「もともとは脱税を調べるための手なんだけどな」


 まだ整理のつかない頭で必死に僕は理解しようとした。


「売買契約――取引ってのは、売る側と買う側の両立が条件だ。つまり、一方が純銀貨九〇枚で何かを買えば、もう一方には純銀貨九〇枚で何かを売ったという事実が残る」


「それが食い違うなんてこと、本来はありえませんよね」


 彼女の言葉に同意だ。


「となると、どちらかが悪意か過失でミスってることになる」


「じゃあ、ゲンさんが聞き間違えたんですよ、きっと」


「それ本気で言ってんの?」


「…………」


 図星をつかれた僕は返す言葉がない。


「仕入れ値は昔から変わっていない。にもかかわらず、請求されている値段は右肩上がりだ。明らかにバレないようにごまかしつつ、次第次第にピンハネする額をつり上げてる。原料の高騰なんてもっともらしい言い訳つきでな。逆にこれで『うっかり』なんて線は消えた」


「昔から同じくらいの費用なのに倍近くの値段だと偽って、その差額で儲けていたわけですね」


「マオはほんと誰かさんと違って賢いなぁ」


 彼は感心。僕は傷心。


 ずっと騙されていた。


 認めたくないが、そういうことだろう。


 親子そろって、何もかもを丸投げしていたところにつけこまれたのだ。


「それで、どうするね」


「まず事実確認を」


「それでクロだったら?」


「盗んだ分は返してもらいます」


「で?」


「多分、うちを辞めてもらうことになると思います」


 返金と解雇。


 妥当なところだろう。


 僕はそう思っていた。


 しかし。


「それじゃよそに流れるだけだな。しれっと寄生先を替えて、『運が悪かった』くらいに考えて平然と働くだろうさ。最悪、あなたたち親子の悪評流して被害者ヅラだ。この組、下手したらこの業界で爪弾つまはじきにされるかもな。そうなると干上ひあがって、最終的には」


 彼の予想に異論を唱える隙はなかった。実際、そうなる未来がありありと浮かぶ。


「それは、しかし、でも……」


 そうなるとして、それを阻止する手立てがない。黙って寄生され続けるか、切り捨てて血を流すか。この二択しかないだろう。


「いじめすぎじゃないですか?」


 暗雲たる思いで胸をいっぱいにしていると、マオさんが彼に言った。


「これいじめか? かなり助け舟出してると思うが」


「だったら最後まで舟に乗せてあげればいいじゃないですか。お店の工事がんばってもらったんですし」


「それについてはもう相応の報酬を……まあいいか」


 彼は諦めがついたような顔で僕を見た。


「ゲンさんとやらは今日はずっと、よその手伝いなんだろ?」


「……はい」


「じゃあすぐにケリがつくな」


 彼にはなにやら、まだまだ考えがあるらしい。


 彼はいったい何者だろうか。


 このとき僕は、自分のところの心配より、彼への興味が勝っていた。

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