第23話(第4章)
泣きたい。
泣けば楽になれるならとうに泣いている。
事務所で僕は頭を抱えていた。
改装工事の見積もりをした。それまではよかった。あとは双方が納得できる内容を提案して着工させればいい。
そう思っていたところに、あの老人が介入してきた。かの老人は有無を言わさず滅茶苦茶な要求をしてきた。
『そんなもん断りゃよかったじゃねえか』
棟梁の父はそう言うが、あれをその場で断れる人間などいるとは思えない。聞かなかったことにしてもいいが、それだと後が怖い。これは直感だが、あの要求を無視した場合、うちは欠片も残らず消されていそうな気がする。なんというか、そういう勢いというか恐ろしさがあったのだ。
それゆえ、僕は知りうる限りの職人と人足を集め、持てる限りの労働力を総動員した。結果、[のざわな]の改装工事はとんでもないペースで完了したが、当然、そのツケは労働者に支払う給料に如実に表れた。
基本的に、依頼主からいただく代金は前払いだ。しかしあの空気じゃ前金をもらえるわけもなく、今回の経費はこちらの手持ちから払った。つまり高くついた人件費は当然こっちが立て替えたことになり、うちの蓄えはそれによりほとんど吐き出した。貯金が底をつきれば、いよいよツケや借金という話になるが、個人的にそういう火の車は避けたい。
「ツチヤ、これ仕入れの代金な」
避けたいが、避けられない。
ゲンさんが僕の机に請求書を置いた。
「ああ、支払いはちょっと待ってくれます?」
「いいけど。それと」
太い親指が事務所の出入口を指す。
「客来てるぞ」
そこには
「ああ、どうも」
僕は立ち上がり、男女二人を応接間に案内した。応接間とは言っても、この部屋の片隅に仕切りを入れただけの粗末なものだ。
「ちょっと待ってください。今お茶を」
と言いつつも、お茶なんてうちには置いてなかったことを思い出す。
「お構いなく」
そう言うのは僕と交渉していた男だ。青年に届くかどうかの少年といった見た目であるが、こちらへの値段交渉を含めた[のざわな]の立て直しを仕切っていたあたり、底知れぬものを感じる。
「欲しかった?」
「いえ」
隣に座る男に問われた女は首を振る。彼女はたしかウエイトレスをしていた。
「いや悪いね。支払いが遅くなって」
対面に座った僕に彼が申し訳なさそうにする。
「工事が終わってすぐ新装開店するはめになってさ、それから三日三晩ずっと満員御礼でさ。回復魔法と強化魔法をこいつに掛けてもらいつつ働きづめさ。それでもさすがに限界で四日目は臨時休業にして皆仲良く倒れてさ」
「大変でしたね」
少女も苦笑した。なんとも景気のいい話だ。これなら代金は耳をそろえて払ってもらえるだろう。立て直しに失敗して工事代金も払えませんという話であったら、本当に泣いていたところだ。
「まったく、また死ぬかと思ったよ。……んで、支払いはおいくら?」
「まずですね、あの店の調査結果なんですが」
僕は手元の書類のいくつかをめくる。
「あの物件、どうも[のざわな]が入る前に、別の飲食店が何代か、あるいは長期間に渡って入っていたようでして」
「居抜きか」
「はい」
居抜きとは中古の物件に付属した設備をそのまま使用すること。新規で設備を用意するより安上がりだが、その設備をそのまま引き継ぐのだから老朽化といった負債にもなる。今回の場合は、先代からの飲食店設備をそのまま引き継いだわけだが、それが問題だった。
「これといった更新や修繕はなされていないようで、現在の技術から判断すると厨房はもとより店舗そのものの耐久性に難があるかと」
本来、こういった調査結果は工事前に知らせるのだが、あの老人のせいで事後報告になってしまった。
「合間を縫っていくつか補強しましたが、根本的な改善とは言えませんのでご留意ください」
「事故物件つかまされたかな」
「あくまで現在の我々の技術水準からの判断ですから。当時から欠陥があったかについては断言しかねます。当事者間でどういった契約をされたかにもよりますし」
「そうなるわな」
彼は腕を組んでため息を宙に上げた。
「それで、当初の依頼通り、全体のおおまかな塗装と補強は完了し、見た目は新しくできたかなと」
「まあ、あれなら文句はないね」
本当なら仕上がりの確認も直後にするところだったのだが、これも事後承諾だ。依頼者側にしても、どうやらそこらへんの確認をする暇もなく、なかば見切り発車で営業再開したらしい。彼らもあの老人に振り回されている被害者だ。
「費用としては、余りの建材や塗料を積極的に使わせてもらいましたので、だいぶ抑えられました」
この提案も着工前にするべきだったよな、と我ながら思う。
「最初は銀貨五〇枚だったけど、最終的にどうなったの?」
「銀貨二〇枚で済みました」
「わあ。すごいですね」
少女が驚きと喜びの声を上げる。当初の値段の半額以下なのだから、それもそのはず。こちらとしても、きちんとした計算にもとづいた適正価格だと自信を持って言える。
「ほうほう」
請求内訳書に目を通した彼は、懐から財布代わりであろう袋を取り出す。しかし僕の胸中は暗い。筋を通した、お互い納得づくの結果だが、こちらは完全に赤字だ。下手したら経営に痛手となるかもしれない。
「で、人件費の方は」
ドシャリ。テーブルに置かれた袋から重量感のある音がする。
「あなたならそっちも書類にまとめてるんでしょう」
「え、ええ」
企業秘密の四文字が頭をよぎったが、僕は給料支払明細書をまとめたものを彼に見せる。
「なるほどね。深夜に働かせたのと照明係まで用意すればそりゃ高くつくわな。そもそもの基本人数に加えて臨時雇いマシマシだし」
「あ、でも、それはあなたたちとは関係のないことですから」
あの老人が勝手に騒いだ結果で、それに対して彼らは了承していない。[のざわな]に対して請求することはできない。
泣きたいくらい資金繰りが苦しいのは事実だが、いわれのない代金を請求して依頼者を泣かせるくらいなら潔く潰れてしまおう。
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