第20話

「おいしかった」


「ありがとうございます」


 会計に来たウェイトレスに、先輩はお金と請求書を渡しました。


「え」


 その金額に私はあっけにとられました。


 純銀貨三枚。


 ご存知の通り、純銀貨とは純度が極めて高い銀貨であり、混ざりものの多い合銀貨とは区別されます。貨幣価値としては純銀貨の価値は合銀貨の十倍です。通常、私たちのような庶民が一食に使うのは合銀貨三枚が限度です。


「ちょうどいただきました」


 ウェイトレスがにこやかに領収書のみを渡します。つまり、お釣りの出るような払い過ぎではなく、あの料理二つできっちり純銀貨三枚分ということです。ということは、半分の一人分として、今の食事が普段の五食分ということです。これはどう考えても破格です。


「でもおいしかったでしょ?」


 店を出て帰り道を歩く先輩はあっけらかんと言いました。


「それは……そうですが。いいんですか、おごりで」


 あの料理には、たしかにそれだけの価値があったと私も思いました。今まで食べたものの中でも最もと言えるかもしれません。


「いいのよ。結局お金稼いでも、使い道がないのよ」


 先輩の言葉に、私は納得した。さきほど支部長も言っていたが、先輩はここの支部のエースだ。担当する冒険家も多い。それはつまり、もらえる給金も多いが、作業量もそれ相応だ。


「優秀な人間はより多くの仕事をこなし、より多くの給料をもらう。それはわかるけど、頑張れば頑張るほどドツボの気もするわ」


 先輩のぼやきは労働の本質を表現しているようでした。お金がなければ生きていけませんが、稼ぎすぎても使うアテがないのです。それでプライベートがなくなれば、なんのために生きているかわからなくなる。仕事人間なんて御免被るというスタンスの私には、永遠の命題でしょう。


「何かあれば相談なさいな」


 先輩は最後に、


「もし担当冒険家が指標に届かなくて詰められそうだったら、扱いが楽なのを回してあげるから」


 それだけ言って別れていきました。私はその背に一礼します。


「はい。ありがとうございます。ごちそうさまでした」


 つくづく頭が下がる、立派な方です。


 きっと私は、この人を超えることなんてできないんだろうな。


 そのときは、そう思っていました。


 そのときは。




「ども」


 翌日、開局早々、彼が来ました。私の初めての担当冒険家、ヴァルサールさんです。


「おはようございます。クエストの受注でよろしかったでしょうか」


「ああ、そうじゃないんですよ」


「…………?」


 通常、二回目に来る冒険家のやることといったら、クエストを受けに来たくらいしかありません。やるべき手続きはすでに前日に完了しているので、私もそう思い込んでいました。


「昨日一通り読んでおきましてね」


 彼が取り出したのは、私が渡した本でした。いくつかの紙片がはさまっており、裏表紙の方までそれが続いています。


「もう全部読んだのですか」


「要所・要所をね。一字一句を追ったわけじゃないよ」


「なるほど」


 よくわからないまま私は頭を揺らしました。正直、当時はここからどんな展開になるか予想ができませんでした。今の私なら、『ああ、彼らしいな』と思わず笑ってしまうんでしょうけど。


「まずギルドについてなんですが」


 数ある紙片のはさまったページの一つが開かれる。


「それにつきましては、昨日申し上げた通り、現在のランクでは」


「それはあくまで『設立』の要件ですよね」


 ええ、そうです。


「『加入』については、黒でも白でも問題ないはずです」


 ここから彼の、まったく冒険家とは思えない、一般の冒険家とははるかに異なる、


「加入申請をお願いします」


 冒険家活動が始まったのです。


「わかりました。それでどちらの」


 ここで私はすぐに切り替えました。なるほど。誰かに誘われたか、身内がいて、すでに設立されたギルドに入りたいんだ、と。そう思ったのです。


 結果としては見当外れもはなはだしかったんですけどね。


「まずギルドメンバー全員が一ヶ月以上消息不明なところをリストアップしてください」


「ええと……少々お待ちください」


 私は席について早々、窓口を離れることになってしまいました。


「まずこちらが、イガウコ支部の全ギルドなんですが……」


 一枚の巨大な表を持ってきた私は、彼を事務局の端の大きなテーブルのある席へ誘導しました。ここは冒険家が大勢で会議するときや談笑するときに使われるスペースですが、まだ開局したばかりなのもあってか、誰もいませんでした。

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