第18話

「おまたせしました」


「どもども」


 就業規則を受け取った彼はパラリと中を開く。


「内容はそちらもわかってますよね?」


「冒険家の活動に関する一般的なことなら」


 さすがにこんな分厚いものを丸々一冊暗記するのは無理でした。製作者ももう現場にはいないでしょうし、事務局内でも完全に熟知している者はいないでしょう。


「まあ、そんなもんですよね」


 彼はそう言い、本を懐にしまいます。


「このままクエストを受注しますか? でしたら昇格となりますが」


 黒の冒険家には大きく分けて二パターンあります。記念や体裁で冒険家登録する方、すぐに依頼を受けて白へランクアップする方です。 


「少し目を通して、また明日来ますよ」


 彼はどちらでもなく、しまった本を軽く叩いて去っていきました。


「お待ちしております」


 彼の後ろ姿を見送った私に先輩が近寄り、


「初めてのお客どうだった?」


「登録だけして帰られましたよ」


「ああ、『記念組』ね」


「それとは違う気がするんですよね」


「どう違うの?」


「うまく言えないんですけど」


 私が答えに窮していると他の受付嬢から「ヘルプお願いしまーす」の声。見ると、向こうで冒険家の長蛇の列が。クエスト制では担当というものはあまり関係ないため、人数が多く手続きが大変になるとこうして応援要請があります。受付嬢の主な業務の一つです。


 結局、その後は先輩方の手伝いや助言を受けるだけで初日の業務は終わりました。


「お先に失礼します」


「お疲れ様。今日は大変だった?」


「それがですね」


 帰る際、支部長に挨拶したとき、私は初担当の冒険家の話をしました。


「ふむ」


 支部長は額を触って考える仕草。


「たしかに記念登録や、冒険家という肩書き目当てではなさそうだ」


「どう思います?」


「少し話は変わるかもしれないけど、一番厄介な客ってどんな人だと思う?」


「それは……いわゆる無法者……ルールを無視して要求するような厄介なお客様でしょうか」


「逆だよ」


 支部長の言葉に今度は私が考える仕草をしました。


「ルール破りの客ならこちらに正当性がある。合法的に粛々と駆除すればいい。本当に厄介なのはルールを熟知し、建前としては正当な要求をする人だよ。常識的に考えれば無茶苦茶でも、規則がそれを肯定あるいは禁止していない以上、その要求には正当性が宿る。おかしいとは思いつつも、むざむざその手伝いをしないといけない」


「なるほど」


 思えば、冒険家とはそういうこととは無縁の生き物でした。事務局や受付嬢から言われたことに従い、クエストやスカウトをこなします。それに違反すれば違約金や資格停止、最悪冒険家登録抹消まであります。規則違反はもちろん、その規則の隙をつくようなことはまずしません。


「こっちでも就業規則には改めて目を通しておくから、何かあれば私に報告を」


「支部長に直接ですか?」


 これは新人の私でも異例だとわかりました。受付嬢の案件の大多数は受付嬢間で解決するのが通例です。それでも解決しない案件でようやく上の管理職に話が上げられます。


「これは勘なんだけどね。ほかの受付嬢でも対処できないような状況になりそうなんだ。仮に解決できるとしても、その間はそれにつきっきりで、窓口業務がとどこおりそうだ」


「なるほど」


 言うまでもなく、受付嬢の仕事は彼の相手だけではありません。そちらに受付嬢総掛かりとなっては、ほかの冒険家の対応に支障が出るのは当たり前です。


「それに管理職として一番怖いことは、こちらのあずかり知らないところで重大な問題に発展することだからね。現場の判断も尊重するけど、手遅れにならない程度に報告はするように」


「わかりました」


 私の返事にうなずいて、支部長は壁に貼られた表を見ました。


「まずは一つだね」


 その表の下には受付嬢の名前があり、そこから伸びるように担当冒険家の数が★で表示され縦に並べられていました。今日が初仕事の私のところには、★が一つあります。


「地方と中央でバラツキはあるけど、イガウコ支部なら現役冒険家を一〇人前後担当して一人前、二〇人までいけばどこででもやっていける一流受付嬢だ」


 ここで改めて私は先輩のすごさを感じました。あの人の★は三五、噂では中央の支部から転属の打診があったとか。


「君の教育係は昨年の最優秀新人賞と年間MVPの二冠だから参考にはしてもあまり比較はしないように」


 支部長の言葉に安堵しました。先輩を見習えと言われてもできるものではありません。


「ただ『指標』というものはあるからね」


「ああ、ノルマですね」


「『指標』ね。あくまで目標であって、達成することが義務や目的ではないからね」


 支部長の妙なこだわりは、組織としてのしがらみのようでした。つまり、建前としては『達成しなくてもよい努力目標』ということですが、実際はその『指標』に到達できない場合、後で詰め寄られたり、皆の前でつるし上げられたりするそうです。受付嬢の場合は各支部の例年の傾向と実績から担当冒険家の『指標』が割り当てられます。これが達成できないとなると、事務局前での冒険家登録の声かけや、近所の家を回って名前だけでも登録を促すといった外回りを課せられるとか。これが義務的なノルマと何が違うのか、私にはわかりません。


「それでは、そういうことで。また明日」


「はい。ありがとうございました」

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