第17話

「あのー」


 私の方にも人がやってきました。受付嬢デビュー初の相手です。


「ここで冒険家の登録? ができるみたいなんですが」


「ああ、それなら」


 私は手元の引き出しから紙と羽ペンを取り出し渡します。


「こちらの『冒険家登録申請書』にですね……」


「ふむふむ」


 彼は言われた通りに書こうとして、ピタリと止まった。そんな手間取るような箇所があったろうか。


「この『名前欄』なんですがね」


「ええ。お名前を」


「ここで決めていいです?」


「なるほど。大丈夫ですよ」


 こういうケースはたまにあるんです。偽名や通称を登録するパターンですね。なにぶん冒険家稼業なんてやる人種は、だいたい後ろ暗いというか、すねに傷のある人が多いんです。そうでなければ、騎士や勇者をやりますからね、だいたい。もっとも、このときすでに教団は崩壊していたようなので、めざとい方は勇者制度は将来性がないと判断し、冒険家に乗り換えるケースが多かったと聞きます。


「ご本人だとこちらで確認できれば結構です」


「じゃあ、あなたがわかればいいんですね」


「ええ」


 これも受付嬢の難儀なところです。たとえば裁判や検死のとき、身内の人間がいない冒険家である場合、担当受付嬢が駆り出されることがあります。ここでの業務の範疇ならまだしも、そんなことまでやらされるのは不服でした。


 ――――そうか、この人が私の初めての担当になるんだ。


 私はここで初めて気づきました。


 彼は少し悩んでから、名前欄を含めた書類の必須事項を字で埋め、私に提出しました。


 冒険家名はヴァルサール・フォン・ヒルデブラント…………


 私は書類を裏返し、彼の目をじっと見ました。


「念のため聞きますけど、この登録名、覚えられますか?」


「ヴァルサール……フォー……ヒルナンデス?」


「…………」


「…………」


「ヴァルサールだけにしません? お互いのために」


「そうします」


 そう、彼です。後に初の冒険家ユニオンを立ち上げた彼です。このときは右も左もわからないルーキーだと思っていましたけどね。


「ええと、それでは〈ヴァルサール〉で登録完了いたしました」


「ども」


「冒険家協同組合を使われるのは初めてということでよろしいですか」


 うなずく彼に、私はここの使い方を教えました。


「まず、冒険家の大半はこちらで仕事を受注します。大きく分けてクエスト制とスカウト制の二つです」


「クエストとスカウトですか」


 すっ、と私は冒険家が集まっている巨大掲示板を指します。


「あちらの掲示板に貼られている依頼書から受注するのがクエスト制です。どなたでも構わないから、条件だけ指定するといった方法です。冒険家とのつながりや知識がない方が事務局を通してやりますね。ほとんどの冒険家はクエスト制で身の丈に合った依頼を選ぶ、といった方法が主です」


「スカウト制というのは」


「特定の冒険家あるいはギルドを指名する依頼方法です。信頼性が高かったり、特殊技能を持っていたりすると直接依頼されることが多いですね。こちらはその担当の受付嬢が冒険家に伝えて受注するかどうか打診します」


「ほうほう。つまり依頼者からすれば、とりあえず誰でもいいからできそうなのを募集するのがクエスト制、やってほしい冒険家やギルドに直接お願いするのがスカウト制ってことですかね」


「その通りでございます」


 一回で理解してもらえて助かりました。この制度を理解させるために何度も説明しなければいけないケースもままあるのです。


「スカウト制って、組合通す必要あります? これなら直接頼んでも一緒では」


「そうなると私的な契約ということになりますね。たしかに組合への手数料分は浮きますけど、支払い拒否や契約不履行といった場合も当事者間で解決していただくことになります。また、冒険家が現在どういった活動をしているかを把握しているのは組合だけですので、結局冒険家へ直接の依頼をするコストとリスクを考えると、こちらを通した方が安上がりだと思います」


「他の依頼で今どこで何やってるかわからないってわけか。現在進行形で状況がわかる間柄なら、そもそも契約上のトラブルなんて起こらんだろうし」


 納得したようにうなずく彼は、


「ところで冒険家ギルドっていうのは」


「それについては『冒険家ランク』と合わせて説明しますね」


 私はちょうど、係が届けに来たエンブレムを彼に渡します。黒いデザインの円形のバッチであり、黒・白・黄・赤・青・紫の六つの色の星が円の中に描かれ六芒星を形成しています。


「まず、登録された冒険家は黒のランクとなります」


「ひょっとして、一番上のランクは紫だったりしません?」


 彼は受け取ったバッジを手の中で転がしていました。


「ご存知だったのですか?」


「いや。元ネタの方をね」


「? ええと、その通りです」


「んで、黒だとギルドは作れないみたいな?」


「はい。そちらもご存知で?」


「今のは勘と経験」


「なるほど」


 何が『なるほど』なのか、私にもわかりませんでしたが、とりあえず納得しました。


「黒の冒険家ランクは、あくまで名前を冒険家名簿に登録したという証明です。クエストやスカウトの受注により、冒険家としての活動を認められると白に昇格します。そこから更に一定以上の成果が認められると黄色以上へ。ギルドの設立申請はそれからとなります」


「なるほどわかった」


 彼はうなずいて、


「そういう諸々が書かれたルールブックとかありません?」


「少々お待ちください」と私は引き出しを調べ、目的のものがなかったので備品係のおじさんのところへ行きます。


「え? 就業規則?」


 備品係のおじさんは困惑顔でした。


「ありますよね?」


「そりゃ、あるとは思うけど……」


 おじさんと一緒に入った倉庫を見回します。


「なにしろ誰も使わないからね」


 建前としては、冒険家は協同組合のルールを熟知・遵守していなければなりません。そのため、冒険家は冒険家協同組合が定めた規則や手続きが記された書類を本来は持っているはずなのです。当然、事務局としても全員が必携するように、製本して配布することが規定されています。


「多分、あのホコリかぶってる箱に入ってると思うけど」


 おじさんが指し示した箱に私は恐る恐る手をかけます。


「息は止めた方がいいよ。喉に入るから」


 私はうなずいて、箱のふたを外しました。するととんでもない量のホコリが立ち上り、さながら煙です。素早く私たちは離れます。


「製作した当時は物珍しさもあって結構さばけたらしいんだけどね」


 おじさんはゲホゲホと手で顔の前をあおいでいます。


 現実問題、規則における判定や指導は受付嬢に一任されており、冒険家は一切目を通していないというのが常です。冒険家は文字通り、冒険にしか興味はないですし、規則を理解できるような教養がある方も少ないのです。


「僕も現物を触るのは初めてかな」


 ホコリの霧が晴れ、箱の中をのぞき込んだおじさんは本を取り出し、修復と洗浄の魔法をかけてから私に渡しました。


「ではもらっていきますね」


「はいよ」


 おじさんに一礼しつつ、私は受付に戻りました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る