第14話

「御免」


 奴が来たのは、そんな時だった。


 店の入り口に目を向ければ、そこには年老いた男がいた。藤色を主調とした装束、白髪交じりの前髪は後ろに流され結われている。頑固と偏屈を表現しろと言われたらこうなりそうな、そんな見た目の面差し。


「なにか」


 主人は文字通り手が離せないので俺が応対する。


「……ここは飯屋と思ったが」


「ああ……」


 たしかに、店は開けていたし、閉店やら改装やらの張り紙もしていなかった。しかしまさかこんなときに限って客が来るとは思うまい。今までろくに来なかったのだから。


「今ちょっと新装開店の打ち合わせをしているところでして、営業はしていないんですよ」


「ほう」


 鋭い眼光が俺から奥で食っている連中に移る。


「ここは飯屋であると認めるわけだな」


「それは、そうですが」


「では、飯屋とはなんだ」


 いきなりなんだこいつ。


「飯屋とは、腹をすかした者に飯を与えて金を得るのが本道だ。飯屋に食わせるだけの食料があり、それに金を払う者があるならば、当然に成立する」


 要するに料金は出すから食わせろと。


「ですがまだ値付けもですね」


「それなら食ってから決めよう。私のつけた値に異があれば、その場で改めて決めるがよい」


 そこまでして食いたいのか。そんなに腹減ってるならよそ行けよ。


 思うところはあるが、モルモットは多いに越したことはない。どうせ注文あろうがなかろうが九〇杯以上は作るのだ。


「では、どうぞ」


 老人はふんと悠然と腰を下ろす。あわせて、外で待機していたらしい執事っぽい人も入ってきた。


「お手数をおかけします」


「ああ、いえ」


 こっちの人は礼儀正しい。


「む」


 偉そうな老人はミツルを見た。


「この料理には箸を使うのか」


「あ? 当たり前だろ。ひょっとして使えねえのか?」


 ギャルの言葉に、シワの刻まれた眉間がくわっとなる。


「このマスタル・ユザーヌを見くびるな。箸など先端以外汚さず食ってみせよう」


 誰もそこまでしろと言っていない。


「のざわな丼でございます」とマオが卓上に置く。あれ本当は俺の分。


「ではいただこう」


 器用に箸を持ち、チキンカツをつまんで一口。


 ぴくっと動作が止まるが、そのまま黙々と二口目――――


 三、四――――


「珍しいですね」


 俺の隣の執事が呟く。


「旦那様は高名な食の評論家です。一口食べればだいたいの講評を済ませるのですが」


「論ずるまでもない、的な」


「いえ。計りかねて食べ続けているのでは、と。こんなことは初めてです」


 結局、一言もなく完食。そして俺を見た。


「この料理を作ったのは誰だ」


「ここの主人ですが」


「主人を呼べぃ!」


 うるせえじいさんだ。


「あの、なにか……」


 ほら厨房にも聞こえて女主人が自分から来た。


「できましたよ」


 ついでにマオが俺の分を持ってやってきた。ああ、ようやく食える。


 俺が受け取るより速く、のざわな丼をさらっていく手があった。


 俺の……


「この肉はなんだ。いったいどうやって調理した」


「ええと、それは鳥の肉に味をつけたものを芋の粉をまぶして卵液に」


「芋の粉と卵だと!」


「はい。それからパンを砕いて作った粉をまとわせて油で」


「そうか。このサクサクとした小気味よい食感は」


 新しいのざわな丼をもぐもぐしながら老人は納得する。俺の分……


「この鳥の肉を油にくぐらせたものもそうだが、このとろみだ、このとろみがにくい。ともすれば一本調子になりそうな料理の味に変化を与えている。同時にこのとろみが保温効果も生み、冷めにくくしていると見た。これは」


「それは芋の粉をですね……」


 主人が『あん』の作り方を話し、老人が驚きを語る。


「旦那様がここまで料理で興奮なさったのは初めてです」


 これには執事も驚きのようで、懐から取り出したハンカチで自らの側頭部の汗をぬぐっていた。


「元来、料理の美味し不味しとは素材が新鮮か、その土地の名産であるかの差異であった。しかしこの料理はそういった先天性とはかけ離れ、美味という領域を新しい次元へ昇華させている。土台となる米、主役たる鳥の肉の油料理、それを補助するとろみ。この三位一体の料理、見事というほかなし」


 どうやら満足したらしい。


「それでおいくらに」


 厨房に戻っていった主人の代わりに俺がお伺いを立てる。


「一枚払おう」


「一枚……」


 老人の脇に寄った執事が巾着のような袋を開いて差し出す。評論家はジャリジャリと音を立ててそこに手を入れた。


 一枚ってどの一枚だ。ひょっとして銅貨じゃないよな。いや、まあ元はタダみたいなもんだし、それでも構わんっちゃ構わんが……


 カタン。テーブルにはたして一枚の硬貨が置かれる。


「っ」


 一連の流れを見ていた大工が声を漏らす。思わず、びっくりといった調子だ。


 かくいう俺もビビった。


 純金貨。


 この世界の通貨で最上位で、その価値は合銀貨一〇〇〇枚に値する。


「気に入った。ちょくちょく寄らせてもらおう。して、新規改装とやらはいつ終わる」


「それを今、そこの方と話していたところで」


 すると老人のギロッとした目が青年を見た。


「あ。……あのですね、ただいま調査が終わったところでして、当店で費用を算出して提案させていただいて、了承をもらい次第仕入れと職人の確保をしてそれから着工ですので……数ヶ月……急いでも数週間は」


「遅い!」


 ピシャリと一喝された。まっとうなこと言ってるのに。哀れな。


「食とは人類が有史以来絶え間なく続けた営み。いわば人の英知の集大成。その歩みを阻害することは人類への冒涜と知れい。その進歩を貴様らのチンケな事情で遅延させるなど言語道断。街中の大工をかき集めて昼夜を問わずやれい」


 そんな無茶な。


「そんな無茶な」


 俺が思ったことを大工が言う。


「黙れ! 死ぬ気でやれば出来ぬ道理はない! 出来ぬと言うなら貴様らそのまま死んでしまえ! このユザーヌが縊り殺してくれる!」


「ひええ」


 もはや脅迫である。俺は知らん。知らんぞ……


「わかったらさっさとゆけい! 今夜から早速始めろ!」


 老人の罵声に背を押されるように、大工は出ていった。あーあ。


「それで、ほかにはないのか」


 ようやく俺に回ってきたのざわな丼は、物欲しそうに見ていたロミーネに譲りつつ、


「当面はこののざわな丼一本で行く予定ですよ」


「つまり将来的には増やしていくわけだな」


「ええ。ただ新しい料理を作るにも何かと先立つ物が必要でしてね。仕入れルートの開拓やら新しい調理器具の購入やら……」


 こっちまで急かされたらたまったものではない。もっともらしい理屈を出させてもらう。


「ふっ」


 すると老人は軽く笑った。


「わははは」


 と思ったら大きく笑った。


「このユザーヌにつまらぬ駆け引きはよせ」


「おい」という掛け声で、執事が俺の前にさきほど使った巾着を置く。じゃらじゃらと重そうな音がした。結構入ってるのは明らかで、さきほど無造作に一枚取り出して使ったことから、おそらくその中身は全部……


「好きなだけ使うといい。ただし、最初は必ず私に食わせろ」


「そりゃもう」


 ギャーギャー手前勝手に騒ぐだけの腐れクレーマーならいざしらず、こんだけ金払いのいい客ならこっちもいい顔してやる。


「楽しみにしている」


 立ち上がり言い残し、老人は店の出入口へ向かう。嵐のようなじいさんだった。執事もこちらに一礼し、後に続いた。


「失礼」


「あ、いえ……」


 そこで誰かと鉢合わせた。その誰かは入れ替わりにこっちに来た。


「だいぶ老けたけど、元気そうだな」


「知り合い?」


 元・勇者の運び屋のおっさんは椅子に腰かけ、


「昔の身内ってところかな。今はただの他人さ」


「ふーん」


 訳アリと察したが、あまり深堀りするのも野暮だろう。仕事の話を済ませよう。


「仕入れたものは全部良品でした。さすがです」


「だてに運び屋であちこち回ってないからな。本物の素材の仕入れなら任せてくれ。ちょうど大口の教団があのざまで暇だったしな」


 これには助かった。さすがに俺も仕入れルートの開拓までやってる余裕はない。餅は餅屋だ。各地に根付いているであろう各種食材を熟知している人間に一任できてよかった。


「どれどれ」


 おっさんはオールバックを揺らして運ばれてきたのざわな丼に手をつけていく。これひょっとして俺は食えないパターンじゃなかろうか。


「まあまあいける」


「あっそ」


 二杯目をもぐもぐしているミツルの感想は心底どうでもいい。


「うめえなこれ」


「そりゃよかった」


「多少高くても売れるんじゃないかこれなら」


「俺もそう思うんですけどね。あんまり高くても客来ないんじゃないかって。とりあえず合銀貨一〇枚でいいかなって」


「さっきのじいさんはなんて言ってた?」


「べた褒めで純金貨一枚置いていきましたよ」


 おっさんは一瞬何かを考えたように目を伏せた。


「なら合銀貨一五枚でもいける」


「ほんとぉ?」


「だめなら値段は下げればいい。この手の価格設定は多少高めで下方修正するくらいがいいんだ。上げるより下げる方がウケがいいからな」


「じゃあそうしよう」


 幸い、今さっき、運転資金はたっぷりいただいた。ある程度試行錯誤する余裕はある。


「ようご主人。あんた俺が昔惚れた女に似てるな」


「あらお上手」


 軽快な語り口で請求書を主人に渡したおっさんは、厨房に所狭しと並んだのざわな丼にぎょっとした。


「これ何個作ってんの」


「一〇〇個」


「食いきれねえだろ。こっちに来てる同業者に配ってやるよ。いい宣伝になるぞ」


「それもありだな」


 俺はうなずく。


 いや、いっそ……

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