第109話 文豪の宿

 さる文豪ゆかりのその温泉宿には、子供の頃と成人してから、二回訪れたことがあった。

 二度目の時は小さい甥っ子も一緒であった。一人で散歩に出ようとしたら甥も一緒に行きたがったのだが、靴は宿の人によってどこかにしまわれており、見つからなかった。私は宿の下駄をつっかけたが、幼い甥に合う子供用の履物はなかった。仕方なく大人用の下駄を履かせたものの、勿論大きすぎるので、少し歩いただけで甥が歩行不能になり、すぐに宿に戻らなければならなかった。

 その宿は、文豪が執筆のために逗留しただけでなく彼の代表作の中にも登場していた。散歩は、その作中に出てくる宿の近くの共同浴場を見に行く目的だったのだが、可愛い甥のために断念せざるを得なかった。

 その甥も今や生意気なティーンエイジャーで、二度の旅行の出資者であった父は数年前に他界していた。私はといえば、相変わらず一人で、会社から無理やり取得を強要される長期休暇をどのように消費するか考えあぐねていた。

 旅行が嫌いな訳ではないが、あれこれプランを立てるのが面倒なのである。まず、どこに行くのか決めることが難しい。休暇は九日間。同僚などは、このためにこの仕事をしているのだ、とこぞって海外へ出かけて行く。そんな気力はないものの、自分もせめて近場の温泉ぐらい、と考えて思い出したのが、この文豪ゆかりの温泉宿だった。名前はとっくに忘れていたし、文豪の作品中に宿の名は登場しないのだが、さすがインターネットの時代である。作家名、作品名、温泉等のキーワード検索で、ものの一分で発見できてしまった。場所も、多少辺鄙な場所ではあるが隣の県だ。そのうえ、大型連休が終わった五月下旬ということもあり、お一人様用のプランで空き部屋があった。早速ネットで二泊予約をし、何十年ぶりかに再読するために文豪の代表作を含む薄っぺらい短編集を書店で入手した。


 隣の県といっても、その温泉宿があるのは半島の先端に近く、高速を使っても片道五時間とルート検索では見積もられていた。しかし私はのんびり車の運転をするのが好きなので、帰りは下道でもよいかと考えた(十時間以上かかるが、休暇中であり、どうせ他にすることもないので)。

 途中温泉に入ったり有名な滝を見たりして、宿には十六時頃到着した。駐車場は宿から少し離れた川沿いにあり、その川沿いの道を川下に向かって少し歩き、橋を渡った対岸に宿があった。橋の手前には四阿あずまやがあった。中央のテーブルを囲むベンチが四方にあり、屋根の下から宿を一望することができる。

 五月下旬とはいえ既に日射しが強くなっている屋外で絵を描くには丁度いい場所だ、と私はひとりごちた。若い頃趣味で描いていた絵を、最近また始めたのだった。スケッチブックに写生して色鉛筆で彩色する程度の素人絵だが、よい時間潰しになる。人目を気にせずにスケッチブックを広げられる場所が容易に見つかりそう、というのもこの山の中の宿を選んだ理由の一つだ。


 XXXX(文豪の名前)ゆかりの宿


 そうでかでかと書かれた看板は明らかに宿の景観を台無しにしていた(宿をスケッチする場合はあれを無きものにする必要がある)が、文豪が長く逗留し、後に代表作となる小説を執筆た部屋はそのまま残されており、見学可能だった。その部屋の前の廊下からは、宿の前を流れる川と橋が見下ろせた。橋を渡った対岸にある四阿にも。相変わらず人の姿はない。

 ここは温泉街だが、観光地からは離れた山の中である。温泉につかりながらのんびり過ごす以外の目的で利用するには不便なところだ。きっと子連れの家族には不評だろう。明日も天気がよさそうだし、四阿を占領して気兼ねなく絵を描くことができそうだ、と内心ほくほくした。

 この日は甥のために見ることができなかった町の共同浴場(橋を渡って駐車場とは反対側に向かって川沿いの道を下ってすぐのところにあった)を見学したり、湯治用の温泉宿以外には何もないひなびた町中を散策したりして過ごした。

 翌朝は、昨晩に引き続き、文豪も利用したという宿の温泉風呂で寝汗を流しさっぱりしてから、部屋に用意してもらった朝食をとった。それからスケッチブックを抱え、旅館内の自販機で購入した冷えたお茶のペットボトル、2H、HB、2B、5Bの鉛筆、鉛筆削りとねり消しゴム(消しカスが出ない)をつめた鞄を肩から下げて、麦わら帽子を被って意気揚々と宿の玄関を出た私は、橋の向こうの四阿に数名の人影を認めた。時間は既に午前十時を過ぎていた。彼らは、快適な屋根の下で銘々スケッチブックやカンバスを広げ、この文豪の宿を描いているようだった。


 出遅れた。


 すっかり意気消沈して橋を渡り、四阿の横を通りすぎる際に横目で見たところ、水彩道具を広げている者までいた。広くない四阿には、もはや私が入り込む余地はなかった。観光地から離れた山の中とはいえ、ノーベル文学賞まで受賞した文豪にゆかりがあり、ネット検索すれば簡単に名前がわかる有名な宿であるから、このような素人絵描きが絵を描くためにやって来るのも珍しくないのであろう。もっと早く行動を起こし場所取りしなかったことを悔やんだが、後の祭りだ。

 仕方なく別の場所を探すことにした。

 五月下旬でも日中の日射しは強く、駐車場に停めてある車からサングラスをとり出した。それからまた宿の方向に川沿いの道を歩き、四阿に陣取っている人々を横目で眺めつつ通過して更に歩いた先で、河原へ下りる階段を発見した。少し歩くと汗が背中を伝うほどだったが、水の側なら涼しかろうと思った。

 川の水は澄んできれいだが流れが早く、水遊びは無理そうだった。土手から降りる階段に腰かけると、対岸の宿は私の部屋がある別館――後から増築か改築された比較的新しい建物――の真正面であった。本当は文豪の部屋が残る本館を描くつもりだったのだが、そうするのにベストポジションであったはずの四阿を逃してしまった。それで、川の水が流れて行った先に木々や他の建物の間をぬって建つ廃屋のような木造建築物を描くことにした。


 昼食は、近くのスーパーで稲荷ずしを買って、駐車場まで戻り車の中で食べた。先に宿の人に確認しておいたのだが、宿には昼食を提供するサービスはなく、徒歩圏内にはうどん屋どころかコンビニすらないという。

 四阿の人々は容易万端に弁当持参であった。当分移動しそうな気配がないのでがっかりしながら宿のトイレを利用して再び玄関を出ると、宿の庭をうろついている中年女性に遭遇した。宿のスタッフとは思えなかったが、泊り客は私以外には男性が一人だけ(だから性別による時間交代制の温泉風呂はほぼ貸し切り状態)と聞いていたので、おや、と思ったが、廃屋のスケッチの興が乗ってきたところだったので、足早に宿の対岸の土手の階段まで戻り、夕方になり陽光が傾くまで絵を描き続けた。硬いコンクリートに座り続けたせいで酷く痛む尻や腰を延ばしつつふと見ると、四阿を占領していた人々は既にいなくなっていた。


「おかえりなさい」

 と玄関で宿の主人に笑顔で迎えられた。

「ずっと日向にいらっしゃったから、お疲れでしょう」

 驚く私に、対岸の土手に座っているところが宿の窓から見えていたのだと主人は説明した。

「あの、四阿の方々は、お客様のお知り合いの方々でしょうか」

「え?」

 私は驚いて、縁もゆかりもない人々だ、と言うと、主も驚いた様子で

「てっきり、絵のお好きなお友達なのかと」

 私は、本当ならあの四阿に陣取ってこの宿を描きたかったのだが、先客がいたので仕方なく別の場所を見つけ別の建物を描くことにしたことを説明し、ああいう風にこの宿の絵を描きに来る者は頻繁にあるのではないか、と尋ねた。

「いえ、あんなことは、初めてです。ですから、てっきりお客様がお知り合いの方々とここで待ち合わせをされたのかと」

 どこの馬の骨とも知れない連中が、日頃から絵描きスポットになっている訳でもなんでもないこの場所に突如現れ、ゲリラ的に宿の四阿を占領して絵を描いて去っていったのだと知り、私は驚いた。なぜよりによって私が休暇で絵を描きに来たタイミングに合わせて出没したのか。連中は図々しくも、宿のトイレを無断で借りて行ったのだそうである。私がスケッチを中断して宿に入ってトイレを使い出てくるのを見て真似したらしいのだが、宿の人達は、彼らを私の知り合いだと思い何も言えなかったのだという。

「泊り客でもないくせに、図々しい!」

 私は憤慨して言った。

 翌朝、チェックアウトの日であったが、昨日の絵がまだ完成していなかった。宿の主人に、二時間程駐車場の利用を延長させてもらえないかとお願いすると、夕方までなら構わないという返事であった。その日は朝から四阿に人影はなかったが、私は描きかけのスケッチを完成させたかったので、土手の階段へと向かった。

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