第86話 BLカップル

 カフェでの読書は、一種の賭けだ。

 少々ざわついているぐらいなら気にならないが、声の大きすぎるお喋りな人達に隣のテーブルに座られたら、本を読むのは諦めた方がいいし、一人でもずっと電話で会話している場合も然り。静かにスマホをいじっている人でも、あまりにも動きがせわしないと気になったりする。それでも週一ぐらいのペースで、おいしいコーヒーを飲みながら小一時間本を読むために、私はカフェに足を運ぶ。


 その日は、駅前の書店で購入した音楽雑誌を読もうと、書店の近所でいつも混雑しているカフェに入った。カウンターで注文の品を受け取って、運よく空いていた二人掛けのテーブルの、通路側ではない方、他のテーブルとひと繋ぎになっている長椅子側に腰かけ、すぐに雑誌を狭いテーブルの上に広げて読み始めた。今月は贔屓にしているバンドの特集号だ。


 右隣のテーブルは一人無言でスマホの画面を眺めている女性で幸いだったが、左隣は高校生と思しき男子二人組だった。試験勉強なのか、向かい合う二人は、勉強道具を広げるには狭すぎる二人用テーブルの上に参考書を積み上げているが、これがちっとも勉強に集中しないので、正直失敗したと思った。


 二人ともよく似たタイプで、華奢な体つきに黒髪、服装もパーカーやトレーナーというごく普通の高校生で、兄弟ではないはずだが、正直見分けがつかない。こちらは雑誌に集中したいのだが、一人がすぐに脱線して、他事を始める。もう一人がたしなめて勉強に戻ろうとするが、相棒はすぐにまた脱線をする。

 隣のテーブルとの間隔が狭く、ひと続きになった長椅子に座る方は私から三十センチと離れていないため、聞く気がなくとも、会話は筒抜けだ。頼むから真面目に勉強してくれないかという願いもむなしく、初め向かい合わせに座っていた椅子席の方の男子が、長椅子の方へ移動してきた。

 長椅子は彼らのテーブルを少し越えたところで太い柱にぶつかり消滅する。この一番端の席だけ椅子の長さに少し余裕がもたれているのだが、いくら華奢とはいえ男子高校生が二人で並んで座るにはやはり無理があり、元々長椅子に座っていた彼が、私の側にずれてきた。それにより、ただでさえ狭い私と彼との間の空間が、更に狭められた。


 なにさらしとんじゃ、われ。小学生か。


 突然のパーソナルスペースの侵害に殺気立つ私の真横で、彼らは嬉しさを隠しきれない様子で、腕をからませたり、相手の肩に頭を載せたり、要するに、イチャイチャし始めた。


 離れて座っていた時から、相手の手を握ったり膝に触れたり、やたらボディタッチが多いとは思っていたのだが。私は半ば感動し、文句を言うのを忘れた。日本では、男子高校生のカップルが公共のスペースであのように堂々といちゃつけるようになったのだ、と。


 とはいえ、迷惑なものは迷惑なので、さっさと勉強に打ち込んでくれないものだろうか、そもそも暑苦しいから側に寄るんじゃない、と少し反対側にずれながら再び雑誌に目を落とすと、


「田中と吉村じゃん」


 と女の子の声がした。彼らは弾かれたように密着させていた体や頬を引き剥がして、テーブルの前に立つ女の子の顔を見つめた。


「何してんの? 試験勉強?」


「お、おう」「英語の」などと口ごもる男子達に「あっそ。じゃ、またね」とそっけなく言い、彼女は行ってしまった。


 その後、長椅子に後から移動してきた方が元の椅子席に戻り、彼らは向い合って大人しく勉強を再開した。


「ねえこの問4、選択肢の四つとも全部わかんないんだけど」と一人が読み上げる英単語四つ、高校生レベルの英語なので、隣で聞いている(聞かされている)私には簡単すぎて、正解を教えてさっさと黙らせたくなるが、無論我慢だ。


 彼らはいちゃついてなくても私の読書の邪魔をするのだった。しかも、私より先に来ていたくせに、全然帰る気配がない。


 仕方がないので、私の方が諦めてカフェを出ることにした。


 返却口にカップを置いて店を出る時にふと振り返ると、椅子側の男子がまた長椅子に移動して、二人は肩を寄せ参考書を覗き込み、仲睦まじくしていた。


 あの二人にわざわざ声をかけにきた同級生らしき女の子は、ちょっと意地悪だな、と私は思った。あのバカップルが、学校ではまだ気付かれていないと本気で信じているのなら、そっとしておいてあげたらいいのに。

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