第85話 不安の種

 その子の毎日は不安に満ちていた。


 例えば朝、母親に送られて幼稚園に到着すると、彼女は何度も振り返っては、自分の教室の位置を母に確認せずにはいられない。


「ここだよね」


「ここでいいんだよね」


 毎朝、欠かさず、である。


 教室の場所は頻繁に移動したりしないから、昨日も一昨日も先週もその教室のそのドアの前に立ったはずなのに、その子は母に確認してからでないと、教室に入っていくことができない。


「ここであってるよね」


 母が何度目かに頷くのを確認してから、その子は教室に入っていく。まだ五歳だというのに、もしここが自分の教室ではなかったら、いつもとは違う顔ぶれに迎えられて、指をさされて笑われてしまう。そんなことが、とても心配で、その子は不安で仕方がない。


 それでも病気にでもならない限り、その子は幼稚園に通う。行きたくないと駄々をこねるというオプションは、まだその子の内部に芽生えていない。彼女は無口で大人しい子だと誰からも言われ、比較的そのまま大きくなるため、子供らしく駄々をこねる機会はいつの間にか失われることになる。


 大きくなっても、彼女の不安は減るどころか増える一方だ。不安の種というのは、どんな隙間からでも侵入し、コンクリートを突き破って芽を出す植物みたいに、とにかくしぶといのだから。

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