第78話 顔が緑色になった子
その子は概ね健康だったが、体の不調は、季節の変わり目など、度々起きた。父は会社へ、姉は学校へ。看病してくれる者などないので、病気になるのは嫌いだった。まず学校に電話して今日は休む旨を伝えなければならない。それから、箪笥の引き出しから保険証をとり出して病院に行く。お金は、父親からもらった食費が残っているのでそれで足りるはず。
大体、酷い咳に悩まされる。病院ではプラスチックのマスクから薬剤を吸引し、咳止めを処方してもらう。体が丈夫なその子の父親は、病気になることなど滅多になく、稀に風邪をひいても市販の咳止め薬しか飲まないため、家に常備してあるのはそれだけ。
だがその子の咳にその市販薬は効いた試しがない。麻薬の中毒者のようにその白い粉をオーバードーズするのだが、咳のし過ぎで呼吸が止まり、最終的に嘔吐する。その時、数秒間呼吸が完全に止まる。それがその子にとって何より恐ろしいことであった。それには恐らく、思い出せないくらい幼い頃に小児喘息で入院していたことだとか、大学生の従兄に座布団を顔に押し当てられ窒息しかけたことなどが関与しているのだが、その子がそれに気付くのはまだ当分先の話。
その日は幸い、咳は出なかった。ただ体が異常に重く、病院に行くのは断念した。頭が割れるように痛く、寒気もした。熱が非常に高いようだった。その子の家には体温計がない。負傷した獣のように、ただじっとして回復を待つしかなかった。
ずっと寝ていたかったが、自然の要求にには逆らえず、重い布団を跳ね除けて、這うようにして階下のトイレに行くと、ドアの脇にかかっている鏡に映る自分の顔が見えた。
緑色じゃん
いや、黄土色というのか、黄色がかった緑が加わった茶、とにかく、今まで見たことのない色。
これがいわゆる「
ああ自分は死にかかっている。とその子は案外穏やかな気持で思い、和式トイレでどうにか用を足して、ついでにキッチンで水を少し飲んでベッドに戻る。その同じベッドで、かつて病気になった時には、ベッドサイドに置かれ、ラップをしてストローが刺さった大きな湯呑から水を飲ませてもらったり、すりおろした林檎を食べさせてもらったりしたことがあったなどと思い出し、これも不吉な兆候だと熱で朦朧とした頭で思う。
すりおろした林檎の代わりに、枕元にマックのチーズバーガーがいつの間にかポツリと置かれていたのは、仲の悪い姉が帰宅して置いたものだが、その子はそれに長いこと気が付かないし、気付いてからも、食欲がないので食べることができない。会社から戻った父の冷たい手がその子の額に触れたようだったが、それも夢うつつであり定かではない。
結局、誰からもチーズバーガー一個以上の援助をもらえなかったので、その子は自己に備わった回復力のみで回復する。そして、数年後に病院でバイトをするようになり、風邪ごときで母親に付き添われて来院する男子高校生を見て、その子は大層驚くのだ。
恥ずかしくないのだろうか、高校生にもなって親に付き添われて病院に来るなんて。
病気になったのは自業自得なので、放置されるのが当然などという考え方を、普通の家庭で育った子はしないのだということは、普通ではない家庭で育ったその子には、理解のしようがない。
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土気色:土のような色のことで、生気を失った人の顔色などに使う言葉。
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