第63話 竹林(ちくりん)
竹林に、女が一人立っている。女の粗末な着物は前がはだけ、あちこちにできたかぎ裂きから血が滲んでいる。むき出しの胸や腕にも、無残に抉られた跡が生々しい。
女の胸には、赤子が抱かれている。赤子は少しも動かない。
母子は鷲に襲われた。山間に広がる、身を隠す場所とてない平原を突っ切る途中だった。
少し前から薄青い空の高みを旋回しながら、母子の道行きを見下ろしていたそれが、すいと頭を下げて急降下を始めた。
さっと影がさし、突然の突風に女が驚いて顔を上げると、広げた両の羽の長さが大人の背丈とかわらぬほどの大鷲であった。鋭い鉤爪は抵抗する女の腕の肉を容赦なく抉り取った。それまで静かに眠っていた赤子が、火が付いたように泣き出した。
鷲の狙いは明らかに女が胸の前にかき抱いている生後間もない赤子で、太く屈強な肢で掴んで奪い去るつもりなのだ。
顔を真っ赤にし、歯のない口から舌を突き出して泣く我が子を守ろうと、女は猛禽の鋭い嘴や鉤爪のせいで髪を引きちぎられ、剥き出しの皮膚は勿論、着物の上からでも容赦なく肉まで裂かれながら、どうにかこの竹藪まで逃げてきた。
大鷲は竹が乱立する林の中までは追ってくることができず、怒りのひと声を上げると、よく晴れた空の端の白く霞んだところへ飛び去った。
危険は去った。
だが女は、片目をかっと見開いたまま、瞬きもせず立っている。もう片方の目は、鷲の鋭い爪で、ほじくり出されてしまっていた。油を塗ったように艶やかだった黒髪はざんばらで、腰に巻いた縄でどうにか女の体につなぎ止められているボロ着は血まみれだった。
露わになった胸に大事そうにかき抱いている赤子は、少し前からこそとも動かず、竹と竹の間には、風が吹き込む隙間さえない。
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