第64話 整形中毒

 カウンセリングを受けにやってきたのは、十頭身の完璧ボディの有名モデルFにそっくりな割に野暮ったい服装をした加藤栞(仮名)二十九歳女性である。正直、F似の女性は見飽きていたが、美容整形希望者の多くが現在人気沸騰中のFのようになりたいと言うのだそうだ。


 整形の技術が飛躍的に進歩し手ごろな価格で誰でも好きな顔やスタイルに変身できるようになったこの時代に、なぜあえてその他大勢と似たり寄ったりの没個性的姿になりたがるのか、俺には全く理解できなかった。俺の場合は古いフランス映画の俳優、カルト的な人気を誇るものの一般的知名度は低く、好き嫌いの別れる個性的な容姿の男優を選んだから、他者と顔が被ることはほとんどないのだが、道を歩いていて自分のドッペルゲンガーみたいな輩と頻繁に遭遇して人格の崩壊を起こしたりしないのだろうか、と他人事ながら心配になる。


「それで、今回はどうして整形を?」


 と俺に促され、下を向いてもじもじしていた栞はようやく口を開いた。


「自信が持てないんです。やっぱり。見た目はFそっくりになったとはいえ、人から見つめられると委縮してしまって」


「美容整形をされてから、まだ半年なんですよね? 新しいルックスに慣れるのに時間がかかる方はいらっしゃいますよ。そんなに気にしなくても、時間が経てばそのうち」


「駄目なんです、私。人と目が合うのが怖くて。不細工な自分を見られることに耐えられないからだと今までは思ってました。でも、この姿になっても、やっぱり怖いんです。以前の醜い私なら、他人から注目されることなんてほとんどありませんでした。でも今は、男性でも女性でも視線に耐えられなくて」


「同性もですか」


「明らかに全身整形だってわかるから、見下されて、を探されている気がしてしまって」


「あらって、今の美容整形技術はほぼ完璧ですよ。外科医ですら、表面を眺めただけで施術の痕跡を見分けるのはほぼ困難です。あなたの不安は、容姿が大きく変化してまだ間もないから、少々神経質になっているだけでしょう」


「昔の私なら、『自意識過剰になっているだけ』と自分に言い聞かせることができました。美しくない私を好んで見つめる人などいないからです。でも今は、人々は確実に私のことを見ているんです。恐怖は日増しに強くなります。いっそのこと、元の容姿に戻ろうかと真剣に考え始めています」


 いくら値段が安くなったとはいえ、彼女の言うように「全身」をいじったのであれば、それなりの費用と身体への負担がかかったはずで、僅か半年ほどでまたその負担を体に強いるのは医者として勧められなかった。といっても、美容整形は俺の専門外なのだが。


「わかりました。それでは、どのように記憶を整形したいとお望みでしょうか」


「子供の頃からブスとバカにされ、苛められてきました。その記憶を書き換えてもらえれば、失った自信を取り戻せると思うんです」


「それは、可能です。ただ、記憶整形の難しい所は、一部を書き換えると、様々なところで記憶に矛盾が生じ、それによって新たな問題が生じることになりかねない」


「その時は、また修正していただけますよね」


「それはまあ……」


 俺はその後三回カウンセリングを行い、栞の記憶整形プランを作成した。




 加藤栞が再びクリニックを訪れたのは記憶整形手術から三ヶ月後のことだった。服装は見違える程派手になっていた。下着が見えそうなミニスカートで格好良く足を組んでおり、俺がじっと見つめても身じろぎもしない。記憶整形は成功している。それでは、一体何をしに来たのか。


「先生、私、バカになっちゃったみたい」


 話し方まではすっぱになった栞曰く、容姿には自信がなくとも勉強・仕事の面では優秀だった彼女が、記憶整形手術後から、まったく仕事に集中できなくなったという。


「四六時中おしゃれや彼氏のこと……あ、彼ができたって話したっけ? とっても素敵なのよ。俳優のNにそっくり。まあ整形だと思うけど。お互い様よね」


「彼氏に夢中で仕事に集中できないというのなら、一時的なことでしょう。知り合って間もない頃に他事が考えられなくなる、というのはまあよくあることです」


「でもそれじゃ困るのよ! 私って、なんだか、仕事だけはてきる、有能な女だってそれだけを心のより所にして生きてきたらしいの。無様よねえ。そんな記憶が残ってるから、今の恋愛にうつつを抜かしている自分が許せないの。ねえ、この無駄な記憶を消してくれない?」


 前回の記憶整形では、彼女に視線恐怖症を発症させた最悪の経験、つまり好きな異性の前で死ぬほどの屈辱を受けたというそのトラウマを消去したのだった。記憶を削除するにせよ追加するにせよ、必要最小限に留めるのが理想的だ。金儲け主義の悪徳業者でなければ、脳整形外科医は皆そのように患者に説明するはずだ。


「それは可能ですが、お勧めできません。以前のあなたのように、強いフォビア、つまり恐怖症で生活に支障をきたすような場合なら記憶整形の有効活用といえますが、女子高生が瞼を二重にするような気楽さで記憶をいじるのは」


「昔は美容整形だって色々批判されていたんでしょう。親に貰った体を云々。くだらない。化粧の技術を磨いて驚くほど見た目を変えるのはよくて、整形手術は駄目ってどういう理屈よ。記憶整形だって同じでしょ。あと十年もすれば、皆ビタミン剤を呑むような気楽さで記憶を書き換えるようになるわよ」


 自信に満ち溢れた栞は、頑として俺の忠告に耳を貸さず、自らの主張を繰り返した。俺は渋々二度目の記憶整形を引き受けた。




 久しぶりにクリニックを訪れた加藤栞を、俺は認識することができなかった。またもや容姿ががらりと変わっていたのだ。最初に会った時は当時大人気だったモデルのF、十年後ぐらいにボリウッド女優のS似に変身し、更に国民的アイドルKを経て、今は――


「お久しぶりです、先生」


 そう言った彼女は、まるで五十代半ばの冴えない女性だった。水気のないぱさぱさの髪は半白、顔には深い皺が刻まれ、背中が曲がっていた。俺は栞のカルテを見た。彼女は五十四歳。年齢通りの見た目に変身していたのだ。


「驚かれるのも無理はありません。これは、美容整形前の顔のまま自然に加齢したらどうなるかというのをシミュレーションしてもらって、その通りにしてもらいました。元の私に戻ったんです」


「それは一体、どういう心境の変化で」


 夫に若い「天然美人」の愛人ができ、捨てられたから、と栞は淡々と説明した。天然などといってもどこかしらいじっているに決まっているのに、彼女の夫――今や元夫だが――は、「作り物には飽きた」と言い放ったという。莫大な慰謝料をせしめ、生活には困らないが、これまでの生活に虚しさを感じた。そのため


「整形して美しくなっていた頃の記憶をなくして、ずっとこの姿で生きてきたことにしてほしいんです。それから、私を裏切り傷つけた元夫を密かに殺害して、庭の桜の木の下に埋めて隠遁生活を送っていることに。元夫をどうしても許せないのですが、実際に殺すわけにもいかない。でも私の脳内だけで殺したことにするなら、構わないでしょう?」


 栞は伏せていた顔を上げ、初めて俺の目をまっすぐ見つめて言った。いくら偽りの記憶とはいえ、人を殺した記憶を植え付けることは倫理に反すると説得し、夫は不治の病にかかり若い天然美女に捨てられ、栞と別れたことを泣いて悔やみながら非業の死を遂げたという設定変更でどうにか合意を得た。


 記憶整形手術の日を来週に決めて栞を送り出す時、彼女が振り向いて言った。


「ところで先生、先生もすっかりお変わりになられましたね」


 俺は顔が熱くなるのを感じた。七十歳になった四年前、人生の最後に色男気分を味わってみたいという欲求に抗えず、渋い脇役俳優から永遠の恋人と名高い甘いマスクの往年の名優Aに美容整形をしたのだった。中身まで若返らせることは不可能だが、外見的には完璧に俳優Aの全盛期の水も滴るいい男、という姿に変身していたのだ。


「なに、ちょっとした心境の変化ですよ」


 と俺は慌てて栞を診察室から追い出した。今夜は新しい恋人とデートの約束があった。それ程美人ではないが、本人曰く「天然」だ。若く豊満な肉体の彼女に俺は夢中だったが、外見は三十五歳でも中身は七十四歳のままだから、ED治療薬の世話にならなくてはならないのだが。

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