第62話 三十年越しの復讐
テーブルの上の携帯電話がけたたましく鳴り始めた。表示された番号には見覚えがない。春子は用心深い質なので、電話帳に登録してある相手からの電話にしか出ないことにしている。呼び出し音が止み、今電話に出ることができないと告げる機械的な音声に切り替わった。セールスならば大抵ここで諦めて電話を切るのだが、相手はメッセージを残す気らしい。春子は電話を手に取って、耳にあてた。
「ええー……」沈黙。聞き覚えのない、年配の女性の声だ。
「山川春子さん」それは、春子の現在の姓ではない。
「あ、山川さんじゃないですね。旧姓山川春子さんのお電話番号でしょうか。わたくし、カズコと申します」聞き覚えのない声だが聞いたことのある名前だと思った。カズコ――カヅコ――勝津子。
胸騒ぎがした。
「ママです」と言った最後の「す」が半分切れた感じで時間オーバーとなり、電話は切れた。
母親を名乗る女からの電話の後、春子は母親の声を思い出そうとしたが、できなかった。母とは三十年前に別れたきりだ。勝手に出て行ったくせに、今頃なんだ、と春子は思う。十歳だった春子も四十歳になった。もう母親が恋しくて泣いていた子供ではない。
しかし、母親の声を思い出せない理由は、単に三十年という月日のせいばかりではないことを春子は思い出した。母の失踪は当時小学四年生だった春子の人生を粉々にした。産みの母に捨てられたという事実を受け入れられるまで数年を要し、ようやく母親の不在に慣れた頃、ふと気が付くと、春子は母親と過ごした日々の記憶を失っていた。初めは若年性の痴呆かと途方に暮れたが、人は辛い記憶を封印し忘れてしまうことがあると聞き、なるほど腑に落ちた。
「お母さんは今頃、春ちゃんはどうしているか心配しているよ。あんなことしなきゃよかったって心から後悔してるに決まってる」
と健在だった頃の祖母は言ったが、春子はそれは疑わしいと思っていた。母がどういう心情で十歳の子供を捨てて若い男と駆け落ちする気になったのかは、今もってわからない。相手の若さに飽きるまで黙って不倫を続けていればよかったのではないか。元夫である春子の父のことが、それほど嫌いだったのか。当時は色々考えたものだが、答え合わせをする相手がいないのではどうしようもなかった。母は、家を出て以来一度も連絡をよこさなかった。三十年だ。三十年、音信不通だったのに、いきなり現在は結婚して山川春子ではなくなった春子の携帯に電話をしてくるとは。一体どうやって番号を入手したのか。
知人の誰かによるたちの悪い悪戯の可能性もないわけではないが、これほどの悪趣味な悪戯をしかけられるほど人から恨みを買った覚えはない。そもそも、知人に母のことを尋ねられた時は、シンプルに「死にました」と答えることにしている。死人から電話がかかって来たという体の悪ふざけだとしたら、非常に面倒くさい。
何度か録音を訊き返してみたが、小学校一年生の時の担任の声に似ているということを思い出しただけで、母の記憶は一向に甦って来ない。
中学生の時だ。気が付いたら、きれいさっぱり母の記憶が消えていた。正確には、母の記憶だけ器用に忘れたのではなく、あたかも、春子の人生が十歳で母に捨てられた時点から始まったかの如く、それ以前の記憶がほぼ消失していた。それでも苦労して思い出してみると、断片的な十歳以下の記憶が甦ってきた。
当時住んでいたマンションの一室で、一人で泣いている春子。母の外出中に気分が悪くなって居間のカーペットに嘔吐してしまい、途方に暮れている。そういえば、あの人はよく春子を置いて出かけていた。蒸発する前からそもそも不在がちな母親だったから覚えていないのかもしれなかった。むしろこのまま忘れ続けていた方がいい可能性すらある。
それなのに、三十年も経過した今、電話をかけてくるとは。春子が中学三年生の時に母方の祖母が亡くなると、母方の親戚とは縁が切れてしまった。夏休みになると春子を自宅に招き母の代わりに面倒を見てくれた叔母でさえ、今では音信不通だ。どうやって春子の携帯番号を調べたのか。興信所にでも頼んだのか。
「ええー……」
「山川春子さん」
「あ、山川さんじゃないですね。旧姓山川春子さんのお電話番号でしょうか。わたくし、カヅコと申します」
「ママです」
もう一度再生してから、春子は母を名乗る女からの録音メッセージを消去した。幸いそれ以降母を名乗る電話はかかってきていない。本当に母だったとて、もし我が子を捨てたことをずっと後悔して生きてきたのなら、当然の報いだと思う。現在春子は妊娠六ヶ月。長い不妊治療の末にやっと授かった子であった。母親が春子達を捨てて家を出て行ったのと同じ年齢、四十歳という高齢での初めての出産、ストレスは禁物だ。不在の思い出しか残っていないような女は、そのままずっと不在であればよいと思う。
春子は夫と話し合い、我が子にはパパママではなく、お父さんお母さんと呼ばせるつもりだ。子供の頃の春子は両親をパパママと呼んでいたわけだが、小学校六年生にもなると、そんな子供染みた呼び方は恥ずかしくなり、途中から「お父さん」と呼び方を変えた。その時不在だった母親はもはや「ママ」でも「お母さん」でもない。七十を過ぎた老婆が自分のことを「ママ」などと呼んでいるのかと思うと、虫唾が走って仕方がなかった。
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