第71話 チラシの裏

 子供の頃の話である。


 携帯電話は勿論、パソコンも一般には普及していなかった時代、各家庭では当たり前のように紙の新聞を定期購読していた。


 景気は今よりはるかに良かったので、各新聞販売店の営業担当が腕時計などのおまけをつけるから三ヶ月だけ契約してほしいなどと熾烈な勧誘合戦を繰り広げるのが当たり前で、私の父などは三ヶ月ごとに購読する新聞を変えていた。


 子供の私の興味は、毎日の四コマ漫画と日曜版に掲載されている連載漫画、それから、チラシだけだった。


 ネットによる情報配信がない時代では、紙による情報伝達がまだまだ重要視され、スーパーの安売り情報から宝石不動産玩具……新聞本体よりもぶ厚い広告の束が挟み込まれていたものだ。


 私の目当ては、表側しか印刷されておらず、どちらかというと紙もインクもそれほど上質ではないタイプのチラシであった。チラシの山を一枚一枚全て確認しても、ほんの数枚見つかる程度だ。紙が薄すぎて表の印刷が裏まで透けてしまっているものや、フルカラー印刷されて表面がつるつるしているようなものは目的に適さない。ほどよい厚みを持ちざらざらした質感の、裏紙に適したチラシとなると、一枚見つかればラッキーというぐらいだった。


 私は漫画家になることを夢見ていたから、チラシの裏には、いつも自作キャラクターの拙い絵を鉛筆で描きつけていた。ケント紙やGペン等を小遣いで買うのはまだ当分先のことで、私は学校の教科書でもノートも、余白さえあればイラストを描いて埋めていた。




 夢を諦めてから既に何十年も経つが、唐突に昔のことを思い出したのは、ドアポストに放り込まれていた分譲マンションのチラシの裏が理想的な白さだったからだ。適度な厚みのある紙にはほどよいざらつきがあり、鉛筆で落書きするのに適している、とチラシの裏に落書きなどしなくなってから数十年ぶりに頭をよぎった。


 その途端、当時描いていた拙いイラストが甦って来て、年取った手が握っているチラシの白い裏面を埋め尽くした。


 それは、顔、また顔。体は殆ど描かれておらず、同じ角度で少し横を向いた顔、一様に無表情で、僅かに大きさが異なるが、全て同一人物の顔だった。


 無数に並んでいるそれらが、一斉にこちらを向いて私を見つめた。私はチラシをキッチンの蓋つきのゴミ箱に捨てた。

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