第36話 死にかけていた私の幸福な思い出

「お前は静岡の頃のことをちっとも話さないな」


 父親がテレビを見ながらそう呟いた。普段なら酔っ払いの戯言など聞き流すのだが、今回は、はあ? と思った。


 まず、「静岡の頃」という言葉。私には幼稚園児の時に今住んでいる東京に引っ越して来た記憶があった。幼少の頃は父の仕事の都合で何度か引っ越したと聞いている。しかし、東京に転勤してからは、ずっと今のところに住んでいる。最後の引っ越しから二十年が経過しているから、私は人生の大半を東京で過ごしたことになり、記憶や思い出の形成もほぼ東京に来てからのものだ。


 だが、改めて考えてみると、はるか昔、いつとも知れぬ最古の記憶のなかに「はままつ」という単語が存在していることを思い出した。「はままつ」が地名であることはうっすら知っていたが、それには断片的な記憶がいくつか紐づいているだけである。現在では殆ど思い出すこともないような他愛のない事柄だったが、してみるとあれは浜松、静岡での出来事であったのか、と納得したものの、特別な感慨は湧かない。今の今まで静岡県民だったことがあるという事実に気付かず生きてきたのだ。静岡だろうと浜松だろうと、懐かしがれるほどの記憶のストックがないのだ。


 それをあたかも、幼稚園児だった私に何かそれを語りたくない理由でもあるかのように言う父親に少々腹がった。しかし反論するのも面倒なので、普段通り、聞き流しておくことにした。酔っ払いにいちいち付き合っていられない。




「医者からお前は長く生きられないと言われた時は……」


 父親がテレビを見ながらそう呟いた。酔っ払いの戯言とはいえ、今回は聞き捨てならなかった。


 小学生の頃は度々学校を休んで病院に行くことがあったが、現在は至って健康。死にかかっていた時分の記憶などなかった。


「いつ? なんで?」


「赤ん坊の頃。小児喘息で、長くは生きられないと言われた。あの時俺は……」


 そういわれれば、小学生の頃、一人で保険証を握りしめて病院に行く時は大抵酷い咳に苦しんでいた。だが――父は私が病気で学校を休む時でも特に病院まで付き添うでもなく、会社を休んで看病してもらった覚えもなかった。一度学校で体調が悪くなり保健室に担ぎ込まれた時、事情を知らない教師が父の職場に電話してしまい、会社を早退して保健室まで迎えに来た父の顔を見て申し訳なさに泣いてしまったことがあった。そこいらの甘やかされた子供と違い、私は一人で病院に行ったり一人で家で寝ていることには慣れていた。


 しかし、小児喘息だったというのは初耳だった。


 いつの頃とも知れぬ古い記憶が甦って来た。東京に引っ越してきてからの出来事は割と鮮明に覚えているのだから、出所の怪しい記憶はそれ以前のことなのだろう。


 私は白い壁の部屋にいる。ベッドに腹ばいになって、左腕に点滴を受けているのだが、右利きなので特に問題はなく、父がくれた世界こども文学全集の一冊にクレヨンで落書きをしている。左腕は点滴のせいか痺れて動かなくなっているのだが、幼い私にはそれを心配するほどの知恵がない。


 ハードカバーの大きな本は、スリーブケース付きの豪華なものだったが、それも無知な子供のことであるから、何も恐れずに見返しのクリーム色の頁にぐりぐりと色を塗りつけていく。絵はヘタクソだ。点滴で痺れて動かない左腕を体の横にまっすぐ伸ばしたまま腹ばいでお絵かきをしている私は、幸福だった。


 なるほど、あれは小児喘息で入院中のことで、少なくとも一時期は医者から余命いくばくもない宣告を受けていたのかと合点がいったので、まだブツブツ独り言を呟いている父への興味はなくなった。全く酒飲みというのはたちが悪い。私は酒が飲めない体質なので、毎晩飽きもせず泥酔するまで飲まなければならない父親の気持ちはわからない。


 酒のコップの載った座卓の上には、大きなガラスの灰皿から煙草の吸い殻が溢れんばかりになっている。父は、私の記憶にある限りずっと、ヘビースモーカーだった。

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