第18話 二度捨てられた少女

 目が覚めたとき、部屋の中は暗かった。

 今何時だろうか、と彼女は思い、立ち上がって居間の明かりをつけた。

 壁の時計はもうじき五時だと告げていた。夜が明けるまでにはまだ少し時間があるようだ。


 なぜ居間で寝ていたのだろうか、と彼女はいぶかしく思う。父は残業で、小学校六年生の姉は学習塾に行き、彼女は一人で留守番をしていたのだった。小学四年生の彼女は、一人で留守番するのが嫌いだ。


 二人とも、わたしを居間に残したまま先に寝てしまったのだろうか。


 そう思うと、腹が立った。起こしてくれればよかったのに。絨毯の上で寝ていたため、体のあちこちが痛く、冷え切っていた。


 木の階段はミシミシ鳴るので、彼女はできるだけ静かに上っていく。二階には二間あって、父の寝室と、姉と彼女の子供部屋にそれぞれなっている。二階は暗かったが、階段の途中で、襖が開いたままの父の部屋の隅に畳んで置かれている布団が見えた。


 父の姿はなかった。


 彼女の心臓が、とくんと鳴った。

 隣の子供部屋の二段ベッドの上が姉の寝床だが、そこも空だった。

 彼女は心臓を鷲掴みにされた気がした。

 家中の明かりをつけて、父と姉が隠れていそうなところを開けて捜したが、狭い家の中のどこにも、二人の姿はなかった。


 居間に戻った彼女は、ベランダに通じるガラス戸を開けて、外に出てみた。勿論そこにも父と姉の姿はなく、夜明け前の静かな町が街灯に照らされてひっそりと佇んでいた。

 頬を伝う涙の温もりは冷えた空気にすぐ奪われてしまうのだが、彼女はそれを拭いもせずに、静かに立ち尽くしていた。

 父は少しでもお金を残して行ってくれただろうか。これから一人で、どう暮らしていけばよいのか。彼女は途方に暮れていた。



 どれだけ時間が経ったのか、彼女は居間の壁にかかる時計を見た。六時を少し過ぎたところだった。


 何かおかしい、と彼女は思った。


 六時半になったが、外は真っ暗なままだった。彼女はテレビをつけてみた。そこではいつも、彼女が夜、父と姉の帰りを待ちながら一人で観る子供向け番組が放送されていた。


 捨てられたのではなかった。


 彼女は安堵のあまり床にへたり込んだ。父と姉は、自分だけ置いて二人で家を出て行ったのではなかった。



 母親からの手紙を郵便受けに見つけたのは彼女だった。母は仕事先の人達と社員旅行に行くと言ってでかけたきり、もう一週間も帰ってこなかった。小学校三年生の彼女も、さすがに不安になっていたところだった。

 その母が父宛に手紙を送ってきた。白く細長い封筒の裏には、なぜか母の名前が旧姓で書かれていた。理由はわからないが、彼女はとてもいやな気持になった。


 手紙を開けてみると、母の筆跡で「長い間お世話になりました」から始まる手紙と、緑色のインクでプリントされた書類が入っていた。書類にことのほか大きく印刷された三文字のうち、彼女が読むことができたのは最後の「届」という文字だけだった。それでも、これはとても悪い手紙であることがわかった。


 彼女の母は、彼女と姉、父を捨てて家を出て行ったこと、緑色の書類は「離婚届」であり、母の署名がしてあったことは、数年後にようやく理解した。


 そのときは泣きながら家を飛び出して母を探した。あとから帰ってきて事情を知った姉には


「ばかだねえ、あんたは。そんな近所にいるはずないでしょ」


 と言われた。そのときは腹が立ったが、姉は正しかった。当時の彼女には理解できなくても、二歳年上の姉には、わかっていたのだ。家族を捨てる気で出て行った者は、家の近所にたむろしていないし、捜しても無駄だということを。


 今回、父と姉にも捨てられたと思った彼女は、外に捜しに行こうとしなかった。そんなことをしても無駄だと、出て行った人間はもう帰って来ないのだと、既に理解していたから。

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