第5話 Nの呪い
全員呪ってやる
二年一組の黒板には赤いチョークの腹を使った極太の線でそう書き殴ってあったという。それを書いた後、女子中学生Nは屋上から身を投げた。生徒の殆どが帰宅した夕暮れ時のできごとで、偶然校舎に残っていた何者かによって撮影された、コンクリートの上で頭部から血を流すNの遺体と、二年一組の黒板の写真は、密かに多くの生徒達の間でシェアされた。
Nを一番ひどくいじめていたKは、二枚の写真を見て鼻で笑ったという。
「バッカみたい。何なの、呪いって」
Kと仲の良いSやR、Fといった面々は、流石に罪悪感を覚えたが、最も陰湿で残酷ないやがらせをしていたのはKなので、自分たちのせいではないと自らに言い聞かせた。
二年一組の担任Uは、その日恋人とデートがあったため、いち早く学校を出ていたことを心から悔やんだ。自分が学校にいれば、黒板のメッセージなど撮影・拡散される前に消してやったのに、と。
Nのクラスメイトの大半は、Kを筆頭としたいじめについて知っていたが、黙殺していた。Nを擁護しようものなら、Kの新たな標的とされてしまう。Kは気が強く我儘な女王様タイプで、陰険だった。絶対に敵に回したくない相手である。心の中ではNに同情しながら、標的が自分でなくてよかったと思っていた彼らも、自分のせいではない、悪いのはKとそのお仲間だと思うことで罪悪感から逃れようとしていた。
Nの自殺はニュースでもとりあげられたため、学校によるいじめの実態調査が行われた。Kは知らない、いじめなどしていないと言い張り、Kの母親は学校に乗り込んで、我が子が不当な非難を受けていると喚き散らした。
二年一組の生徒で気の弱いタイプのLが体調不良で学校を休んだのをきっかけに、他数名の女子生徒が同様に体調を崩し、欠席するようになった。
あれは、亡くなったNの呪いである、という噂が立つのにそう時間はかからなかった。
そうこうするうちに、二年一組の男子生徒が交通事故に遭った。自転車で塾に通う途中で轢き逃げに遭ったのだが、事故の一因は、夜間であるにもかかわらず自転車のライトを点灯していなかったことであった。だが、これもNの呪いの効果とされた。命に別状はなかったものの、男子生徒の入院生活は数週間に及んだ。
二年一組の面々が戦々恐々となったのは言うまでもない。
元はといえば、Kがあのように凄惨ないじめを繰り返しNを自殺に追い込んだせいなのに……と周囲からいくら白い目で見られてもKは平然としていたが、Kほど面の皮が厚くないお仲間S、R、FはKには隠れてNの墓参りに行って許しをこうべきではないのか、自分達はKに命じられて仕方なくいじめに加担しただけなのに仲間扱いされて非常に迷惑しているのだから、とKへの不満を内心募らせていった。
ほどなく、Kの次にNいじめを楽しんでいた(と周囲の目には映った)Sが一学年上の彼氏にふられた。「お前ら、自殺した子に呪われてるっていうじゃん。俺、受験なんだ。勘弁しろよ」というのが別れの理由だった。勿論、これもNの呪いのせいとされた。
RとFはKとSには内緒でNの家に線香をあげに行ったが、彼女達がいじめの主犯グループにいたと知っているNの母は、二人に門前払いを食らわせた。
学校によるいじめの調査では、複数の生徒達の目撃証言が匿名で提供されたにもかかわらず、担任やK一味の「あれはふざけてやっただけ。Nだって笑って受け流していた」という主張を採用し、いじめはなかったという結論に達した。加害者と言われている側の未来を考えなければならない、と校長は保護者会でそう説明したという。
怒れる保護者からのリーク情報を含むそのニュースはたちまちネットで炎上した。
「いやこれ、いじめってか、犯罪だよね?」
「ひでー。被害者の未来は完全になくしておきながら」
「ご両親の気持ちとか考えないの? マジで全員呪われてほしい」
「担任さあ、親からもいじめの相談受けてたのに無視したんでしょ? ありえない」
Nの呪いは今や学校中の生徒に知れ渡り、ありとあらゆる不幸な事象、例えば体育の授業で足を捻挫したとか、遠方に暮らす比較的元気だった祖父の突然死などが呪いのせいだとされた。
Nの自殺直後に体調を崩し休学していたクラスメイト達は、しばらくして登校してくるようになったが、いずれも顔色が優れず、気分も鬱鬱として以前の明るさを失っていた。彼女達も含め、生徒達は皆夕方が来ると校舎に残りたがらなかった。Nが身を投げた黄昏時に、彼女の幽霊を見たという目撃証言も複数あった。
「呪いなどあるわけがない。気分が悪くなったり体調を崩したのは精神的なもの。事故や怪我はただ偶然発生したにすぎないのに、それを無理やり呪いに関連させて勝手に怖がっているだけ。幽霊など勿論居るはずがない」としたり顔で解説する者も、
「じゃあお前、夜まで一人で学校に残ってNの幽霊が出ないってことを証明しろよ」とからかわれると、様々な理由をつけて拒絶した。
さて、肝心のいじめの主犯格Kだが、呪いの噂が次第に拡大していくことを苦々しく不愉快に思っていたが、学校(教師陣)は彼女の味方だったし、SNSで彼女をしつこく批判する連中のことは、バカな暇人が何か言っている程度にしか思わなかった。彼女は呪いを信じていなかった。そんなものが本当にあるのなら、自分が真っ先に標的にされているはずだ。未だ何事も起こっていないことが、そんなものは存在しないという証明だ、と。
人から後ろ指を指されようが陰口を叩かれようが平気なKは、その後高校に進学し、今も大きな怪我や事故とは無縁に生きている。中学三年生の時に、顔はいいのだが頭の悪い二つ年上の彼氏に強引に性交を迫られた結果妊娠、受験前ということもあり両親の命令で中絶するという出来事があったが、K自身はそれをNの呪いとは思っておらず、彼氏に殴られ力ずくで挿入されて痛かったことだとか、中絶のために掻爬術を受け、しばらく出血と痛みに苦しんだことなどは割合すぐに忘れてしまったものの、避妊具の重要性だけは身に染みて理解したそうだ。
また、Nの担任だったUは、事件の翌年には他の中学へ移動となり、結婚をして一時期職場を離れたものの、今は復帰して仕事と子育てとを両立させるために忙しくしているという。ちなみに、彼女の夫も教員である。
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